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コロタイプ版「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」里帰り複製が完成!一乗寺で明日から特別公開!
10日間だけの貴重なこの機会にぜひ秋の一乗寺へ
西国三十三所草創1300年記念 2020年特別拝観「国宝聖徳太子及び天台高僧像10幅 複製完成記念展」
@法華山一乗寺 2020年11月14日(土)〜23日(月・祝)

朝晩の冷え込みが日に日に厳しくなり、京都の木々も本格的に色づいてきたこの頃。皆様には健やかにお過ごしのことと存じます。はじめまして。便利堂入社7年目の永野です。
この度、法華山一乗寺所蔵の仏教絵画の超名品「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」がコロタイプ複製によってお寺に里帰りし、西国三十三所草創1300年特別拝観・複製完成記念展として、全十幅が公開されることになりました。今回は皆様にこの事業のあらましをお伝えしたいと思います。

兵庫県加西市にある一乗寺は、インドから雲に乗って飛来したとされる法道仙人が孝徳天皇より寺領を与えられ、白雉元年(650)に開山したと伝わる天台宗の古刹です。国宝を二件(聖徳太子及び天台高僧像と三重塔)、重要文化財は御本尊の聖観音菩薩像や本堂のほかにも、分野を問わず多数所有され、貴重な文化財を今日に伝えています。また、西国三十三所巡りの二十六番札所としても名高く、たくさんの方が参拝に訪れます。
参拝客の方からは、「国宝の聖徳太子及び天台高僧像を見せて欲しい」という声も多くあったそうですが、それをすべて断らなければならない事情がありました。実は全十幅あるこの宝物は現在、奈良国立博物館に七幅、東京国立博物館に二幅、大阪市立美術館に一幅とバラバラに寄託されており、お寺では見ることができないのです。御住職曰く、“後世にこの名宝を遺し伝えるためには、やむを得ないという想いもあるが、本高僧像を目的に御参拝いただいた方がその事実を知り、肩を落としてお帰りになることが残念でならなかった”とのことです。現在、実物を拝むためには、博物館や美術館に展示される機会を待つほかありません。しかし国宝であるが故に、文化財保護の観点から公開には規制があり、滅多にお出ましになりません。ましてや十幅が全て揃うことなど更に稀です。
この問題を解決すべく、お身代わり複製を将来し、お寺に里帰りしていただく手段としてコロタイプが選ばれ、弊社にお声がかかりました。本高僧像十幅の内、最澄と智顗については、昭和62年に弊社が75%縮小のコロタイプ複製を納めていたため、今回は残りの八幅を同じ縮尺で手がけることとなりました。全ての仕様や日程が決まり、正式にご発注いただいたのは昨年末のことでした。
■聖徳太子及び天台高僧像(十幅 絹本著色 平安時代)とは
聖徳太子をはじめ、龍(りゅう)樹(じゅ)菩薩(インド)、善(ぜん)無(む)畏(い)三(さん)蔵(ぞう)(インド)、慧(え)文(もん)禅師、慧(え)思(し)(南岳大師)、智顗(ちぎ)(天台智者大師)、灌(かん)頂(じょう)(章安大師)、湛(たん)然(ねん)(荊渓大師)、最澄(伝教大師)、円(えん)仁(にん)(慈覚大師)などインド、中国及び日本の天台宗関係の高僧を描いたもので、各図とも補筆が少なくないが、細部の文様そのほかに繊細華麗な平安時代の画風がうかがわれ、坐像、立像、正面向き、側面向きなど変化に富んだ像容は、平安時代の高僧像の一般を示して興味深いものがある。なお聖徳太子など五幅の上部色紙形にわずかにのこる賛文は、天慶九年(946)叡山東塔法華堂(延暦寺)の像に橘(たちばなの)在(あり)列(つら)が加えた画賛と符合する点、その像容も同壁画に倣った可能性が高い。いずれにしても平安時代前期の東寺(教王護国寺)の国宝 真言七祖像などに対比すべき平安時代後期高僧像の優品としてその価値は高い。
『国宝事典 第四版(便利堂刊)』より
仏教がインドから中国へ伝わり、中国で天台宗へと発展、そして最澄が日本に持ち帰り日本天台宗として開祖・布教する歴史から生まれた高僧たちが9人。そして僧侶ではないものの、この内一人である慧思の生まれ変わりとされ、仏教を日本に広く普及させた聖徳太子が描かれた仏教絵画です。インドから2人、中国から5人、日本から3人の多国籍群ですね。ひとりひとりにそれはもう立派な来歴があるのですが、ここではとても語りつくせないので割愛させていただきます。
こうした宗教的な価値に加え、美術的な価値もあります。千年近くの時を経ているので本紙はそれなりに傷んでいるのですが、立体感をもって描かれた衣、その衣に描かれた細やかな文様など、鮮やかで瑞々しい色彩は非常に状態よく今日に伝わっています。色をただ再現するだけではなく、この質感や迫力まで写すことができるのがコロタイプの真骨頂。弊社にとって久しぶりの大規模複製案件とあって、気合いに満ち満ちてスタートしました。
■制作工程のご紹介
ここから、写真撮影→製版→校正刷→原本照合→印刷→補彩→軸装の工程順にレポートしていきます。

