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コロタイプ技法解説:1

Posted by takumi suzuki on 22.2012 【コロタイプ技法解説 collotype process】   0 comments   0 trackback
ゼラチン感光液の処方~ゼラチン版の作成 動画はこちら

apis tokyo 2012

この2012年9月8日・9日の2日間にわたって開催されますオルタナティブ・プロセス国際シンポジウム(Alternative Processes International Symposium 2012 Tokyo)に便利堂コロタイプも参加することになりました。

通称APISは、ボスティック&サリヴァン社の後援によりアメリカとヨーロッパで交互に開催されているオルタナティブプロセスをテーマとした国際シンポジウムです。1999年にサンタ・フェで第一回大会が開催され、以降アメリカではボスティック&サリヴァン、ヨーロッパでは英国王立写真協会ヒストリカルグループのテリー・キング氏のコーディネートで交互に開催されています。プログラムはオルタナティブプロセスに関する研究発表が中心となり、発表内容は歴史的研究や保存修復、各種技法の実際、新しい技術の応用まで多岐に渡っています。2012年、アジアで初めて日本で開催されます。

初日はカンファレンスとなっており、そのなかのデジタル・ネガについてのパネルディスカッションに便利堂からは工房長の山本がパネリストとして参加します。また、2日目には各種オルタナティブ・プロセスのワークショップが開催され、そのひとつとして、本邦初の本格的なコロタイプのワークショップを行う予定です! 是非興味のある方はご参加ください。定員8名ですので、お申し込みはお早めに! 前日のカンファレンス参加の方は見学していただけます。

体験
ART KYOTO 2012 便利堂ブースでのコロタイプ体験

今年の4月に開催されたART KYOTO 2012にてレタープレス機によるプリント体験を初めて行い好評いただいたのですが(⇒そのときのもようはこちら)、今回予定しているワークショップはゼラチン感光液の調合からゼラチン版をつくり、参加者の撮影ネガを焼き付け、自らレタープレス機でコロタイププリントするという初めての試みです。現在それに向けて鋭意準備中ですが、その一環として今回は今まであまり紹介されていなかったゼラチン感光液の処方を中心に技法説明を詳解したいと思います。


ゼラチン感光液の処方

コロタイプ版は、ゼラチンに重クロム酸塩を添加したクロムゼラチン感光液をガラス板に流布して加温乾燥した版です。これに画像を焼き付け水分を含ませると微細な皺が版面に形成され(レチキレーション)、この皺が顔料を抱き込み、画像を転写することができます(⇒「コロタイプとは?」

コロタイプとはこのゼラチン版が命といっても過言ではないでしょう。どんな処方でゼラチン感光液を作るかによって得られるプリントの結果は大きく変化しますし、逆に言うと得たい画像の調子に合わせて処方するということになります。ですので、かつてたくさん存在したコロタイプ印刷所各社には、その数だけレシピが存在しました。

便利堂コロタイプ工房の現在の処方は下記のとおりです。

ゼラチン①           720g
ゼラチン②           720g
水               15000ml
重クロム酸アンモニウム   180g
重クロム酸カリウム      180g
硝酸鉛               30g
安息香チンキ          180ml
エチルアルコール        180ml


ゼラチン感光液の調合①:薬品

上に挙げた薬品を大別すると次の3つに分けることができます。

A)ゼラチン
B)感光材:重クロム酸アンモニウム、重クロム酸カリウム
C)助剤:硝酸鉛、安息香チンキ、アルコール

ゼラチン
ゼラチン 2種類を各720g

感光液の主体はゼラチンです。かつてはコロタイプ用ゼラチンが存在しましたがコロタイプの衰退と伴い廃番となり、その後は写真用ゼラチンを使用していました。しかしこれも昨今のデジタル化の流れで適するものが入手困難となり、現在は新田ゼラチン株式会社さんの食用ゼラチンを用いています。

