Loading…

第6回「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展 今年も開催!

Posted by takumi suzuki on 19.2018 【コロタイプギャラリー】   0 comments   0 trackback

便利堂130周年記念展覧会、明日オープン!

Posted by takumi suzuki on 15.2017 【今日のコロタイプ】    0 comments   0 trackback
至宝をうつす
―文化財写真とコロタイプ複製のあゆみ―
2017. 12.16-2018. 1.28 @京都文化博物館

130ex_1.jpg

Benrido 130th Anniversary Reproducing Great Treasures
A History of Cultural Properties : Benrido, Photography and Collotype Printing


 明治20年(1887)創業の便利堂は、本年7月で130周年を迎えました。それを記念し、このたび「至宝をうつす」と題した展覧会を京都文化博物館にて開催させていただく運びとなりました。法隆寺金堂壁画や高松塚古墳壁画の撮影や原寸大コロタイプ複製などの展示を中心に、明治からはじまる文化財保存の歴史の中で、文化財撮影とコロタイプ複製がどのように展開されてきたのか、便利堂のあゆみを通してご紹介できればと思っています。ようやく会場設営も終わり、いよいよ明日より公開となります。一足先に、その様子をご紹介したいと思います。展示は5つの章で構成されています。

公式HP www.benrido-130th-anniv-ex.com

130ex_4.jpg
第2章の高松塚古墳壁画 原寸大コロタイプ複製と古墳内での撮影を再現した模型、設営中の様子


序章 うつす文化

日本の始原を記した歴史書や、世界に誇る古典文学・絵画。機械もない時代に、これらの作品はどのようにして伝えられてきたのでしょうか。原本そのものを大切に保管するだけではなく、中身を「うつす」ということも広く行われていました。同じ作品なのに一見すると違うものになったり、別の人が写しても似ていたり。そんな写本・模本の広がりを御覧下さい。

【主な展示作品】
日本書紀神代巻 乾元本(天理大学附属天理図書館蔵 コロタイプ複製)
重要文化財 源氏物語 大島本(古代学協会蔵 京都文化博物館寄託)
源氏物語 写本・鳥獣戯画 甲巻 模本(いずれも京都文化博物館蔵) など


第1章 文化財の写真撮影とコロタイプ複製

近代になり、わが国に写真技術が輸入されると、人の手に代わってカメラによって作品が写され、写真をもとにした複製出版物(影印本)が、より客観的に原本に近い「写本」として共有されていきます。160年前に写真印画法として発明されたコロタイプは、当時もっとも精巧に写真を印刷できる技法として、これらの出版物に用いられました。こうして、作品が写真で記録され、出版物として普及するなかで、「文化財」という概念が広く定着していくことになります。

130ex_14.jpg

【主な展示作品】
國華 創刊号〜36号(國華社刊行/個人蔵)
真美大観 1巻~10巻(審美書院刊行/便利堂蔵)
大日本古文書 巻之一、巻之二(東京帝国大学刊行/京都文化博物館蔵)
法隆寺絵葉書帖 全3輯(法隆寺刊行/便利堂蔵)
〈秘籍大観〉 古写本 日本書紀(大阪毎日新聞社刊行/便利堂蔵)
貴重図書影本(貴重図書影本刊行会刊行/便利堂蔵)
看聞御記  全43巻(宮内庁書陵部刊行/便利堂蔵)
青山荘清賞 全10巻(根津美術館刊行/便利堂蔵


第2章 よみがえる至宝―法隆寺金堂壁画と高松塚古墳壁画

130ex_12.jpg
昭和12年制作の法隆寺金堂壁画 原寸大コロタイプ複製とそれをプリントした印刷機(明治から戦前まで使用) 全12幅を展観します。

文化財の写真撮影として、代表的事例に挙げることができるのが昭和10年の《法隆寺金堂壁画》の原寸大撮影と昭和47年の《高松塚古墳壁画》発見時に撮影されたカラー写真でしょう。残念ながら、現在はいずれも往時の姿を伝えるのはこれらの写真のみとなっています。本章では、これらの原板から原寸大複製としてその姿がよみがえった両作品を展示します。《高松塚古墳壁画》原寸大複製は、今回初公開となります。

130ex_8.jpg
高松塚古墳壁画 「西壁」 原寸大コロタイプ複製

130ex_7.jpg
高松塚古墳壁画 「東壁」 原寸大コロタイプ複製
「北壁」「天井(部分)」の全4壁を展示します


130ex_9.jpg
「東壁」 青龍部分 色あざやかです。

130ex_10.jpg
「東壁」 男子群像部分

130ex_5.jpg
組立て途中の撮影再現模型 狭い古墳室内に二人のカメラマンが

130ex_2.jpg
盗掘の穴から内部をみたところ。引きがなく、ピントを合わせるのに手鏡を利用して間接的に焦点を合わせました

当時の撮影の様子についてくわしくは過去記事へ⇒こちら


第3章 コロタイプによる文化財複製の活用

こうした貴重な文化財は、大切に保存される必要がありますが、同時にわが国の文化を伝えるものとして公開が求められます。しかし貴重な文化財を気軽に公開することはできません。その矛盾を解決する一つの方策が、精巧な複製をつくることです。また万が一原本になんらかの被災があっても、原本に準ずるものが後世に残されることになるなど、複製はさまざまなかたちで活用されています。本章では、もっとも精巧な複製技法のひとつであるコロタイプでつくられた複製による活用事例をご紹介します。

130ex_13.jpg
2015年便利堂が中心となって制作プロジェクトを立ちあげて完成した 風神雷神図 尾形光琳筆・夏秋草図 酒井抱一筆 両面復元屏風(京都府蔵) ⇒くわしくはこちら

【主な展示作品】
女史箴図巻 伝 顧愷之筆(大英博物館・朝日新聞社刊行)
正倉院文書 正集 第11巻(国立歴史民俗博物館)
御堂関白記 長保6年(寛弘元年)上巻(国立歴史民俗博物館蔵)
山本作兵衛炭鉱記録画(福岡県田川市蔵)
天子摂関御影 天子巻(宮内庁書陵部刊行)
花園院宸記 第23巻(宮内庁書陵部刊行)
伴大納言絵詞(筑摩書房刊行)
蒙古襲来絵詞(便利堂刊行)
臨滅度時大曼荼羅 日蓮聖人筆(日蓮宗新聞社刊行)
風神雷神図 尾形光琳筆・夏秋草図 酒井抱一筆 両面復元屏風(京都府蔵 京都文化博物館管理) など


