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コロタイプギャラリー夏季企画展「黒川翠山の京都――明治期京都の写真とコロタイプ」のお知らせ

Posted by takumi suzuki on 21.2017 【コロタイプギャラリー】   0 comments   0 trackback
生誕135年を記念して開催! 9月1にはフロアレクチャーも行います!
8月21日(月)~9月8日(金) 11:00~18:00 ※土日休廊 @便利堂コロタイプギャラリー

翠山1

 みなさん、こんにちは。
 コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。今日は、次回企画展のお知らせです。
みなさんは、黒川翠山(くろかわすいざん)という名前をご存じでしょうか。明治、大正、昭和にかけて京都で活躍した写真家です。かくいう私は数年前まで聞いたこともありませんでした。いまでも恥ずかしながら、2013年に当社便利堂が出版した『明治の京都てのひら逍遥――便利堂美術絵はがきことはじめ』という本や当ブログで、何度か名前が登場したり、簡単な紹介があって見覚えていた程度です。

翠山12
展示番号1:黒川翠山<富士山>

 本2017年は、その黒川翠山生誕135年です。コロタイプギャラリー夏季企画展では、この黒川翠山という写真家について、特集展示をおこないます。顕彰といえるほど立派で網羅的なものではありませんが、ここ数年、コロタイプの原点回帰として、写真表現の試みをさかんに展開している私たちにとって、翠山あるいは同時期の新進アマチュア写真家の写真に対する思い、取り組み、腕前を知って紹介することは、まさに温故知新、有意義なことだと思うのです。

 19世紀中頃に日本に伝わった写真は、幕末から明治初期には写真館を構えた職業写真師によって確立されていきますが、明治20年頃になると、機材の進歩に伴い、本業は別に持ちながら、だからこそプロにはないフットワークの軽い、自由な精神で写真にアプローチするアマチュア写真家が活躍しはじめます。そうした写真家のひとりに黒川翠山(くろかわ・すいざん)がいます。便利堂とも関わりが深く、活動最初期には弊社主催の写真懸賞の入賞で斯界に登場し、以来便利堂が出版する数多くのコロタイプ絵はがきに写真原板を提供しています。本展では、生誕135周年を迎えた黒川翠山作品のコロタイプによるニュープリントを中心に、翠山によるオリジナルプリント、ガラス乾板、明治時代の写真帖や絵はがきなどを展観し、近代の移りゆく京都を活写したアマチュア写真家時代の翠山の姿を回顧いたします。


黒川翠山(1882-1944)

翠山2
展示番号3:黒川翠山ポートレート

 翠山は本名を種次郎といい、明治15年(1882)、呉服商の長男として京都市上京区(上立売大宮)に生まれました。翠山の息子、黒川武男氏が著した『未完成のしあわせ』に、翠山が生前に書いた『黒川家の家歴』が一部原文転載されています。それによりますと、小学校、高等小学校ともに「優等」「品行方正」「首席」でありながら、16歳で父を亡くした後は、家業を継ぐも多額の負債整理におわれた挙句、18歳の春に呉服商を閉店、家財産悉く失い無一文となります。そこで、「この打撃に依り大に悟る処あり、金銭より名誉、即ち天下に名声を博し以て家を起さんと志し、最も新進の芸術として将来有望なる芸術写真の研究を始む」と、芸術写真家の道を歩みはじめます。若くして相当の苦労を負い、思うところあって写真の道に進んだ経緯と、それだけに後がないという覚悟が感じられます。

 とはいえ師に就く金もなく、写真の研究は独学、「天候急変せる山上の雄大なる天然」が師でした。しかしだからこそ、自身が認めているように、雨、雲、霧、雪、光などを、独特の情緒を湛えて水墨画のように写真表現する技を獲得し、明治39年(1906)23歳のときには、日露戦争戦捷紀念博覧会(大阪天王寺)に出品した<雨後>で名誉銀牌を授与され一躍有名となります。この後は、数多くの写真コンクールで出品作が入選したり、雑誌『太陽』や懸賞写真画集『写真例題集』などで毎月のように作品が名前とともに掲載され、芸術愛好家の間では知られた存在となっていき、大正期には『婦人画報』『少女画報社』の京都支部を託されるなど、名実ともに芸術写真家として大成します。昭和19年(1944)逝去、享年61歳。