食用ゼラチンに移行するにあたっていろいろとテストを行いました。ゼラチンのコロタイプ適性は、その硬軟や粘度といったゼリー強度によるインキの着肉性、諧調、耐刷性などによって判断します。その結果、①粘度があり軟らかいゼラチン②粘度がなく硬いゼラチンの2種を同量ブレンドしています。

重クロム酸アンモニウム
重クロム酸アンモニウム Ammonium Dichromate (NH4)2Cr2O7
重クロム酸1
180g

重クロム酸カリウム
重クロム酸カリウム Potassium Dichromate K2Cr2O7
重クロム酸2
180g

重クロム酸塩それ自体は耐光性ですが、有機物と結合すると光に急速な反応を示します。コロタイプでは2種類の重クロム酸塩を用いますが、それぞれ違った性質を持っています。アンモニウム塩はカリウム塩にくらべ、感光性が高く暗反応での硬化も早い性質があります。一方カリウム塩はアンモニウム塩に比して感光性が緩やかなため保存性がよく、硬調になる性質があります。コロタイプが発明された頃はカリウム塩単体での処方でした。その後、2種類を同量処方するレシピが主流となったようで便利堂もそれに準じています。しかし、日本でもカリウム塩とアンモニア塩を10:69で処方している会社もあったことが昭和56年の記録に残っています。

硝酸鉛
硝酸鉛 Lead(Ⅱ)Nitrate Pb(NO3)2
硝酸鉛1
30g

硝酸鉛は重クロム酸塩と混合すると黄色のクロム酸鉛を形成します。黄色く不透明にすることで、露光時における画像の焼度と印刷時におけるインキの盛り具合を見やすくする効果があります。硝酸鉛の使用は日本で考案されたとも言われ、欧州ではこれを用いないので透明の版です(⇒「第2回世界コロタイプ会議」参照

イギリスの刷版
イギリスのゼラチン版

安息香チンキ
安息香チンキ Benzoin Tincture 180ml

安息香チンキの処方も日本で考案されました。ゼラチン感光液を塗布・乾燥すると感光膜の表面に径2㎜前後の「星」と呼ばれる円形の斑点がでます。これはゼラチンに含まれる脂肪分に起因すると考えられており、このままプリントを行うと、当然画像の中にこの斑点が出てしまいます。この星を出なくする効用が安息香チンキにあります。同量のエチルアルコールと一緒にゼラチン溶液に混合します。


ゼラチン感光液の調合②:薬品の混合

ゼラチン感光液1
ゼラチン(中)、各重クロム塩(左)、硝酸鉛(右)

2種各720gのゼラチンを12Lの精製水に1時間浸し膨潤させ、さらに1時間湯煎をしてゼラチンを溶解します。
重クロム酸塩2種と硝酸鉛はそれぞれ1Lの精製水を加え同様に湯煎します。
水に長時間浸しすぎるとゼラチンが溶け出してしまいゼリー強度が落ち、使えないものになってしまいます。

ゼラチン感光液2
ゼラチン溶液に重クロム酸アンモニウムを加える
ゼラチン感光液3
さらに重クロム酸カリウム
ゼラチン感光液4
アルコール(上)、安息香チンキ(下)
ゼラチン感光液5
最後に硝酸鉛を加える
ゼラチン感光液6
硝酸鉛を入れると卵液のような明るい黄色に変化
ゼラチン感光液7
漏斗とさらしで一次濾過
ゼラチン感光液8
この処方で3日~4日分のゼラチン感光液ができます
ゼラチン感光液9
冷やしながら一晩置いて熟成さす。熟成は10時間以上必要とされ、版の耐刷性を強くする結果が得られる


下引き作業

ゼラチン感光液を一晩寝かせた翌日にゼラチン版の作成を行います。その下処理として下引きと呼ばれる作業を行います。下引きにはガラス面とゼラチン感光膜を接着させる中間層の役目があり、この処理をしないとゼラチンの膜面が剥がれてしまいます。下引きには水ガラスを主剤とします。これの添加物として卵白やゼラチンを用いる方法もありますが、最も安定しているのがビールです。ビールは気の抜けたものを用います。ブランドは問わないようですが、発泡酒はだめだったそうです(実験済)。