終章 コロタイプの明日

先人が築き上げた伝統を護り、次の世代に伝えることはとても大切なことです。一方、古き良き伝統を護るだけでは伝えられないこともあります。コロタイプ技術が発明されておよそ160年。より精巧な複製制作のための新しいデジタル技術の融合による技術革新、その独特な表現力を生かした芸術作品の制作、日本文化の普及として日常生活に文化財を気軽に取り入れていただける美術商品の応用など、コロタイプに対してのさまざまな取り組みをご紹介します。

130ex_17.jpg
今年で第4回を迎える「国際コロタイプ写真コンペティション《HARIBAN AWARD》」の4名の最優秀賞受賞者のコロタイプ作品をはじめ、近年取り組んでいるコンテンポラリーアートのコロタイプ作品をご紹介します

【主な展示作品】
森村泰昌 《フェルメール研究2014》 
植田正治 《砂丘》 (特別版)
山本昌男 《山本昌男ポートフォリオ》
井津建郎 《Blue》
ソール・ライター 《1950s New York》
ジャック=アンリ・ラルティーグ 《Colour》  など



12月23日には記念講演会「文化財写真と歴史学」(東京大学史料編纂所・谷 昭佳氏)が10:30分より開催されるなど、イベントももりだくさん! くわしくは公式ホームページをご覧ください!

公式HP www.benrido-130th-anniv-ex.com


130ex_11.jpg

2017年12月16日(土)―2018年1月28日(日)
京都文化博物館4階

コロタイプギャラリー秋季企画展「原寸大で見る高松塚古墳壁画コロタイプ複製-西壁全面の再現-」展のお知らせ

Posted by takumi suzuki on 20.2017 【コロタイプギャラリー】   0 comments   0 trackback
発見・撮影45周年! まずは西壁全面を原寸大で再現します!
2017年10月21日(土)~11月10日(金) 11:00~17:00 ※会期中無休 @便利堂コロタイプギャラリー

高松塚_1

 みなさん、こんにちは。便利堂コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。夏季企画展「黒川翠山の京都」展が無事終了したら、あっというまに、秋・・・次回展のおしらせです!

 本年2017年は、高松塚古墳「世紀の発見」から45周年です。同古墳が発掘された時、他に先駆けて壁画を撮影したのが便利堂でした。この「発見」と「撮影」45周年、また修復完了(間近)を記念して、便利堂が所蔵する発見当時に撮影されたカラーフィルムを用いて、高松塚古墳壁画の発見当時のみずみずしい姿をコロタイプによって原寸大複製でよみがえらせようというプロジェクトを立ち上げました。壁画全面(西・東・北・天井)は12月に完成予定ですが、それに先立ち、西壁の複製をご覧いただく「原寸大で見る高松塚古墳壁画コロタイプ複製-西壁全面の再現-」展を開催します!

高松塚_8
鋭意作業中です!

 奈良県明日香村で、7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられるこの古墳は、石室の壁面および天井に描かれた極彩色壁画がとりわけ有名ですが、1972年(昭和47)の発見以来、カビなどによる劣化がすすみ、近年、ついにカビの大量発生が確認されたとの報道は記憶にもあたらしいところです。

 2007年(平成19)に石室を解体後、10年にわたり、カビの除去など修復作業をおこなっています。先日も一般公開され、修理は最終段階に入っていますが、修理後は壁画を古墳内にはもどさず、ちかくの公開施設で展示・保存されることになっていますので、残念ながらというべきか、「元のすがた」にもどることはありません。(平成29年度 国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開サイトhttp://www.takamatsuzuka-kofun.com/ では、解体修理写真がスライドショーされています。)


◎「入ってみれば君だって写したくなるに決まっている、そうに決まっている」

 その「元のすがた」を、発見直後(まさに直後!)、橿原考古学研究所から指名を受けて撮影したのは、便利堂です。当時撮影にあたった元・便利堂カメラマンの証言によると、懐中電灯を手に恐る恐る石室に入ると、まだ人骨や埋蔵品があったそうです。メインの壁画撮影は、1972年3月22日と24日の2日間。東西南北天井を撮れるかぎり撮っています。その撮影当時のなまなましい様子を、撮影したカメラマンの手記で振り返ってみましょう。

 《昭和47年3月21日午後7時過ぎ、会社の橋本営業課長より自宅に電話があり、「飛鳥で発掘中、古墳に壁画が発見されたので撮影に来てほしいと、関西大学の網干先生から連絡があった」と伝えてきました。私も以前、九州の王塚古墳・チブサン古墳・竹原古墳と数多くの装飾古墳の撮影を経験していますが、今回の明日香村の古墳は、どのような規模のものか、また装飾はどの程度にほどこされているのか全く分からないので、いろいろと撮影方法を考えながら一夜をあかしました。

 翌22日会社に出てカメラ機材を整備し、9時過ぎに、現場におられる網千善教先生と電話で打ち合わせをしました。撮影現場の状況をこまかく聞きましたところ、詳しいことは言えないが、電気がないこと、古墳の中が狭いこと、色があるからカラーフィルムの用意をすること、出来るだけ大きいフィルムで撮影してほしい、と言われました。でも、8×10インチで撮影するにはカメラが大きくなり過ぎて、古墳の中て作業がやりにくくなるだろうと思い、5×7インチで撮影することにしました。以前九州の古墳の撮影の時に、普通の三脚を2分の1の短さに切って作らせた三脚、また先輩から法隆寺の壁画の原寸大撮影の時、引きのない狭いところでのピント合わせに鏡を使用したと聞いていましたので、手鏡も用意しました。電気がないので2キロワットの発電機も用意し、テスト運転もして出発の準備を完了しました。(「高松塚古墳壁画撮影の思い出」大八木威男)》

三脚
足をカットしてローアングルにした三脚と5×7カメラ

 ところで、みなさんは高松塚古墳の石室内のひろさをご存知でしょうか。発見後まもない1974年(昭和49)に便利堂が出版した調査報告書『高松塚古墳壁画』の測定数値によると、奥行き(南北)265㎝×幅(東西)103.5㎝×高さ113.4㎝。意外というか、「お墓」としてはあたりまえかもしれませんが、とても狭いんですね。こんなに狭い石室のなかを、どうやって撮影したのか、気になるところですよね。現在なら、カメラさえ設置できれば、ライブビューモニターで遠隔操作も可能でしょうが、当時はカメラマンも内部に入って撮影しなければなりません。低い天井で「引き」もない。撮影条件はきびしいものでした。すぐに方策を考え、出した答えはこうです。

・壁画の中心までカメラを下げることができるよう既存の三脚の足をカットしたものを使用(このときの三脚は、いまでも現役で使われています!)。
・「引き」がなく、通常のピント合わせはできないため、カメラマンふたりがカメラの両サイドから、鏡に映したピントグラスの像を確認、調整する(すごいですよね。現役のカメラマンに言わせても、鏡越しの確認だけで、これほどピシッとピントを合わせられることは、驚きだそうです)。しかも、そのアイディアが法隆寺金堂壁画の経験につながっているという事実!

