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◎写真集:ハール・フェレンツ 『ハンガリヤ』 昭和16年(1941)

Posted by takumi suzuki on 21.2012 【書棚のコロタイプ】   0 comments   0 trackback
『ハンガリヤ』昭和16年(1941) 上製本、表紙カバー
ハール・フェレンツ Haar Ferenc 『ハンガリヤ』
写真/ハール・フェレンツ 表紙/ハール・イレーヌ 編集/井上清一 序文/三井高陽
発行年/昭和16年(1941)4月10日 発行者/井上清一(スメル社写真研究所) 発行所/日洪文化協会 印刷所/株式会社 便利堂
仕様/上製本、カバー巻、365×270mm 本文74頁



カテゴリー「書棚のコロタイプ」では、新旧のさまざまなコロタイプの本をご紹介でしていこうと思っています。
最初の一冊は戦前の写真集、ハンガリーの写真家ハール・フェレンツ撮影の『ハンガリヤ』です。

会社の書庫にもあったと記憶しているのですが、安くオークションで出ていたのでちょっと前に入手し、たまたま手元にあったのでこのあたりからどうかな思った次第です。

表紙カバーは、ハンガリーの民族文様をモチーフにしたデザインが和紙に木版5色刷で表現され、70年以上たった今も色鮮やかに残っています。「表紙 ハール・イレーヌ」とクレジットされており、奥さんがデザインしたのかもしれません。ちなみにハンガリーでは日本の苗字とと同じく先にファミリーネームが来るそうです。表紙カバーをはずすと、上製本のくるみ表紙はきらびき和紙にカバーと同じタイトルロゴが赤色で木版刷されています。

『ハンガリヤ』ハンガリヤの草原 ホルトバーデュ
「ハンガリヤの草原 ホルトバーデュ」

本文には、牧歌的な農村風景や人々など作者の祖国ハンガリーの風物を詩的に写し取った30図が上質紙系の洋紙にコロタイプで印刷され収録されています。本紙は周囲が少々紙ヤケしていますが、非常に状態がよくこの時期の書籍にも関わらず、比較的良質な用紙を使用していることがわかります。

作者のハール・フェレンツ(Haar Ferenc 1908-1997)は、ブタペストで映画会社の仕事をしながら独学で写真を学び、1937年にパリに移って商業写真スタジオを開業。1939年頃に日本側の招聘で来日し、戦後60年まで東京で活躍されたようです。ごく最近までご存命だったことに驚きました。2009年8月には「日本・ハンガリー国交樹立140周年記念」として回顧展が開催されていました(詳しくは飯沢耕太郎氏の紹介文参照)

『ハンガリヤ』麦刈りの帰り
「麦刈りの帰り」

『ハンガリヤ』ホモツクミージュの田舎娘
「ホモツクミージュの田舎娘」 表紙デザインとよく似た文様の衣装を着ています。

『ハンガリヤ』バラトン湖
「バラトン湖」

氏のモダンな画面構成に魅入るとともに、仕事柄ついつい細部の刷り具合に目が行ってしまいます。現代の目からすると、紙のラフさもあいまって少しぼんやりした図版のような印象を受ける方も多いと思いますが、それがだんだん違うように見えてくるのが面白いところです。人物と背景の遠近感やハイライトのなかでの空と雲の調子など、コロタイプ独特の雰囲気が出ているのと、「この職人さん、ちゃんと写真わかって刷ってるな」というのがみえて楽しいのと同時に、今の我々がそれをやろうとしてなかなか難しいという課題に立ち戻るいい機会となり勉強になります。

『ハンガリヤ』チャルダーシュを踊るメゾコベージュドの村人
「チャルダーシュを踊るメゾコベージュドの村人」 雰囲気感じるためにカルマンのオペレッタ"チャールダーシュの女王"聞きながらブログ書いてます

図版はコロタイプモノクロ1色の片面刷。キャプションはグレーの活版で刷られています。各図版の前には薄葉紙が挟み込まれていますが、これはコロタイプのインクが非常に濃いため裏移りを防ぐためです。何十年もたった今でも今にも手につきそうなぐらい黒々としています。そしてこの薄葉に図版解説などが刷り込まれることも多いです。本書では、ところどころにハンガリー民謡の譜面とその訳詩が刷られ、異国の情緒を醸し出す演出がなされています。図版が全点二方断切りというのも、なんか斬新です。