下引き4
ケイ酸ナトリウム(水ガラス) Sodium Silicate Na2Si4O9
下引き2
ビールと水ガラスの水溶液。水ガラス3ml+水30mlとビール30ml
下引き1
下引き液の塗布
下引き3
下引きが済んだガラス板を乾燥機の台に水平に調整しながら置く

下引きは液を盛る方法もありますが、便利堂では布で拭き引きで行っています。下引きが終わると、次工程のゼラチン感光液の塗布作業のために乾燥機のなかに水平を計りながら並べて置きます。


ゼラチン版の作成

ゼラチン感光液10
前日から寝かせていた再びゼラチンを湯煎し溶かす
サポニン
サポニン Saponin 13g+水180ml(3日分)

一晩置いたゼラチンを再び湯煎にかけ溶かします。これを2次濾過します。ガラス板に塗布する直前にサポニンを添加します。サポニンには界面活性作用があり、ゼラチンの泡立ちを抑える効用があります。

ゼラチン版1
下引きの終わったガラス板にゼラチン感光液を流布します
ゼラチン版2
均等に延ばします
刷版1
気泡があれば突いて消す
刷版2
最大寸法のガラス板(1200mm×600mm用)は二人がかりで行う
刷版3
塗布が終わったガラス板は乾燥機に水平に並べる
刷版4
乾燥機
乾燥機内を55℃で約1時間30分加温乾燥させる

下引きの終わったガラス板にゼラチン感光液を塗布します。作業室は25℃~30℃に保温してあります。少し温めたガラス板にほこりなどが混ざらないように気を付けながら流布します。弓引きする方法もありますが、便利堂では版を前後左右に振り、均等に流し塗ります。イギリスでは紙片で塗り延ばしていました。
気泡やほこりを除去して乾燥機に戻します。55℃で約45分加温し、さらに45分余熱で乾燥させます。常温に戻れば乾燥作業は終わり、暗箱に保存し翌日の露光作業に備えます。
動画はこちら


次回技法説明は、製版~露光を中心に予定しています。

法隆寺金堂壁画とコロタイプ

Posted by takumi suzuki on 20.2012 【法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト】   0 comments   0 trackback
法壁31
法隆寺金堂壁画第6号壁「阿弥陀三尊二十五化生菩薩・童子図」 玻璃版複製12幅のうち 昭和12年制作

 我が国ほど数多くの文化財が伝世品という形で遺されている国はありません。発掘品や偶然にのこったものではなく、先人達の確かな意思で伝えられてきたものがほとんどです。その中には写本として伝わっているものもあります。オリジナルは失われても、その精巧な写しがのこされたことになります。

 文化財を未来へ伝えるためにコロタイプが活躍した最大の事例は法隆寺金堂壁画でしょう。オリジナルは昭和24(1949)年に惜しくも焼損してしまいましたが、昭和10(1935)年に原寸大で撮影された写真(ガラス乾板)が保存されていました。現在、法隆寺の金堂において私たちが目にすることができる壁画は、この乾板を使って刷られたコロタイプを下地として昭和42(1967)年に再現模写されたものです。今回はこの壁画の原寸撮影と玻璃版(コロタイプ)複製についてご紹介します。


法隆寺金堂壁画について
 
 聖徳太子ゆかりの法隆寺は、国民のみならず世界の人々に認識された日本を代表する寺院です。金堂壁画は、外陣の柱間の大壁4面に四方四仏、小壁8面に菩薩が描かれた計12面および栱間壁の山中羅漢図・内陣の飛天の壁画もあわせると50面となります。大壁小壁12面は、『法隆寺壁画保存方法調査報告書』(大正9年・1920、文部省)で付された番号を踏襲し、第1号壁~第12号壁と呼ばれます。
 