高松塚_12
ピントグラスに手鏡をセットしたところを再現

・5×7フィルム撮影。普通に考えれば、すこしでも機体がちいさい4×5フィルム用カメラを選択しそうですが、できるだけ広角に撮影できる90ミリの広角レンズは5×7カメラにしか装填できなかったから、という理由だそうです。より情報量のおおい5×7フィルム写真が残ったおかげで、今回の原寸大復元プロジェクトにもおおいに役立ってくれています!

 そのほか、かぎられたスペースのなかでのライティングにも、片光線や反射を駆使するなど、数々の工夫があったと思われますし、なによりも、絶対に壁画を傷つけてはならないという大前提がありますので、相当むずかしい撮影だったことが想像できますね。

高松塚_4
高松塚古墳外観。現在は整備されていますが、当時は重い機材を持ってたどり着くだけでも大変だったようです。

 《東京営業所の本郷所長より、「橿原考古学研究所所長の末永雅雄先生から、非常に重大な写真を撮ってもらうのだから、絶対に失敗のないよう充分に注意して撮影するようにと、電話があった」と伝えてきました。何だか大変なことになったと思いながら、営業部員と助手と三人で明日香村の発掘現場へ、12時過ぎに車で向かいました。

 現場はみかん山の細い農道を50メートルほど入った小高い丘のところで、2日前に降った雨で道がぬかり、重さ70キロ発電機を2人でかついで歩くには、足もとがすべって大変困りました。古墳の入口には直径30センチ位の小さな穴があって、穴のところまで行きますと、古墳の中で待ちかまえていた網干先生が「すぐに撮影」とのことでした。穴から中をのぞいたのですが、先生の持っておられる懐中電燈の光では、内部の様子をはっきりとは見ることが出来ず、正面に何かぼんやり絵のようなものが見える程度でした。九州の古墳と比較しますと、あまりにも入口も内部も狭く、カメラを入れてもうまく撮影出来るかどうか不安になり、思わず大きな声でうなってしまう程でした。古墳の中から「入ってみれば君だって写したくなるに決まっている、そうに決まっている」と、すこし興奮ぎみの声で私をうながされました。(同)》

盗掘口1
発見直後の中の様子を盗掘口よりみる。まだ地面には土や埋葬品がそのままになっている。©明日香村/便利堂 不許転載

 《身じたくをして、肩幅より少し広い程度の古墳の盗掘口から、四ツ這いになって頭から そっと入り外にいる助手に発電機を始動させ、撮影用の150ワットのランプを照らしてみて驚きました。外から見た時には見えなかった壁面に、人物像が描かれているのがはっきりと私の目に入り、あまりにも美しく、あざやかな影像に、しばらく息をのむ思いでだまって見ているだけでした。ここに描かれている絵も、初めてこのような明るい光に照し出されたことでしょう。まるで今描かれたような生々しさでした。きっと撮りたくなる、そうに決まっているとおっしゃった網干先生のお言葉の意味が初めてわかりました。

 今まで撮影した装飾古墳は、石の上に直接絵が描かれているもの、文様を刻んであるものなどでしたが、高松塚古墳は、石の上に漆喰を塗って、その上に絵が描かれ、ところどころ削り取られたような箇所や、絵具が浮いているように見えるところがあり、乾燥すれバラバラとくずれ落ちてくるのではないかと思われました。古墳の中をよく見ますと、端の方に漆塗の棺の破片や、人の骨のような物、壁のつなぎ目や天井のすき間から、木や草の根のようなものが無数に垂れ下っているのが目につきました。(同)》

高松塚_13
当時の撮影日誌。まだ聞きなれない名前だったのでしょうか、高松「山」古墳、と記載されています。

 《さて撮影は慎重にと、カメラや三脚を分解し、小さな人口から周囲の壁や天井にさわらないように気をつけて運び込み、セットしました。機材を組み上げた時には、先生と私の体温やライトの熱で古墳の中は蒸し暑くなり、メガネやレンズもくもり、ピントを合わすことも出来なくなった程でした。作業着もセーターもぬいでシャツ一枚になり、北壁の玄武図より撮影を始め、西壁女子群像、白虎、西壁男子群像、東壁女子群像、青竜、東壁男子群像の順で撮影をしました。東壁と西壁を撮影する時は、壁と壁との間が1メートル少々しかないため、ピントガラスをのぞくことも出来ず、ピントガラスに手鏡を横から当ててピント合わせとなり、先生は、私やカメラ機材が壁や天井に当たらないよう、「右注意、左何センチ、頭注意」と、大変な気のつかいようでした。カメラ位置を変えるのにも、床面には盗掘口から流れ込んだと思われる土や、棺の破片、人の骨のようなものがあり、凸凹していてセットしにくく大変な作業でした。

 壁面を撮影する時はまだよかったのですが、天井の星宿図の撮影にはカメラを上に向けなければならず、狭い古墳の中でどうしようかと思いました。そのうえ網干先生は、「出来るだけ広い範囲を入れて撮るように」と言われる。言われるようにしようと思うと、どうしてもレンズ位置を下げなければなりません。ピントを合わせるためには埋葬された人と同の様に上を向いて、寝ながら星座を見ての撮影となり、心の中で手を合わせながら作業をしました。(同)》

高松塚_6
コロタイプの1色目(墨色)。驚くほど繊細でなめらかな筆のタッチがよみがえります。

 《こうして第1回目の撮影は、カラー・モノクロ各10カットで、古墳から出て来たのは午後8時過ぎてした。翌23日夕方にカラーの現像が無事出来上って来て、大変悪い条件での撮影のわりにはうまく撮れていたので、ホッとしました。

 第2回目の撮影は24日。昨日現像の出来上ったフィルムを持って、高松塚へ1回目のメンバーで参りました。現場で、末永先生に出来上ったフィルムを見てもらい、「よく撮れている」とほめていただきました。2回目は、古墳の内部の土や棺の破片もきれいに持ち出され、木や草の根も壁からきれいに取られ、一昨日見た感じより随分すっきりしたように見えました。朝10時頃から昼食時に1回出たきり、夜9時頃まで1回目と同様、北面、東面、西面、南面、群像の全図・部分、壁のつなぎ目、天井、盗掘口などの順序で、カラー21カット、 モノクロ32カットを撮影しました。(同)》

高松塚_2
7色目まで入ったところ。だいぶん雰囲気が出てきました。完成は10色以上の色を刷り重ねます。

 こうして苦心の末、撮影された写真が、3月27日の新聞紙上でセンセーショナルに発表された、あの写真です!