まずは原本の撮影です。精度の高い写真原稿あっての複製ですので、今回は8×10インチの大判ポジフィルムによるアナログ撮影を採用しました。最新のデジタルカメラでもこの大判ポジフィルムの持つ情報量には及ばないとされています。アナログで高精度な文化財撮影ができることも弊社製の複製の大きな強みです。
前述の通り3つの館に分かれて寄託されているため、それぞれの館を訪ねて撮影しました。
写真左:東京国立博物館での撮影前準備の様子(慧文禅師)。本紙には触れませんが、浮きや折れを抑えるために裂には触ります。学芸員の先生が見ている中での作業、緊張します。
写真右上:奈良国立博物館での撮影風景(湛然)
写真右下:同、撮影の隣でコロタイプ技師による原本チェック(龍樹菩薩)。国宝に大接近!有り得ない近さ!文化財複製に携わる者の特権です。

撮影した写真をデータとして取り込んで分色、刷り重なったものを想像しながら製版していきます。一色ごとに版が必要ですので一色ずつ製版が必要です。今回一幅あたり10色のインキ(!)を使いましたので、製版チーム総出で80色分作業しました。
写真左上:製版作業の様子。いらない部分を塗り込んで色を取り出しています。これを使用する色の数だけやらないといけません。気が遠くなるような作業です。
写真右上:聖徳太子のネガフィルム。ネガなので分かりづらいですが、これは下地の墨(ブラック)の版です。出来上がったネガフィルムは、感光材を含んだゼラチン液が塗布されたガラス板と密着露光され、コロタイプの版になります。
写真左下:版振りの様子。一番大きな72×125cmのガラス板ですので一人ではとても振れません。
写真右下:露光の様子

版を機械にセットし、いざ本機・本紙での校正刷です。DAXと呼んでいる大型プレス機で刷り重ねていきます。
写真左:露光の終わった版(円仁のオレンジ版)
写真中:DAXにセットされた聖徳太子のスミ版
写真下:7色目の青を刷った直後の聖徳太子

更なるクオリティを求め、刷り上がった校正紙を携えてもう一度寄託先の3館にお邪魔し、原本との照合を行いました。
写真左:奈良国立博物館で原本との照合(聖徳太子)。いいところまではきているものの、比較すると修正点が山ほど出てきます。
写真右:大阪市立美術館で原本との照合(灌頂)

持ち帰ったものをレタッチして本番の印刷に臨みます。特色インキの調合や刷り位置合わせなど、通常の印刷以上に気を付けながら進めましたので、1日に2色刷るのがやっとでした。
写真:聖徳太子本刷の様子

予定ではそのまま補彩に進むつもりでしたが、奈良国立博物館のご厚意により、もう一度原本との照合を許していただけました。補彩をお願いする日本画家集団、川面美術研究所の皆さんと一緒に三度目の奈良博です!
奈良国立博物館での原本照合を踏まえて、他の幅も補彩していきます。コロタイプでは出にくい胡粉の白色や明るい赤色を中心に筆を入れてもらいました。これによって更に立体的になり、原本に近づきます。
写真上:帆最後、原本と並べた様子。大きさ以外は見分けがつかない程のクオリティまでもっていくことができました。
写真下左:原本保護のため部屋の外で彩色しています。
写真下右:川面美術研究所の工房での作業風景(灌頂)
補彩が終わった本紙は順に表装していきます。昭和の複製と似た裂を選び、同じ形態の三段表具(行の行)に軸装します。手がけるのはもちろん京表具の職人さんです。