明治中期のアマチュア写真ブーム

 このように翠山が写真家として活動を開始した時期は、アマチュア写真家が台頭しはじめる「芸術写真」草創期といえるものでした。日本に写真が渡来したのは1850年代から60年代ですが、その頃は、自分たちの姿や身のまわりの風景が絵画ではなく「リアル」として現出することに、おそらく、ただただ驚きをもって迎えられた時期です。明治維新後、1870年代から80年代、写真という存在は、日常に定着するものの、いまだ職業写真家や一部上流階級の好事家の楽しみの域をでません。それが19世紀末から、写真が絵画との関係性のなかで考えられはじめ、一部では、写真を「芸術」として捉え実践しはじめる土壌が醸成されます。その頃、初期の撮影技術であるコロジオン湿板法から、ゼラチン乾板法への技術革新が後押しするかたちで、写真が一般的な(といっても、誰もがというわけではもちろんなく)余暇の楽しみのひとつになり、富裕層を中心としたアマチュア写真家が日本各地であらわれ活動をはじめるのです。

 翠山が家財産をすべて失ったのは、まさにこの頃ですが、まったくの思いつきで写真の道を志したわけではないでしょう。翠山はもと呉服商の坊っちゃんですから、幼少のころより身近に写真があり、趣味として接してきたことも推察できます。


翠山と便利堂

 もちろん当社便利堂も、翠山とは浅からぬ縁があります。便利堂の創業は明治20年(1887)に書店としてはじまり、出版を行っていました。翠山の写真家としての活動最初期である明治36年(1903)4月、便利堂が懸賞募集のうえ刊行した『京都の山水』(展示番号7)に<八瀬の初冬>が入選、巻頭掲載されました。同年9月にも、便利堂刊行の『京都の寺院』(展示番号8)に、同時代の新進写真家とともに翠山の作品が5点掲載されます。

京都の山水2
『京都の山水』(展示番号7)に掲載された<八瀬の初冬>(右)

 これを機縁に、便利堂が明治38年(1905)に刊行する絵はがきシリーズ「京名所百景」では、社寺の建築美や街並み、名勝、祭礼、風俗をはじめとした各種絵はがきの原板を数多く撮影しました。同年5月には、大阪絵葉書奨励展覧会に出品し、乙種の部で橋本関雪の日本画<相撲>を押さえ、翠山の<山>が一等賞となりました(「大阪絵葉書 奨励展覧会審査結果」『手紙雑誌』第2巻第3号 明治38年6月)。前述した、戦捷紀念博覧会で銀牌を授賞し、世間で脚光をあびる前年のことです。ちょうど便利堂が社内にコロタイプ工房を開設した年にもあたり、コロタイプによる写真集や絵はがき制作に本腰を入れはじめた時期にぴったり符合します。その後も便利堂発行の絵はがき集で撮影原板を提供するなど、この頃の翠山は便利堂お抱えの写真技師としても大いに活躍していたのです。

翠山13
「大阪絵葉書 奨励展覧会審査結果」『手紙雑誌』第2巻第3号 明治38年6月

「京都三条富小路の便利堂は、関西絵葉書界の重鎮である。(中略)便利堂は印刷部として有名なるコロタイプ製版所を有して居る、加えその写真部には斯界の獅子児たる黒川翠山氏を始め、(中略)常に各地を跋歩して、人の未だ写し得ざる新勝景新題目を捉ふるに勉めつつある(中略)便利堂が従来の絵葉書界に少なからず欠乏を感じて居た風景物に手を着けられたのは吾々の大いに賛成する所である」(「風景絵葉書と京都の便利堂」『手紙雑誌』第3巻第10号 明治39年10月)。


展示リスト

1 オリジナルプリント<富士山> 1点 全紙(42×58㎝)明治末~大正頃 個人蔵

翠山4

 翠山は、明治末(1911年)頃から富士山の撮影に取り組み、数多くの作品を制作、数次にわたって展覧会を開催していました。全紙サイズの水彩画用紙に、ムラなくきれいに印画された富士山の光景は透明感があり、まるで絵画のようにもみえます。右隅には「翠山」の手書きの印があることからも本人によるオリジナルプリントで間違いなく、この落款が本作の絵画性をより強く印象づけます。ピクトリアリズム(絵画主義)を代表する翠山の目指した「芸術写真」のひとつの到達点を示す名作といえるでしょう。