◎壁画の再現

 さて前置きが長くなりましたが、今年2017年、発見・撮影後45周年と便利堂130年を記念して、高松塚古墳壁画全面(東・西・北・天井璧)を原寸大コロタイプで再現します! それに先立ち、本展では、まず<西壁>を複製、メイン展示します。

西壁30_1
高松塚古墳壁画「西壁全面」 ©明日香村/便利堂 不許転載

 西壁には、手前から男子群像、白虎(中国神話の四方霊獣のひとつ)とその上の月、そして奥に女子群像が描かれています。なかでもこの女子群像は、(発見当初は)もっとも色彩が鮮やかで、歴史の教科書などでも掲載される機会が多く、高松塚古墳壁画のアイコンのようになってますね。「飛鳥美人」のニックネームでも有名です。

 写真原稿はもちろん、発見直後に便利堂が撮影した5×7ポジフィルム。西壁全面の3枚と、女子群像、男子群像、白虎、月の各部分カットをデジタルスキャニングし、コンピュータの画面上で合成します。さきほども書いたように、過酷な撮影条件下で撮影された写真にもかかわらず、無理な加工処理はほとんどせずに、見事につながりました。あらためて、先輩方の技術力の確かさを実感します。

 西壁のサイズは、さきほども書いたように、高さ113㎝×横(奥行き)265㎝で、部屋としては狭いですが、コロタイプでは最大のマシンでも1紙でプリント再現できませんので、6紙に分割して、プリント後につなぐことにしました。もちろん均等割りではなく、各描画が分割されないように考えて設計しています。

高松塚_9

 まずは女子群像部分から進めているのですが、色数がふくらみます。黒、セピア、グレー、黄土など下地だけでも5色。その上に女性たちの衣の固有色を重ねていくので、10色以上なりそうです(これを書いている今日現在、印刷の尾崎機長がまさに鋭意プリント中です!)

高松塚_14

 今回の壁画再現にあたっては、日本仏教美術史の第一人者である有賀祥隆(よしたか)先生に監修をお願いしています。有賀先生は、「高松塚古墳総合学術調査会」の専門委員として、発見直後の古墳石室内に何度も入られ、壁画をご覧になっています。先生によると、石室内は湿度がきわめて高く、壁画の彩色は「非常に鮮やかで、なんともみずみずしかった」ことを、ありありと覚えていらっしゃいました。西壁女子群像部の色校正では、そうした記憶をベースに、各色細部にわたってご指導をいただきました。本展初日には、みなさまに女子群像をお目にかけられるよう日夜格闘しています!

 本展のサブタイトル「西壁全面の再現」は、展覧会初日にはむずかしそうですが(ごめんなさい!)、会期中、順々にできあがってきますので、「ライブ展覧会」として、何度も足を運んでくださるとうれしいです! 高松塚古墳壁画を撮影した5×7カメラ(鏡付き!)、ローアングル三脚も特別展示いたします。


高松塚_3


◎スペシャルイベント開催決定!

 本展開催を記念して、スペシャルイベントを開催します。

 発見時の撮影現場にも立ち会われていた橿原考古学研究所所長の菅谷文則先生をお迎えしまして、高松塚古墳壁画発見当時の思い出を存分に語っていただきます。講演終了後は、上述の壁画撮影にあたった、元・便利堂の写真技師、大八木氏と上羽氏も交えての特別トークも予定しております。

 とっても貴重な機会です! みなさま、ぜひお越しください!

  ◆

「高松塚古墳壁画発見当時を語る!」

菅谷文則先生(奈良県橿原考古学研究所所長)

10月31日(火)18:00~19:30 便利堂コロタイプギャラリー 入場無料


◎便利堂創業130年記念特別展「至宝をうつす」@文化博物館にて全壁面公開!

 高松塚古墳壁画の撮影は、残念ながら失われてしまった、発見当初の鮮やかな色彩を余すところなく記録した写真として、便利堂では、法隆寺金堂壁画の撮影(昭和10年)に匹敵する、歴史的にきわめて重要な仕事です。また、先人が培った技術と創意工夫で遺したその写真を、現在の技術で、原寸大で再現して、みなさまに間近にみていただけるようにするのは、わたしたちの役目です。

 そして今回の展示は、西壁全面(になるはず…)ですが、来たる12月16日より京都文化博物館で開催の、便利堂創業130年記念特別展「至宝をうつす」では、今回展示の西壁だけでなく、東壁、北壁、天井の壁画をコロタイプによる原寸大完全複製で披露いたします。また、おなじく原寸大の石室模型もつくって展示しますので、ぜひお楽しみに!

詳しくは特設サイト:
https://www.benrido-130th-anniv-ex.com/

前売りチケット発売中。各種イベントも開催します!

コロタイプギャラリー夏季企画展「黒川翠山の京都――明治期京都の写真とコロタイプ」のお知らせ

Posted by takumi suzuki on 21.2017 【コロタイプギャラリー】   0 comments   0 trackback
生誕135年を記念して開催! 9月1にはフロアレクチャーも行います!
8月21日(月)~9月8日(金) 11:00~18:00 ※土日休廊 @便利堂コロタイプギャラリー

翠山1

 みなさん、こんにちは。
 コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。今日は、次回企画展のお知らせです。
みなさんは、黒川翠山(くろかわすいざん)という名前をご存じでしょうか。明治、大正、昭和にかけて京都で活躍した写真家です。かくいう私は数年前まで聞いたこともありませんでした。いまでも恥ずかしながら、2013年に当社便利堂が出版した『明治の京都てのひら逍遥――便利堂美術絵はがきことはじめ』という本や当ブログで、何度か名前が登場したり、簡単な紹介があって見覚えていた程度です。

翠山12
展示番号1:黒川翠山<富士山>

 本2017年は、その黒川翠山生誕135年です。コロタイプギャラリー夏季企画展では、この黒川翠山という写真家について、特集展示をおこないます。顕彰といえるほど立派で網羅的なものではありませんが、ここ数年、コロタイプの原点回帰として、写真表現の試みをさかんに展開している私たちにとって、翠山あるいは同時期の新進アマチュア写真家の写真に対する思い、取り組み、腕前を知って紹介することは、まさに温故知新、有意義なことだと思うのです。