足継ぎ製本
製本のノド部分拡大「足継ぎ製本」。細長い茶色い部分が継ぎ足した和紙

製本はいわゆる角背・ホローバックの上製本ですが、普通とは少し違うのが「足継ぎ製本」という形をとっている点です。一般的には、製本は一枚の紙に何頁かを印刷して折りたたんで綴じていきます。足継ぎ製本とは、1頁ずつそのノドの部分に細長い和紙などを継ぎ足して製本することで、別丁頁を綴じ込む場合やノドの開きを良くしたりする場合に用いられたりします。しかし本書の場合はそれ以外にも大型コロタイプ本特有の理由が考えられます。

平版コロタイプ印刷機
平版コロタイプ印刷機。本社1Fに展示してあります。

写真は石版印刷機をベースにした平版のコロタイプ印刷機です。正確な記録は残っていませんが、現在の円圧動力機を導入する前の、おそらく明治から戦後しばらくまで使用されていた機械です。動力を完全に人間の力に頼っているので、一日何百枚も刷る当時の職人さんたちは技術的にも体力的にも大変だったと頭が下がる思いです。この平版印刷機が刷れるサイズが全紙判(約B3判)であり、本書が約B4判ですので、おそらく2丁付(2頁を一度に刷ること)で印刷し、1頁分に断裁してから足継ぎで1頁ずつ綴じたのだと思います。本社書庫には、全紙判の超大型書もありますので、ご紹介する機会があればと考えています。

『富士山麓』昭和17年(1942) 上製本、表紙カバー、函 サイズ370×275㎜
『富士山麓』 昭和17年(1942) 

ハール・フィレンツの写真集はこの『ハンガリヤ』に前後して同様の大型写真集が2冊発表されているようです。1冊は前年の昭和15年に刊行された『東洋への道』(編集/井上清一 発行所/アルス 図版90点)と翌年17年の『富士山麓』(序文/三井高陽 編集・発行/スメル写真研究所 図版33点)です。つまり太平洋戦争勃発直前からの3年間に毎年1冊でていることになります。日本での第一冊となる『東洋への道』は2部構成となっています(1部「巴里1938」、2部「ハンガリヤより日本へ」)。文字通り、祖国からパリを経て来日する足跡がまとめられています。残念ながらほか2冊は未見です(ので、当社印刷かどうかも不明です)。国会図書館には収蔵されているようなので今度閲覧してきます。

『ハンガリヤ』奥付
『ハンガリヤ』奥付

3冊ともに共通しているのが編集・発行の「井上清一」もしくは「スメル写真研究所」(『ハンガリヤ』の奥付では「スメル写真研究所」となっていますが誤植なのでしょう)。ハンガリー語のフィレンツ氏のバイオグラフィに「1937年のパリ万博にはいくつかの写真を展示し、この結果、パリに移住することにした。映画監督の川添の招待である」と記載があります。この「川添」とは、1940年までパリに滞在しロバート・キャパと親交が深かった文化交流プロデューサーの川添浩史氏と思われます。ハール・フィレンツの「東洋への道」の陰には川添氏の影響があったことが察しられます。そして川添氏とともにキャパと親しく生活していたのが井上清一氏です(のちにふたりはキャパの著作『ちょっとピンぼけ』を共訳)。大戦前夜のパリの交友関係が忍ばれて大変興味深いです。詳しい方いらっしゃいましたらぜひご教示ください。

井上清一氏は便利堂4代目社長 中村竹四郎の次女・和子さんと結婚され、一時便利堂にも在籍されていました。当時竹四郎が経営していた大阪の星岡茶寮の会員名簿(昭和13年6月1日付)にも井上氏の名前が確認でき、資料によると、ちょうどこの本が刊行された昭和16年に結婚されたようなので、この一連のお付き合いおよび出版がご縁になったようです(下記【追記】参照)。