 壁画の制作年代は、金堂が建立された時期とも関連し、諸説ありますが、おそくとも西院伽藍の諸堂がととのう和銅4年(711)までに描き終っていたものと考えられます。壁画の様式や表現技法は、唐・敦煌莫高窟壁画(7世紀中頃から末)に淵源が求められますが、それに比しても金堂壁画には明快にして清冽な画趣がうかがわれ、高い画格と確かな技術力が看取することができます。堂々たる体躯を形造る鉄線描や、身体に密着して襞を重ねて濃い隈取で凹凸を表現する画法といった西域画の作風が、いち早くあたらしい表現方法としてわが国に受容され習得された結果といえるでしょう。

法壁 20
第1号壁「釈迦説法図」 玻璃版複製
霊鷲山で釈迦が『法華経』を説く場面を描いたもの。中尊の釈迦は施無畏・与願の通仏印を結び、右足を上に宣字座の上に結跏趺坐する。左右に薬王・薬上菩薩に比定される脇侍菩薩と、老壮に描き分けられた十大弟子が侍立する。


法壁 21
第2号壁「菩薩像」 玻璃版複製
円形の七重台座に、半跏に足を崩して左足を踏み下げ、右肘をついてやや前かがみに思惟する姿をあらわす。尊名
については諸説あって特定できない。図様は対面する第5号壁の「半跏形菩薩像」と同じ原型を反転して用いている。


法壁22
第3号壁「観音菩薩像」 玻璃版複製
宝冠に化仏をいただき、右手に蓮池から生える長茎の蓮華を執る観音菩薩。南壁東横端に描かれ、その対称の位置
にある西端の第4号壁「勢至菩薩像」とは、やはり同一原型を反転した関係にある。


法壁23
第12号壁「十一面観音像」 玻璃版複製
挙げた左手に蓮華、垂下した右手には瓔珞をとり、頭上に化仏をいただく9つの菩薩麺と頂上仏面をそなえ、本面
と合わせて十一面の観音像とする。向かい合う第7号壁の聖観音と同様に頭光と挙身光を負い、岩上の蓮華座に正
面向きで直立する。


童子
第6号壁「阿弥陀三尊二十五化生菩薩・童子図」化生童子部分 玻璃版複製(全図は文頭)
『無量寿経』を典拠に、蓮池から生えた一茎蓮枝の上に、阿弥陀三尊と22体の化生菩薩と3体の化生童子を描く。ササン朝ペルシャ系織錦文で飾られた豪華な後屏を背に、転法輪印を結ぶ朱衣の阿弥陀如来を中心とした本図は、金堂壁画中、屈指の出来栄えを示すものとたたえられてきた。




昭和の大修理と原寸大撮影事業

 昭和9年(1934)、文部省に「法隆寺国宝保存事業部」が設置され、国の事業として半世紀にわたる「法隆寺昭和の大修理」(〜昭和60年・1985)が始まります。壁画保存については明治時代からの懸案事項でしたが、まずは原寸大写真を撮影して現状を記録することに決定し、便利堂に委嘱されました。テストを経て翌10年8月から6人がかり75日間で原寸大モノクロ写真が外陣大小12面で374分割(全紙362枚)、赤外線写真が20枚以上撮影されました。この時に原色版用全図4色分解撮影も便利堂によって独自に行なわれました。

 法壁10
原寸大分割撮影カメラ(写真は模型) 昭和10年 六櫻社製(模型も)
金堂内部の通路は非常に狭いので、撮影にあたっては特別の工夫が必要であった。そこで六櫻社(小西六写真工業
株式会社、のちのコニカ)の技師たちの協力を得て特製のカメラ装置を設置することになる。まず、壁画の前に等大の枠を立て、その枠に特製の写真機を取り付け、写真機は枠の中で上下左右に自由に移動できるように仕組まれた。乾板は英・イルフォード社に全紙サイズ約50ダースを注文したが、あまりにも大量の発注であったので間違いであろうと照会してきたというエピソードが残っている。魂抜の法要ののち、まず最初に6号壁から作業を始め、組み立てに5日、ピント合わせに1カ月要したという。8月1日から始まった撮影は予定を1カ月以上延長して、10月15日に終了した。モノクロ印画3セットを文部省に納入。