翠山5
 
2 オリジナルガラス乾板  8点 キャビネ版 年代不明 京都市歴史資料館蔵

翠山3
 
 アマチュア写真ブームを技術的に下支えしたのは、ゼラチン乾板での撮影が可能になったことでした。ガラス乾板とは、臭化カリウムと硝酸銀を混ぜてゼラチンに溶かした感光乳剤を、透明のガラス板に塗布した感光材料です。それまでは湿板写真が主流であり、ガラスに塗った乳剤が乾かないうちに撮影、現像定着をおこなう必要があり、取り扱いが非常に複雑で、だれにも手軽に撮影が行えるわけではありませんでした。いつでも好きなタイミングで撮影や現像ができるガラス乾板の登場で、写真が劇的に扱いやすくなり、ひろく一般に浸透していくことになります。日本では明治20年代から昭和30年代まで、盛んに使用されていました。ガラスの特性上、平滑度が高く、フィルムに比べてピントのシャープさも優れていました。

 翠山の写真もほとんどすべてがガラス乾板で撮影され、残された乾板は、京都府立京都学・歴彩館をはじめ、金閣寺、平安神宮、京都市歴史資料館、静岡県立美術館、滋賀県立琵琶湖文化館、東京都写真美術館などに寄贈され、大切に保存されています。今回は京都市歴史資料館より翠山撮影によるオリジナルのガラス乾板を8点お借りしました。

スキャナー
新たに開発・導入したガラス乾板専用超高解像度スキャナー

【関連展示①:ガラス乾板の利活用を目指す取り組み】 ガラス乾板と合わせてご覧いただきたいのが、今年あらたに便利堂が開発・導入した、ガラス乾板専用超高解像度スキャナーによるデジタル化画像のモニター展示です。8kにも対応できる超高解像度スキャナーが引き出したガラス乾板がもっている圧倒的な情報量をご覧ください。国内外で数多くのガラス乾板が保管されていますが、その扱いの難しさにより死蔵されているケースが多いと思われます。乾板の保存はもちろんのこと、高品位なデジタル化をすることにより、画像を保存し、それを活用していくことが必要だと考えています。

3 黒川翠山ポートレート     2点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
4 黒川翠山撮影 オリジナルプリント作品 3点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
5 黒川翠山撮影 オリジナルプリント絵はがき 1点 年代未詳 京都府立京都学・歴彩館蔵
6 スナップ写真「法隆寺金堂取材風景」 1点 昭和初期頃 京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山6
展示番号4:黒川翠山オリジナルプリントのうち1点。<富士山>と同じ手書きの「翠山」の印が書き込まれている。

7 京都写真帖1『京都の山水』  明治36年(1903) 便利堂発行 便利堂蔵

京都の山水

 コロタイプ写真集『京都の山水』(展示番号7)は、京都の美しい風物をテーマに便利堂が企画した「京都写真帖」シリーズの第1巻として明治36年(1903)4月に刊行されたものです。この『京都の山水』の巻頭には、「弊店懸賞募集当選写真」として6作家7作品が掲載されています。その1頁目を飾るのが黒川翠山による<八瀬の初冬>です。『京都の山水』の当選作は、翠山の活動最初期に当たり、彼の作品が公に発表された最初のひとつと言えるものではないかと思います。

8 京都写真帖3『京都の寺院』  明治36年(1903) 便利堂発行 便利堂蔵

京都の寺院1

同年6月には、京都写真帖の第3集として『京都の寺院』が刊行されましたが、こちらも同様にアマチュア写真家に懸賞募集をし、本書はしがきによると、実に300点の写真が寄せられたといいます。うち数十点が選ばれ掲載されましたが、翠山は5点の作品が採用されました。これらの作品の一部のオリジナルガラス乾板は、現在京都府立京都学・歴彩館に所蔵されています。こののち翠山は、明治39年(1906)の日露戦争戦捷記念博覧会に出品した<雨後>で名誉銀牌を授与され一躍有名となっていきます。

  【関連展示②:コロタイプ写真コンペティション「HARIBAN AWARD」】 このような便利堂が行っていた写真の懸賞募集を現代にリバイバルしたものが、弊社主催の写真コンペティション「HARIBAN AWARD」です。2014年に第1回が開催され、本年で第4回となります。先日募集が締め切られ、世界中の写真家から、約440名の応募がありました。現在審査中で、8月下旬には優秀賞が発表予定です。受賞者は2週間の京都滞在に招待され、職人と一緒に作品制作を行います。完成作は、翌年の京都グラフィー期間中に個展が開催されます。 公式サイト:www.benrido-collotype.today/collotype-competition