 19世紀中頃に日本に伝わった写真は、幕末から明治初期には写真館を構えた職業写真師によって確立されていきますが、明治20年頃になると、機材の進歩に伴い、本業は別に持ちながら、だからこそプロにはないフットワークの軽い、自由な精神で写真にアプローチするアマチュア写真家が活躍しはじめます。そうした写真家のひとりに黒川翠山(くろかわ・すいざん)がいます。便利堂とも関わりが深く、活動最初期には弊社主催の写真懸賞の入賞で斯界に登場し、以来便利堂が出版する数多くのコロタイプ絵はがきに写真原板を提供しています。本展では、生誕135周年を迎えた黒川翠山作品のコロタイプによるニュープリントを中心に、翠山によるオリジナルプリント、ガラス乾板、明治時代の写真帖や絵はがきなどを展観し、近代の移りゆく京都を活写したアマチュア写真家時代の翠山の姿を回顧いたします。


黒川翠山(1882-1944)

翠山2
展示番号3:黒川翠山ポートレート

 翠山は本名を種次郎といい、明治15年(1882)、呉服商の長男として京都市上京区(上立売大宮)に生まれました。翠山の息子、黒川武男氏が著した『未完成のしあわせ』に、翠山が生前に書いた『黒川家の家歴』が一部原文転載されています。それによりますと、小学校、高等小学校ともに「優等」「品行方正」「首席」でありながら、16歳で父を亡くした後は、家業を継ぐも多額の負債整理におわれた挙句、18歳の春に呉服商を閉店、家財産悉く失い無一文となります。そこで、「この打撃に依り大に悟る処あり、金銭より名誉、即ち天下に名声を博し以て家を起さんと志し、最も新進の芸術として将来有望なる芸術写真の研究を始む」と、芸術写真家の道を歩みはじめます。若くして相当の苦労を負い、思うところあって写真の道に進んだ経緯と、それだけに後がないという覚悟が感じられます。

 とはいえ師に就く金もなく、写真の研究は独学、「天候急変せる山上の雄大なる天然」が師でした。しかしだからこそ、自身が認めているように、雨、雲、霧、雪、光などを、独特の情緒を湛えて水墨画のように写真表現する技を獲得し、明治39年(1906)23歳のときには、日露戦争戦捷紀念博覧会(大阪天王寺)に出品した<雨後>で名誉銀牌を授与され一躍有名となります。この後は、数多くの写真コンクールで出品作が入選したり、雑誌『太陽』や懸賞写真画集『写真例題集』などで毎月のように作品が名前とともに掲載され、芸術愛好家の間では知られた存在となっていき、大正期には『婦人画報』『少女画報社』の京都支部を託されるなど、名実ともに芸術写真家として大成します。昭和19年(1944)逝去、享年61歳。


明治中期のアマチュア写真ブーム

 このように翠山が写真家として活動を開始した時期は、アマチュア写真家が台頭しはじめる「芸術写真」草創期といえるものでした。日本に写真が渡来したのは1850年代から60年代ですが、その頃は、自分たちの姿や身のまわりの風景が絵画ではなく「リアル」として現出することに、おそらく、ただただ驚きをもって迎えられた時期です。明治維新後、1870年代から80年代、写真という存在は、日常に定着するものの、いまだ職業写真家や一部上流階級の好事家の楽しみの域をでません。それが19世紀末から、写真が絵画との関係性のなかで考えられはじめ、一部では、写真を「芸術」として捉え実践しはじめる土壌が醸成されます。その頃、初期の撮影技術であるコロジオン湿板法から、ゼラチン乾板法への技術革新が後押しするかたちで、写真が一般的な(といっても、誰もがというわけではもちろんなく)余暇の楽しみのひとつになり、富裕層を中心としたアマチュア写真家が日本各地であらわれ活動をはじめるのです。

 翠山が家財産をすべて失ったのは、まさにこの頃ですが、まったくの思いつきで写真の道を志したわけではないでしょう。翠山はもと呉服商の坊っちゃんですから、幼少のころより身近に写真があり、趣味として接してきたことも推察できます。


翠山と便利堂

 もちろん当社便利堂も、翠山とは浅からぬ縁があります。便利堂の創業は明治20年(1887)に書店としてはじまり、出版を行っていました。翠山の写真家としての活動最初期である明治36年(1903)4月、便利堂が懸賞募集のうえ刊行した『京都の山水』(展示番号7)に<八瀬の初冬>が入選、巻頭掲載されました。同年9月にも、便利堂刊行の『京都の寺院』(展示番号8)に、同時代の新進写真家とともに翠山の作品が5点掲載されます。

京都の山水2
『京都の山水』(展示番号7)に掲載された<八瀬の初冬>(右)

 これを機縁に、便利堂が明治38年(1905)に刊行する絵はがきシリーズ「京名所百景」では、社寺の建築美や街並み、名勝、祭礼、風俗をはじめとした各種絵はがきの原板を数多く撮影しました。同年5月には、大阪絵葉書奨励展覧会に出品し、乙種の部で橋本関雪の日本画<相撲>を押さえ、翠山の<山>が一等賞となりました(「大阪絵葉書 奨励展覧会審査結果」『手紙雑誌』第2巻第3号 明治38年6月)。前述した、戦捷紀念博覧会で銀牌を授賞し、世間で脚光をあびる前年のことです。ちょうど便利堂が社内にコロタイプ工房を開設した年にもあたり、コロタイプによる写真集や絵はがき制作に本腰を入れはじめた時期にぴったり符合します。その後も便利堂発行の絵はがき集で撮影原板を提供するなど、この頃の翠山は便利堂お抱えの写真技師としても大いに活躍していたのです。

翠山13
「大阪絵葉書 奨励展覧会審査結果」『手紙雑誌』第2巻第3号 明治38年6月

「京都三条富小路の便利堂は、関西絵葉書界の重鎮である。(中略)便利堂は印刷部として有名なるコロタイプ製版所を有して居る、加えその写真部には斯界の獅子児たる黒川翠山氏を始め、(中略)常に各地を跋歩して、人の未だ写し得ざる新勝景新題目を捉ふるに勉めつつある(中略)便利堂が従来の絵葉書界に少なからず欠乏を感じて居た風景物に手を着けられたのは吾々の大いに賛成する所である」(「風景絵葉書と京都の便利堂」『手紙雑誌』第3巻第10号 明治39年10月)。


展示リスト

1 オリジナルプリント<富士山> 1点 全紙(42×58㎝)明治末~大正頃 個人蔵

翠山4

 翠山は、明治末(1911年)頃から富士山の撮影に取り組み、数多くの作品を制作、数次にわたって展覧会を開催していました。全紙サイズの水彩画用紙に、ムラなくきれいに印画された富士山の光景は透明感があり、まるで絵画のようにもみえます。右隅には「翠山」の手書きの印があることからも本人によるオリジナルプリントで間違いなく、この落款が本作の絵画性をより強く印象づけます。ピクトリアリズム(絵画主義)を代表する翠山の目指した「芸術写真」のひとつの到達点を示す名作といえるでしょう。