 「撮影の初日、昭和10年8月1日、小西六写真工業株式会社の技師3名、便利堂より8名(当時技師長であった故佐藤浜次郎を首班として技師辻本米三郎を輔け、助手4名、営業部2名)が早朝に修理事務所に集合した。寺では壁画の魂抜の法要をするから撮影に関係する者は全部金堂に集まって呉れと連絡してきた。修理事務所側からは事務主任であった故今井文英氏、大滝正雄技師、岸熊吉技師、等外数名が参列された。魂抜の式は故佐伯定胤猊下を始め現管長佐伯良謙猊下等親しく奉修され午前中かかったように記憶する。式後私達は特に用意してきた白衣に着替えて、第6号壁(西方大壁)の前に枠の組立を初めた。」(「金堂壁画原寸大写真原板覚書」石黒豊次、『聖徳』9号、昭和32年3月) 

法壁12
原寸大分割撮影風景(2号壁) 昭和10年
堂内に縦横にスライドする特注のカメラを備え付け6人がかり75日間におよぶ撮影が行われた。


 「此の撮影のためには250ワット電球10個を使用できるように配電しておいたので、手許の明るくするつもりで2、3球をつけてみると、6号壁の本尊や脇侍菩薩の線がくっきりと浮かんで来て洵に崇高な美しさに輝き、今更に居並ぶ人々をして驚嘆させた。そして壁画と取組んでこれから何日か仕事をする事の重大な意義を感じさせ、且又新な勇気をふるい興させた。(略)そうしている中にふと私は壁画の下に沢山の顔料の剝落ちてるのに気が付いた。(略)私はそれを丹念に羽ぼうきで掃き集めて置いた。」(石黒氏前掲文)

法壁11
技師長・佐藤浜次郎
昭和2年、東京・辻本写真工芸社の高級原色版部を便利堂に併合することにともない、佐藤をはじめとする6名の技師が便利堂に移籍した。佐藤は辻本時代の大正8-9年に『法隆寺壁畫集』として原色撮影、昭和4年には便利堂『仏畫篇』で撮影を行っており、今回が3度目となる。


 撮影後、ただちに3組の印画を作成し文部省に納入しました。しかし翌昭和11年、写真の焼付は変色のおそれがあることから、コロタイプによる複製制作が再び文部省から依頼されました。先の原寸大モノクロ撮影のガラス乾板から膜面部分をはがし、永久保存を考慮して特別にあつらえた厚さ5ミリのガラス板に裏返して貼り替え、コロタイプ原板を作成。この原版から印刷された12面の原寸大複製20余組が昭和13年までに制作され、国内および主要国に頒布されました。このことは写真・印刷・表装の三面からも日本印刷史上、世界にも誇れるものと自負しています。

印刷
コロタイプ印刷作業風景 昭和13年中頃
明るい窓際に一列にならび、一人一台の平台印刷機で作業を行っている。当時は版のうえに和紙を置き、人力でハンドルを回してプレスをかけていた。この平台印刷機の一台は現在本社ロビーに展示している(写真後出)。


法壁3
コロタイプ版複製作業視察 昭和13年中頃
法隆寺佐伯定胤管長はじめ、昭和の大修理に尽力された国宝保存委員荻野仲三郎氏、国宝保存工事事務所初代所長武田五一氏などのお歴々が、工房に視察に来られた際のスナップ。昭和11年より作業に取り掛かり、完了したのは昭和13年であった。当初は12面30組を予定し、最終的には良品20余組が完成した。視察があった昭和13年中頃は、印刷、表具、仕上げの各作業をフル稼働で並行して行っていたと思われ、一日に3ヶ所をご案内したことがうかがえる。写真は印刷状況を視察される武田五一氏(中央手前)、左は技師長・佐藤浜次郎。