9 《小川保太郎「題 正月」京都素人写真協会 1月例会 1等当選》 発表の一枚物 明治36年頃 便利堂蔵

京都の山水6
 
 翠山と同年配で『京都の山水』に当選した一人に小川保太郎がいます。当選者としては唯一2作品が本書に掲載されています。撮影者の小川保太郎は、江戸中期から続く庭師「小川治兵衛」の八代目で、白楊と号しました。造園家としてだけではなく、考古学者・茶人としても活躍し、特に写真の分野では数々の京都の美しい風景を写し取った作品を残しています。

京都の寺院2
『京都の寺院』目次 上段中頃にのちの便利堂3代目主人、中村家三男の田中(中村)伝三郎の名前(「南禅寺山門」も確認できる)

 白楊を名乗る前の保太郎の作品としてもうひとつ残っているのが、《小川保太郎「題 正月」京都素人写真協会 1月例会 1等当選》と記された一枚ものです。『京都の山水』に挟み込まれて保存されており、同質の色調・用紙であることからも、おそらく同じ明治36年頃に印刷されたものではないかと考えられます。「京都素人写真協会」については、今のところ詳しくはわかりませんが、明治34(1901)年には「京都かめら倶楽部」、明治35年に「京都写真協会」が京都に設立されており、「京都写真協会」には翠山も参加していたようです。同じ明治34年設立の「東京写友会」「東洋写真会」、明治37年の「浪華写真倶楽部」「ゆふつヾ社」など、東京や大阪で起こっていたアマチュア写真団体が同時期に京都でも結成されていて、活発に活動していたことがわかります。

京都の寺院1
黒川翠山、山元春挙と並んで、名前が見えるのは実業家・内貴清兵衛。舟屋、橘村と号した。翠山と並び、便利堂絵はがきの多くの撮影を手がけた。

 推測の域はでませんが、もしかしたらこの「京都写真協会」が「京都素人写真協会」と同一団体か、あるいはその前身だったという可能性もあります。この「京都写真協会」設立の中心になったのが、日本画家であった山元春挙ではないかという説もあります。春挙は、雄大な風景を描くために自らカメラを持参し取材したといい、『京都の寺院』(展示番号8)には、春挙撮影による<黄檗山開山堂内陣>も掲載されており、すでにこの頃にはかなりの腕前であったことが知れます。展示の一枚もの並びに『京都の山水』表紙に「山元」なる手押しの印があり、また先の明治36年発行の『京都の寺院』の表紙絵が春挙であったことからも、確かにこの説と符合する点もあります。

 また、例会の当選作をこのようなコロタイプ刷にしていたということも興味深く、便利堂がなんらかこうしたかたちで活動を支援していたことがうかがえます。『京都の寺院』の掲載作家のひとりとして「田中伝三郎」の名前が確認できますが、これは創業の中村家の三男で(のちの便利堂3代目主人)、この頃は便利堂の写真師として活躍していたことが確認できるとともに、伝三郎自身がこうした京都の写真協会に所属している、あるいは近い存在で、そうしたネットワークがこのようなサポートや出版活動に連動していたのではないかと推察されます。

10 明治期に便利堂が発行した黒川翠山撮影の絵はがき
-1 「雨の嵐山」絵はがきセット  明治40年頃  便利堂蔵
-2 「松島の勝景」絵はがきセット(1)(2)   明治38年頃  便利堂蔵
-3 「比叡山頂 四明嶽の眺望」綴り絵はがき  明治40年頃  京都府立京都学・歴彩館蔵
-4 「比叡山 名勝」絵はがき帖  明治40年頃  便利堂蔵
-5 「三井寺 名勝」絵はがき帖  明治40年頃  京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山81

 翠山は明治38年10月に日光、塩原、松島、富士山南麓などの景勝地に取材旅行に行っており、その成果の一つが絵はがき集「千山萬水」となった。これに続き、展示番号の「松島の勝景」をはじめ、各地ごとの絵はがきセットが作られた。この時の松島のガラス乾板は京都府立京都学・歴彩館に所蔵されている。