翠山5
 
2 オリジナルガラス乾板  8点 キャビネ版 年代不明 京都市歴史資料館蔵

翠山3
 
 アマチュア写真ブームを技術的に下支えしたのは、ゼラチン乾板での撮影が可能になったことでした。ガラス乾板とは、臭化カリウムと硝酸銀を混ぜてゼラチンに溶かした感光乳剤を、透明のガラス板に塗布した感光材料です。それまでは湿板写真が主流であり、ガラスに塗った乳剤が乾かないうちに撮影、現像定着をおこなう必要があり、取り扱いが非常に複雑で、だれにも手軽に撮影が行えるわけではありませんでした。いつでも好きなタイミングで撮影や現像ができるガラス乾板の登場で、写真が劇的に扱いやすくなり、ひろく一般に浸透していくことになります。日本では明治20年代から昭和30年代まで、盛んに使用されていました。ガラスの特性上、平滑度が高く、フィルムに比べてピントのシャープさも優れていました。

 翠山の写真もほとんどすべてがガラス乾板で撮影され、残された乾板は、京都府立京都学・歴彩館をはじめ、金閣寺、平安神宮、京都市歴史資料館、静岡県立美術館、滋賀県立琵琶湖文化館、東京都写真美術館などに寄贈され、大切に保存されています。今回は京都市歴史資料館より翠山撮影によるオリジナルのガラス乾板を8点お借りしました。

スキャナー
新たに開発・導入したガラス乾板専用超高解像度スキャナー

【関連展示①:ガラス乾板の利活用を目指す取り組み】 ガラス乾板と合わせてご覧いただきたいのが、今年あらたに便利堂が開発・導入した、ガラス乾板専用超高解像度スキャナーによるデジタル化画像のモニター展示です。8kにも対応できる超高解像度スキャナーが引き出したガラス乾板がもっている圧倒的な情報量をご覧ください。国内外で数多くのガラス乾板が保管されていますが、その扱いの難しさにより死蔵されているケースが多いと思われます。乾板の保存はもちろんのこと、高品位なデジタル化をすることにより、画像を保存し、それを活用していくことが必要だと考えています。

3 黒川翠山ポートレート     2点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
4 黒川翠山撮影 オリジナルプリント作品 3点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
5 黒川翠山撮影 オリジナルプリント絵はがき 1点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
6 スナップ写真「法隆寺金堂取材風景」 1点 昭和初期頃 京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山6
展示番号4:黒川翠山オリジナルプリントのうち1点。<富士山>と同じ手書きの「翠山」の印が書き込まれている。

7 京都写真帖1『京都の山水』  明治36年(1903) 便利堂発行 便利堂蔵

京都の山水

 コロタイプ写真集『京都の山水』(展示番号7)は、京都の美しい風物をテーマに便利堂が企画した「京都写真帖」シリーズの第1巻として明治36年(1903)4月に刊行されたものです。この『京都の山水』の巻頭には、「弊店懸賞募集当選写真」として6作家7作品が掲載されています。その1頁目を飾るのが黒川翠山による<八瀬の初冬>です。『京都の山水』の当選作は、翠山の活動最初期に当たり、彼の作品が公に発表された最初のひとつと言えるものではないかと思います。

8 京都写真帖3『京都の寺院』  明治36年(1903) 便利堂発行 便利堂蔵

京都の寺院1

同年6月には、京都写真帖の第3集として『京都の寺院』が刊行されましたが、こちらも同様にアマチュア写真家に懸賞募集をし、本書はしがきによると、実に300点の写真が寄せられたといいます。うち数十点が選ばれ掲載されましたが、翠山は5点の作品が採用されました。これらの作品の一部のオリジナルガラス乾板は、現在京都府立京都学・歴彩館に所蔵されています。こののち翠山は、明治39年(1906)の日露戦争戦捷記念博覧会に出品した<雨後>で名誉銀牌を授与され一躍有名となっていきます。

  【関連展示②:コロタイプ写真コンペティション「HARIBAN AWARD」】 このような便利堂が行っていた写真の懸賞募集を現代にリバイバルしたものが、弊社主催の写真コンペティション「HARIBAN AWARD」です。2014年に第1回が開催され、本年で第4回となります。先日募集が締め切られ、世界中の写真家から、約440名の応募がありました。現在審査中で、8月下旬には優秀賞が発表予定です。受賞者は2週間の京都滞在に招待され、職人と一緒に作品制作を行います。完成作は、翌年の京都グラフィー期間中に個展が開催されます。 公式サイト:www.benrido-collotype.today/collotype-competition

9 《小川保太郎「題 正月」京都素人写真協会 1月例会 1等当選》 発表の一枚物 明治36年頃 便利堂蔵

京都の山水6
 
 翠山と同年配で『京都の山水』に当選した一人に小川保太郎がいます。当選者としては唯一2作品が本書に掲載されています。撮影者の小川保太郎は、江戸中期から続く庭師「小川治兵衛」の八代目で、白楊と号しました。造園家としてだけではなく、考古学者・茶人としても活躍し、特に写真の分野では数々の京都の美しい風景を写し取った作品を残しています。

京都の寺院2
『京都の寺院』目次 上段中頃にのちの便利堂3代目主人、中村家三男の田中(中村)伝三郎の名前(「南禅寺山門」も確認できる)

 白楊を名乗る前の保太郎の作品としてもうひとつ残っているのが、《小川保太郎「題 正月」京都素人写真協会 1月例会 1等当選》と記された一枚ものです。『京都の山水』に挟み込まれて保存されており、同質の色調・用紙であることからも、おそらく同じ明治36年頃に印刷されたものではないかと考えられます。「京都素人写真協会」については、今のところ詳しくはわかりませんが、明治34(1901)年には「京都かめら倶楽部」、明治35年に「京都写真協会」が京都に設立されており、「京都写真協会」には翠山も参加していたようです。同じ明治34年設立の「東京写友会」「東洋写真会」、明治37年の「浪華写真倶楽部」「ゆふつヾ社」など、東京や大阪で起こっていたアマチュア写真団体が同時期に京都でも結成されていて、活発に活動していたことがわかります。