平版コロタイプ印刷機
昭和初期まで使用されていた平版印刷機。戦後、すくなくとも壁画の再現模写下図を印刷した昭和42年までには円圧の動力印刷機に取って代わることになった(後述)。

法壁5
佐藤技師長より刷上がりの説明を受ける佐伯定胤管長

法壁1

法壁6
表具作業風景
大壁は3メートル四方もあるため表具も大変な作業であった。写真は、どこかにお借りしたであろう大広間にて裏打ち、板張りの作業風景。表装は立入好和堂(立入徳三郎)。


法壁8

法壁9
完成品の検収風景
先に仕上がった複製をご披露しご確認していていただいているところ。佐伯定胤管長(右端)、荻野仲三郎氏(中央手前)


 複製にあたっては、耐久性・画像保存性を考え、和紙はもちろんインキについても大変なこだわりをもって取り組んでいました。インキは老舗の諸星インキ現DICグラフィック株式会社に特注し、原料の亜麻仁油の製造および精製は日清製油(現日清オイリオグループ株式会社)に特別の協力を得ました。そのときの様子は、当時このインキ開発に尽力いただいた諸星インキ・白土万次郎氏の回顧録に次のように記述してあります。

 「(略)佐藤氏はわざわざ上京して筆者をたずねこれに使用するコロタイプインキの製造を懇請された。そして氏のいうには実はこの印刷に使用するために仏国ロリロー製のコロタイプ墨を既に準備はしたが出来得れば外国製品は使いたくはない。国宝的美術品の保存という重大な事業であるから来歴の判明した国産品でしかも永久不変性の材料を使用したいとの熱烈な希望を披歴されたので熟考の結果、このインキの製造を引き受けることに決した。因みにこれに使用する雁皮紙は越前の某製紙所を指定して抄紙せしめたということであった。」 (「法隆寺壁画複製用コロタイプ墨製造について」白土万次郎、協会誌『色材』、第21巻第8号?、昭和23年)

 「第1回の製品インキ10キロを便利堂に送ったのは昭和12年4月初めであったが、間もなく同社から「早速ロリローインキ(世界で有名な仏国ロリロー会社の製品)と比較実験を行ったところロリロー製品に比して何等遜色なき立派な印刷ができたので(略)今回の法隆寺壁画複製には全部国産品たる諸星インキを使用することに決定した」との報告に接したときの喜びと満足とは生涯忘れることできない感激であった。

 (略)本印刷のために便利堂に納入したコロタイプ墨は30キロに達した。本インキ製造に際しては日清製油の協力を得て特に北海道産の亜麻仁を買い入れて厳冬中にオリビキをなして中和精製し、ついてワニスに製造し、さらにインキに練り上げたもので、その苦心と努力から算出すると高価なものになるので価格の決定には苦慮した。(略)この国家的事業に対しインキを寄贈し代金を請求しないことに決した(略)」(「法隆寺壁画複製余録」白土万次郎、協会誌『色材』、第33巻第4号、昭和35年4月)

 完成した複製20余組の頒布先は下記の通り(23組という記録も残っていますが、頒布記録とその後の所在確認等で24組となっています。すべての所在が確認できていませんので、一部所蔵先が移管していて重複している可能性があります。1-18までは昭和35年の記録)。当時の頒布価格は5000円とのことで京都工芸繊維大学の記録による現在に価格にすると1000万前後といったところでしょうか。

1-6)国立大学図書館(北大、東北大、東大、京大、阪大、九大か)
7)東京国立博物館
8)京都国立博物館
9)大阪市立美術館
10)京都市立芸術大学
11)京都工芸繊維大学(京都高等工芸学校)
12)東京工業大学(東京高等工業学校)
13,14,15)原田積善会(独国、伊国、満州国に寄贈)
16)ボストン美術館
17)大英博物館
18)ユーモホプロス氏 George Eumorfopoulos イギリスの美術蒐集家。没後、複製はロンドン大学アジアアフリカ学院図書館School of Oriental and African Studies at the University of London に寄贈。2007年所蔵確認)
19)三井記念美術館
20)女子美術学校(鐘紡繊維美術館旧蔵)
21)天理大学図書館
22)愛知芸術大学(1972年購入)
23)グーテンベルク博物館(1974年購入)
24)宝塚市図書館(1990年清荒神清澄寺より寄贈)