「同店(注:便利堂)発行の「千山萬水」は斯道の獅子黒川翠山氏をして全国の名勝好風光地を跋渉せしめ、未だ全く人の之れを知らざる(中略)地をば、最も巧に写し出さしめしもの(後略)」(参照:参考パネル「京都便利堂書店の絵葉書に就いて」『手紙雑誌』第3巻第1号 明治39年1月)。

11 他社制作の黒川翠山撮影の絵はがき
-1 「平安神宮苑絵はがき」セット  大正~昭和初期  京都府立京都学・歴彩館蔵
-2 「みどりのかげ 第三十六集」  翠影会発行  大正頃  京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山91
翠山は仲間たちと「翠影会」をつくり「みどりのかげ」と題した絵はがきシリーズを数多く刊行した。

12 コロタイプニュープリント(京都の風景) 6点 半切(約35×43㎝)京都府立京都学・歴彩館「京 の記憶アーカイブ:黒川翠山写真資料」よりコロタイププリント
-1 <宇治塔の島>  明治末~大正頃  黒川翠山写真資料 951
-2 <巨椋池でのデンチ漁>  大正時代  黒川翠山写真資料 1425
-3 <円山公園>  撮影年未詳  黒川翠山写真資料 919
-4 <新京極>  昭和初期  黒川翠山写真資料 985
-5 <四条大橋>  昭和初期  黒川翠山写真資料 973
-6 <伏見稲荷大社>  撮影年未詳  黒川翠山写真資料 772

翠山10
<巨椋池でのデンチ漁>

 京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)がウェブ上に公開している「京の記憶アーカイブ:黒川翠山写真資料」よりダウンロードしたデジタル画像データより制作したコロタイププリントです。2000点におよぶ公開画像から今回選んだ作品のなかでも、<巨椋池でのデンチ漁>は、芸術作品としてだけでなく、写真がとどめる「記憶」としても価値があります。巨椋池(おぐらいけ)は淀川の中流域に発達した湖沼で、1940年代に干拓され、いまでは地名を残すだけでその姿を見ることができません。小舟の舳先で漁師が持ち上げている、おおきな円錐形の網をデンチ網といい、魚のいるところに網を突き立てて獲る、巨椋池にみられた特徴ある漁法のひとつでした。

翠山11
<宇治塔の島>

 また<宇治塔の島>では、和装の女性が4人、ほぼ等間隔で傘をさして、塔の島をめざして橋を渡っています。<宇治橋>と題する別写真にも、同一人物とおもわれる女性が4人、こちらも傘をさして写っているので、これはあきらかに同日、おなじモデルさんにポーズをとらせたものでしょう。宇治の石塔は1908年に再建されているので、再建後あまり年月を経ない時期の撮影と考えられます。ほかにも、<四条大橋><新京極><伏見稲荷大社><円山公園>など、いまも面影がみられる(あるいはほとんど変わらない)風景は京都ならではです。
 
13 表彰状:「写真富士八景」全国勧業博覧会 銀賞  1点 大正9年 京都府立京都学・歴彩館蔵

翠山7

 9月1日(金)には、京都府立京都学・歴彩館の大塚活美さんのフロア・レクチャーを企画しています。黒川翠山について、あたりまえですが私の話よりも深く、ひろく、面白いお話をたくさんしてくださると思いますので、ぜひ足をお運びください。例年、お盆が明けても狂気的な暑さに見舞われる京都ですが、今年はすこしはやめに秋の気配…? 便利堂コロタイプギャラリーの「夏休み企画」をぜひお楽しみください!

※現在、京都文化博物館で開催中の「近代京都へのまなざし」展でも一部翠山の作品が展示されていますので、あわせてこちらもお楽しみください。

【フロアレクチャー】
9月1日(金)18:00~19:30(先着50名)
講師:大塚活美氏(京都府立京都学・歴彩館 資料課)



便利堂コロタイプギャラリー夏季企画展
生誕135年記念 黒川翠山の京都――明治期京都の写真とコロタイプ
8月21日(月)~9月8日(金)
11:00~18:00 ※土日休廊


プロフィール

takumi suzuki

Author:takumi suzuki
【コロタイプの過去・現在・未来。創業明治20年の京都 便利堂が100年以上にわたって続けているコロタイプ工房より最新の情報をお届けします】
Japanese:www.benrido.co.jp
English:www.benrido-collotype.today

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