京都の寺院1
黒川翠山、山元春挙と並んで、名前が見えるのは実業家・内貴清兵衛。舟屋、橘村と号した。翠山と並び、便利堂絵はがきの多くの撮影を手がけた。

 推測の域はでませんが、もしかしたらこの「京都写真協会」が「京都素人写真協会」と同一団体か、あるいはその前身だったという可能性もあります。この「京都写真協会」設立の中心になったのが、日本画家であった山元春挙ではないかという説もあります。春挙は、雄大な風景を描くために自らカメラを持参し取材したといい、『京都の寺院』(展示番号8)には、春挙撮影による<黄檗山開山堂内陣>も掲載されており、すでにこの頃にはかなりの腕前であったことが知れます。展示の一枚もの並びに『京都の山水』表紙に「山元」なる手押しの印があり、また先の明治36年発行の『京都の寺院』の表紙絵が春挙であったことからも、確かにこの説と符合する点もあります。

 また、例会の当選作をこのようなコロタイプ刷にしていたということも興味深く、便利堂がなんらかこうしたかたちで活動を支援していたことがうかがえます。『京都の寺院』の掲載作家のひとりとして「田中伝三郎」の名前が確認できますが、これは創業の中村家の三男で(のちの便利堂3代目主人)、この頃は便利堂の写真師として活躍していたことが確認できるとともに、伝三郎自身がこうした京都の写真協会に所属している、あるいは近い存在で、そうしたネットワークがこのようなサポートや出版活動に連動していたのではないかと推察されます。

10 明治期に便利堂が発行した黒川翠山撮影の絵はがき
-1 「雨の嵐山」絵はがきセット  明治40年頃  便利堂蔵
-2 「松島の勝景」絵はがきセット(1)(2)   明治38年頃  便利堂蔵
-3 「比叡山頂 四明嶽の眺望」綴り絵はがき  明治40年頃  京都府立京都学・歴彩館蔵
-4 「比叡山 名勝」絵はがき帖  明治40年頃  便利堂蔵
-5 「三井寺 名勝」絵はがき帖  明治40年頃  京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山81

 翠山は明治38年10月に日光、塩原、松島、富士山南麓などの景勝地に取材旅行に行っており、その成果の一つが絵はがき集「千山萬水」となった。これに続き、展示番号の「松島の勝景」をはじめ、各地ごとの絵はがきセットが作られた。この時の松島のガラス乾板は京都府立京都学・歴彩館に所蔵されている。

「同店(注:便利堂)発行の「千山萬水」は斯道の獅子黒川翠山氏をして全国の名勝好風光地を跋渉せしめ、未だ全く人の之れを知らざる(中略)地をば、最も巧に写し出さしめしもの(後略)」(参照:参考パネル「京都便利堂書店の絵葉書に就いて」『手紙雑誌』第3巻第1号 明治39年1月)。

11 他社制作の黒川翠山撮影の絵はがき
-1 「平安神宮苑絵はがき」セット  大正~昭和初期  京都府立京都学・歴彩館蔵
-2 「みどりのかげ 第三十六集」  翠影会発行  大正頃  京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山91
翠山は仲間たちと「翠影会」をつくり「みどりのかげ」と題した絵はがきシリーズを数多く刊行した。

12 コロタイプニュープリント(京都の風景) 6点 半切(約35×43㎝)京都府立京都学・歴彩館「京 の記憶アーカイブ:黒川翠山写真資料」よりコロタイププリント
-1 <宇治塔の島>  明治末~大正頃  黒川翠山写真資料 951
-2 <巨椋池でのデンチ漁>  大正時代  黒川翠山写真資料 1425
-3 <円山公園>  撮影年未詳  黒川翠山写真資料 919
-4 <新京極>  昭和初期  黒川翠山写真資料 985
-5 <四条大橋>  昭和初期  黒川翠山写真資料 973
-6 <伏見稲荷大社>  撮影年未詳  黒川翠山写真資料 772

翠山10
<巨椋池でのデンチ漁>

 京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)がウェブ上に公開している「京の記憶アーカイブ:黒川翠山写真資料」よりダウンロードしたデジタル画像データより制作したコロタイププリントです。2000点におよぶ公開画像から今回選んだ作品のなかでも、<巨椋池でのデンチ漁>は、芸術作品としてだけでなく、写真がとどめる「記憶」としても価値があります。巨椋池(おぐらいけ)は淀川の中流域に発達した湖沼で、1940年代に干拓され、いまでは地名を残すだけでその姿を見ることができません。小舟の舳先で漁師が持ち上げている、おおきな円錐形の網をデンチ網といい、魚のいるところに網を突き立てて獲る、巨椋池にみられた特徴ある漁法のひとつでした。

翠山11
<宇治塔の島>

 また<宇治塔の島>では、和装の女性が4人、ほぼ等間隔で傘をさして、塔の島をめざして橋を渡っています。<宇治橋>と題する別写真にも、同一人物とおもわれる女性が4人、こちらも傘をさして写っているので、これはあきらかに同日、おなじモデルさんにポーズをとらせたものでしょう。宇治の石塔は1908年に再建されているので、再建後あまり年月を経ない時期の撮影と考えられます。ほかにも、<四条大橋><新京極><伏見稲荷大社><円山公園>など、いまも面影がみられる(あるいはほとんど変わらない)風景は京都ならではです。
 
13 表彰状:「写真富士八景」全国勧業博覧会 銀賞  1点 大正9年 京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山7

 9月1日(金)には、京都府立京都学・歴彩館の大塚活美さんのフロア・レクチャーを企画しています。黒川翠山について、あたりまえですが私の話よりも深く、ひろく、面白いお話をたくさんしてくださると思いますので、ぜひ足をお運びください。例年、お盆が明けても狂気的な暑さに見舞われる京都ですが、今年はすこしはやめに秋の気配…? 便利堂コロタイプギャラリーの「夏休み企画」をぜひお楽しみください!

※現在、京都文化博物館で開催中の「近代京都へのまなざし」展でも一部翠山の作品が展示されていますので、あわせてこちらもお楽しみください。

【フロアレクチャー】
9月1日(金)18:00~19:30(先着50名)
講師:大塚活美氏(京都府立京都学・歴彩館 資料課)



便利堂コロタイプギャラリー夏季企画展
生誕135年記念 黒川翠山の京都――明治期京都の写真とコロタイプ
8月21日(月)~9月8日(金)
11:00~18:00 ※土日休廊


いよいよこの夏、コロタイプアカデミーが開講します!

Posted by takumi suzuki on 17.2017 【コロタイプ、やりませんか collotype academy】   0 comments   0 trackback
急ピッチでマイスター山本が校舎をリノベーション! ただいま受講生募集中!