昭和の模写事業と壁画の罹災
 
 このコロタイプ印刷による原寸大複製で特筆されるべきは、昭和14年にはじまった壁画12面の「昭和の模写」と昭和24年に火災に遭ってから後、昭和42年にはじまる「再現壁画」の下図の作成に使用されたことです。

 金堂壁画の模写については、壁画保存対策の論議の中で明治35年(1902)には決定されていたようですが、実際に作業にとりかかったのは「昭和の模写」と呼ばれる昭和14年(1939)よりはじまった壁画12面の模写事業です。入江波光、荒井寛方、中村岳陵、橋本明治の4作家を中心とする16名の画家が作業にあたりました。コロタイプ複製を下図にして壁画を実見しながら描く現状模写が進められましたが、荒井・中村・橋本の3班は原寸大コロタイプ印刷された和紙の上に胡粉を塗り彩色していく手法をとり、入江班はコロタイプの上に和紙をおいて上げ写しする方法で模写されました。戦争をはさむ10年間にわたって、過酷な環境下で模写作業は続けられました。

橋本明治
橋本明治画伯「昭和の模写」の様子 昭和15〜23年頃(写真提供:橋本弘安氏)
蛍光灯に照らされた堂内で、壁画を前にしての模写作業


法壁27
「昭和の模写」の様子 昭和15〜23年頃
作業場を二階建ての櫓にしての模写作業。

 
 模写作業も終盤にさしかかった昭和24年(1949)1月26日の未明、金堂は火災に見舞われます。火災の原因は模写作業中に暖をとるための電気座布団のスイッチ切り忘れなどが取りざたされましたが不明とされています。火災の高熱と消火活動によって壁画は著しく損傷し、ほとんど出来上がっていた模写も罹災しました。現在焼損壁画は、柱とともに樹脂加工され、もう一度以前の形に組み立てられ収蔵庫の中に厳重に保存されています(重要文化財指定)

 この金堂火災をきっかけとして翌25年5月、今日の文化財保護法が制定され、昭和30年(1955)からは文化財保護の意識の徹底を図ることを目的に、出火した1月26日を「文化財防災デー」としています。この痛ましい焼損壁画こそが、我が国の文化財保護のシンボル的存在といえましょう。


原寸大ガラス乾板と再現壁画事業

 原寸大分割撮影のガラス乾板は、第二次大戦中は京都大原の三千院に疎開させるなど、唯一無二の貴重原板として丁重に便利堂で管理されてきました。しかし昭和24年の壁画焼損を機に、万全を期するため文部省の委嘱によりもう一組の複製乾板を作成して東京国立博物館(文化庁分室)に納入、昭和31年にオリジナル撮影原板は法隆寺内に新設された壁画資料の収蔵庫に移され現在まで厳重に保管されてきました。

 「模写の際原画の色を誤り写さない様にとの配慮からマツダランプに命じて蛍光灯を作らせてそれを使用した。(略)ある日入江班の人達について金堂内に入れて貰った。堂内は蛍光灯特有の薄い光で明るかった。そしてそこで驚いたのは、3年程前に、つまり昭和10年の撮影の時に、あれ丈きれいに掃除して置いた壁画の下部に、あの時と同じ程度に或いはそれ以上にさらに多くの顔料が剥げ落ちていたからである。3年位を周期にこれ位づつ剥落するとなると壁画の生命にも限りがあるなと私は思った。そうすると私達の撮った壁画の原版は実に大切にせねばならぬと考えた。」(石黒氏前掲文)