序文
序文の三井高陽男爵の署名

そしてもうひとりの重要人物が2冊に序文を寄せている三井高陽(みつい・たかはる)男爵です。三井南家10代当主である高陽氏は、三井系列企業の重役を務める傍ら、海外との文化交流にも力を注がれた人物のようです。ここでの肩書は「日洪文化協会会長」となっています(「洪」とはハンガリーの漢字表記「洪牙利」)。満州事変以降の日本の外交が孤立化していく背景において、こうした東欧諸国との国策的な文化交流が生み出した「写真集」という視点からも非常に興味深いものを感じます(このころの日洪関係などについて詳しくは、千葉大学 近藤正憲氏「戦間期における日洪文化交流の史的展開」が参考になりました)

コロタイプによる古美術写真の図録の印刷は数多い弊社ですが、いわゆる写真家の写真集というのはおそらくそんなに多くない(のではと思います。安井仲治写真集などの例はありますが)弊社が、なぜこの写真集をすることになったのか。なんでなんでしょう。考えられるのは、この三井家との関わりはあるのかもしれません。三井をはじめとする三菱、住友などの財閥とも今に続く浅からぬご縁をいただいているので、もしかしたらそうしたことがあったのかもしれません。一冊の本を見ながら、いろいろ思っていると一日があっという間にたってしまいました。

『ハンガリア』作者識語
後付図版リストの書き添えられた著者識語

最後に。オークションで入手した本書ですが、よくみると後付リストの余白に著者の識語がありました。「東京 1941年3日10月」と書いてあるようですが、本文は残念ながらハンガリー語のようでよくわかりません。ただ「Mitui Takaharu」と書いてあるのはわかります。ハンガリー語お分かりになる方、ぜひご教示ください!

おまけ
奥付拡大
奥付の定価の上に○停(まるてい)という印があります。「○停」とはインフレ抑制のために昭和14年に公布された価格等統制令による価格停止品を示していて、同年9月18日現在の価格を最高価格として商品等の値段を据え置くことを指示したものです。敗戦まで存続し、その日付から「九・一八停止価格令」ともいうようです。その後の新製品には「○に新」、協定価格品は「○に協」、公定価格品は「○に公」、許可価格品は「○に許」といった価格符号の表示があるようです。

価格は20円となってます。このころの一般単行本が1円前後のように思われますので、今で置き換えると数万円といったところでしょうか。やはり高いですね。オークションでン千円で入手できたのは幸いでした。

【追記】

「もともと、私が親しく交わり始めた中村一族とは、彼(注:妻・和子の兄、五代目社長中村桃太郎)の父竹四郎で、国際文化交流事業に専念していた私が、ハンガリヤ出身の写真家フランシス・ハールの作品集を便利堂に依頼したり、更に、現在銀座三丁目の「銀茶寮」の地所にあった便利堂出張所の二階に、「審光写場」なるフォト・スタヂオを開設、大戦で日本に足止めされたハールを援助すべく、共同出資の事業を始めてからのことである。」(井上清一「桃生を憶う」、追悼集『中村桃太郎』 昭和53年2月1日発行)

「(略)故竹四郎社長が審美書院の常務取締役を兼任することになったのでした。それは昭和14年頃から15年にかけてのことだったように思います。それで、銀座西五丁目の菊池ビルの三階にあった便利堂東京出張所は審美書院の中の一部を改装して移ってきました。現在の銀茶寮のある銀座西三丁目三番地が審美書院だったところです。
 (略)審美書院の社屋は元赤煉瓦の二階建だったのですが、(略)昭和16年秋、この社屋を改築して審光写場を作りました。(略)斯くて、すっきりした外観をととのえ、表に面した二階がこの写場であって、便利堂の技師長専務の故佐藤浜次郎さんと、オーストリヤの芸術写真家ハール・フェレンツさんとの技術提携を看板にサトウ・ハール・スタヂオとして発足しました。(略)順調に営業をつづけておりましたが、昭和20年5月24日夜から未明へかけての大空襲で全社屋と共に焼失してしまいました。」(便利堂東京出張所長 石井照一「人物オリンピック」、前掲書)

2014/10/23 追記及び加筆修正
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