アカデミー講師_1

アカデミーロゴ_1

こんにちは!
コロタイプアカデミーのコーディネーター、溝縁です。
みなさん、つ・い・に… 「コロタイプアカデミー」が今月29日に開講します!

www.academy.benrido-collotype.today

便利堂コロタイプ工房は、世界でも希少となったコロタイプ技法を、ひとりでも多くの方に、知り・学び・実践していただく場を提供したいという思いから、このたび「コロタイプ・アカデミー」を開講することとなりました。

初心者向けの体験コースから、より深く学びたい方向けの専門コースまで、それぞれの方の興味に合わせたコースをラインナップし、熟練のコロタイプ・マイスターが丁寧に指導いたします。

daikanyama_1.jpg

まずは自己紹介から。
溝縁真子(みぞぶち・まこ) 1984年、京都府宇治市生まれ。京都精華大学芸術学部造形学科版画専攻し版画と写真を学び、卒業後の2010年に、さらにアート写真を学ぶためにドイツのライプツィヒ視覚芸術大学に留学。写真技術や表現方法だけでなく、作品を制作するうえで重要となる哲学や社会への向き合いかたなども学ぶ。2016年にマイスターシューラーを修了後、京都に戻り2017年から便利堂に入社。コロタイプ・アカデミーでは、主に講師のアシスト、及びアカデミーの運営全般を担当します。

kyotographie22-2_1.jpg

わたしはこれまで京都とライプツィヒで版画と写真、そして製本について学んできました。わたしがコロタイプという古典的な印刷技法を知ったのは、数年前にライプツィヒの印刷博物館を訪れた時のことでした。館内でのツアー担当の方が、以前までライプツィヒで稼働していたコロタイプ印刷所が閉鎖してしまい、今では唯一京都に工房が残っているのみと話してくださったのです。そして、偶然というか奇遇にも唯一と語られた便利堂に入社し、存続さえ危ぶまれる貴重な技術をひとりでも多くの方々に知っていただきたいと思っています。アカデミーをとおしてコロタイププリントの美しさや制作の喜びを味わっていただくことを切に願いながら、受講者のみなさまがより充実した時間を過ごしていただけるようさまざまな企画を考案中ですので、どうぞよろしくお願いします。

マイスターリノベーション

さて、その校舎となる便利堂本社の社屋D棟(裏庭にひっそりと佇む倉庫)は、オープンの7月29日に向けて、見違えるようなかっこいいアトリエ空間に様変わりしました!、全てのリノベーションは我らがコロタイプマイスター山本修の手によって施されました。そう、山本氏はアカデミーの講師です。アカデミーの開講を実現するために挑んだ左官工事やペンキを塗る姿は、まさに情熱のかたまり…! 今回はその姿を記録した写真を見ていただきたいと思います。素敵なbefore & afterです。

academy_1.jpg
棚の商品などを運びだし、壁のクロスや下地の撤去作業開始。かなり内部は老朽化しています。

このD棟は、本社がまだ町屋だったころの昭和50年代に建てられたもので、社屋では最も古いものでした。もともとは、工房の一部として使用されていましたが、現在では商品などを保管する倉庫となっていました。このD棟を再利用して新しいコロタイプ技術の研究拠点として、そしてその技術を使って作品を作る楽しさをたくさんの人に体感してもらうためにアカデミーを始めたい…! という鈴木社長の強い思いからアカデミーの構想が伝えられたのが、ほぼ一年前のことと聞いています。

academy_4.jpg

まずは、春先頃からそこに保管されていた貴重な作品や商品類を丁寧に移設するところからの出発(便利堂は、とにかく保管された貴重品が多い…!)。6月からは、雨漏り対策として屋上の防水コーティングに着手、そして品々が撤収され棚を運び出せば内装に取り掛かれる状況になったのは6月26日のこと。そこからマイスター山本の決死のDIYで、天井も、壁も、床もピカピカに! たまに妙な穴やほころびはあるものの、それはD棟の記憶をしっかり伝える痕跡のようなもの。

リノベーション_1

7月14日現在、新しいLED証明も備えられ、いよいよここにプレス機や作業台、水場や材料が運び込まれ開講を待つのみとなりました! すばらしい!

academy_3.jpg

工事をしながらの山本氏の一言…「わしはなぁ、工事が終わってから、ここでキンキンに冷えたビールで乾杯するんが楽しみなんや!」 はい、社内ではありますが、こけら落としの乾杯は必須かと…!

ここ一ヶ月そんな一部始終を見守っていましたが、私が目下楽しみにしているのは、もうすぐ届くル・◯◯ビジェのソファ! 奥の小部屋に置かれ、そこでは受講者の方に作業の合間のくつろぎタイムを過ごしてもらうことが出来そうです。

今は他の社員さんからは忘れられたようにひっそりと佇むD棟ですが、人の出入りのある空間は誰にとっても、訪れるのが楽しみな空間になるはずです。風通しのよい開かれたアトリエになりますように…! ここでたくさんの素敵なコロタイプが刷られること、そして、みなさんの真剣なまなざしや達成した時の嬉しい笑顔と出会えることを楽しみにしています!


ただいま受講生募集中!

いまなら開講記念として、受講料30%OFF!

■【1日コース とっておきの写真をモチーフに、絵はがきを作ってみましょう!】 7月29日、8月4日 各定員6名

■【2日コース コロタイプティシュー(版)の作り方を体験し、自分の写真をモチーフにした絵はがきを作ってみましょう!】 8月26日-27日 定員6名

■【5日コース 版の作り方から刷りまでを学び、8 x 10サイズのコロタイププリントを作ってみましょう!】 9月4日-8日 定員3名

詳しくはコロタイプ・アカデミーのサイトをご覧ください。

www.academy.benrido-collotype.today


プロフィール

takumi suzuki

Author:takumi suzuki
【コロタイプの過去・現在・未来。創業明治20年の京都 便利堂が100年以上にわたって続けているコロタイプ工房より最新の情報をお届けします】
Japanese:www.benrido.co.jp
English:www.benrido-collotype.today

カテゴリ

  • 【コロタイプとは? what is a collotype?】(1)
  • 【コロタイプ、やりませんか collotype academy】(15)
  • 【コロタイプで作品集をつくりませんか?】(1)
  • 【今日のコロタイプ】 (25)
  • 【コロタイプ技法解説 collotype process】(4)
  • 【コロタイプの歴史】(2)
  • 【古典印画技法 Altanative Process】(3)
  • 【コロタイプギャラリー】(25)
  • 【書棚のコロタイプ】(3)
  • 【コロタイプ技術の保存と印刷文化を考える会】(2)
  • 【法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト】(3)
  • 【文化財を護る技―「認定保存技術」プロジェクト】(0)
  • 【メディア取材】(5)
  • 未分類(1)
  • English(8)
  • HARIBAN AWARD(7)

全記事一覧

takumisuzuki123