法壁 25
法隆寺収蔵庫でのガラス乾板保管状況

 「大阪第1回の空襲の翌日、私達は工場疎開を決心して実行にうつった。壁画の原板は大原の三千院と決まった。当日、日通のトラックを廻して貰って原板を積込んだ。(略)三千院の手前の石段下で車を止めて運ぶのだが、日通の仲仕達はこんな重いものは腹が減って運べないと云う。(略)私は持ってきた弁当箱を出して一番腹の減っている者が二人で半分づつ喰べて元気をつけろ、残った人には今何か喰べるものをさがして来てあげると云い置いて飛び出した。そして大原村を一戸々々個別に交渉して歩いた。そうするとある家で事情を聞いてこんな芋でもよければふかしてあげると云う。(略)それをザルに一杯盛って帰って来た。貰う方も喜んだが持って帰った私も少し得意であった。これで難なく運び込んだ」(石黒氏前掲文。同文は31年に原板を法隆寺収蔵庫に納めるにあたって書かれた)

法壁26
昭和10年撮影のガラス乾板
 
 昭和29年(1954)に再建された金堂の壁には何も描かれていない状態でしたが、朝日新聞社の呼びかけにより金堂壁画の模写が昭和42年(1967)3月に実施される運びとなりました。「昭和の模写」同様、コロタイプ版を和紙に薄くプリントしたものを下絵に用い、前回の模写や原色版図版などを参考に彩色を施す手法がとられました。
 
 安田靫彦、前田青邨、橋本明治、吉岡堅二の4作家に計14名の精鋭画家が、約40名の助手を伴い、作業開始から1年後の昭和43年2月に完成した壁画は、同年1月に内陣小壁の飛天図の模写とともに再建された金堂に壁にはめ込まれました。これにより火災から約20年ぶりに「再現壁画」により金堂が荘厳されることになりました。

法壁29
コロタイプ印刷風景 昭和42年
再び昭和10年のガラス乾板を法隆寺収蔵庫より借り出し、それを用いてゼラチン版に焼き付け、「再現壁画」の下図用コロタイプの印刷作業をしているところ(6号壁左脇侍の勢至菩薩部分)。印刷機は現在使用している円圧動力機に代わっている。


法壁28
刷り上がりのチェック作業
分割印刷をつないだ際に問題が無いか、それぞれの刷上がりのインキ調子を確認しているところ。


法壁30
前田青邨画伯「再現壁画」模写の様子
アトリエにて、資料を確かめながら第10号壁を描く前田画伯。左は守屋多々志画伯。



「ガラス乾板の保存」と「カラーコロタイプ版原寸大複製制作」プロジェクト

岩波
『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』岩波書店刊
コロタイプ多色刷1枚(6号壁菩薩お顔部分)とモノクロコロタイプ6枚を収載


 昨年6月に岩波書店から刊行された『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』の制作作業にあたり、原寸大撮影のガラス乾板一式を「再現壁画」作業以来約40年ぶりに法隆寺収蔵庫より借り出しました。その際、法隆寺様からこの乾板の保存についてどうしていったらよいうかというお話も出ていました。制作作業を終え、原板のご返却をしなければなりませんが、はたしてこの40年前の保存状態のまま再び収蔵庫に戻してしまってよいものか。今回納めてしまえばまた相当長期間にわたり今の状態で留め置かれると思われます。そこでこの機に何らかの出来うる限りの保存策を施すべきと考え、原板保存のプロジェクトを立ち上げました。現在有識者の方々にご意見を頂戴しているところです。近々には、原板全点の詳細な調書作成に着手する予定です。

 また、『法隆寺壁画選』に6号壁の菩薩部分の原寸大コロタイプ多色刷図版が一葉収載されていますが、新たな試みとして6号壁の原寸大全図のコロタイプ多色刷によるカラー版の複製の製作にチャレンジしたいと考えています。数年にわたるプロジェクトになると思いますが、ぜひ完成させてお披露目できる機会ができればと思っています。

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Author:takumi suzuki
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