軸装の内、付け回しの作業風景(龍樹菩薩)

「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」のうち今回完成した複製八福
そして先日、遂に今回複製した全八幅が完成しました!作業開始から実に10ヶ月のことです。実に壮観です!10ヵ月をこの複製に捧げた私にとっては感無量の瞬間でした。
そして、冒頭で紹介した通り、一乗寺様において「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」複製完成を記念して、全十幅が公開されます。普段非公開の「常行堂」を開帳され、堂内がこの複製で荘厳されました。

常行堂内で本複製で荘厳された様子
期間は11月14日(土)から11月23日(月・祝)まで。入山料は500円です。
住所:兵庫県加西市坂本町821-17
拝観時間:8:00-17:00
西国三十三所巡礼の旅 HP 一乗寺
https://www.saikoku33.gr.jp/place/26
インドから中国を経て日本へと伝わった仏教・天台宗の法灯を、インドから将来した法道仙人が開いた天台宗の名刹一乗寺で感じてみてはいかがでしょうか。
西国三十三所草創1300年記念 2020年特別拝観「国宝聖徳太子及び天台高僧像10幅 複製完成記念展」
@法華山一乗寺 2020年11月14日(土)〜23日(月・祝)

朝晩の冷え込みが日に日に厳しくなり、京都の木々も本格的に色づいてきたこの頃。皆様には健やかにお過ごしのことと存じます。はじめまして。便利堂入社7年目の永野です。
この度、法華山一乗寺所蔵の仏教絵画の超名品「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」がコロタイプ複製によってお寺に里帰りし、西国三十三所草創1300年特別拝観・複製完成記念展として、全十幅が公開されることになりました。今回は皆様にこの事業のあらましをお伝えしたいと思います。

兵庫県加西市にある一乗寺は、インドから雲に乗って飛来したとされる法道仙人が孝徳天皇より寺領を与えられ、白雉元年(650)に開山したと伝わる天台宗の古刹です。国宝を二件(聖徳太子及び天台高僧像と三重塔)、重要文化財は御本尊の聖観音菩薩像や本堂のほかにも、分野を問わず多数所有され、貴重な文化財を今日に伝えています。また、西国三十三所巡りの二十六番札所としても名高く、たくさんの方が参拝に訪れます。
参拝客の方からは、「国宝の聖徳太子及び天台高僧像を見せて欲しい」という声も多くあったそうですが、それをすべて断らなければならない事情がありました。実は全十幅あるこの宝物は現在、奈良国立博物館に七幅、東京国立博物館に二幅、大阪市立美術館に一幅とバラバラに寄託されており、お寺では見ることができないのです。御住職曰く、“後世にこの名宝を遺し伝えるためには、やむを得ないという想いもあるが、本高僧像を目的に御参拝いただいた方がその事実を知り、肩を落としてお帰りになることが残念でならなかった”とのことです。現在、実物を拝むためには、博物館や美術館に展示される機会を待つほかありません。しかし国宝であるが故に、文化財保護の観点から公開には規制があり、滅多にお出ましになりません。ましてや十幅が全て揃うことなど更に稀です。
この問題を解決すべく、お身代わり複製を将来し、お寺に里帰りしていただく手段としてコロタイプが選ばれ、弊社にお声がかかりました。本高僧像十幅の内、最澄と智顗については、昭和62年に弊社が75%縮小のコロタイプ複製を納めていたため、今回は残りの八幅を同じ縮尺で手がけることとなりました。全ての仕様や日程が決まり、正式にご発注いただいたのは昨年末のことでした。
■聖徳太子及び天台高僧像(十幅 絹本著色 平安時代)とは
聖徳太子をはじめ、龍(りゅう)樹(じゅ)菩薩(インド)、善(ぜん)無(む)畏(い)三(さん)蔵(ぞう)(インド)、慧(え)文(もん)禅師、慧(え)思(し)(南岳大師)、智顗(ちぎ)(天台智者大師)、灌(かん)頂(じょう)(章安大師)、湛(たん)然(ねん)(荊渓大師)、最澄(伝教大師)、円(えん)仁(にん)(慈覚大師)などインド、中国及び日本の天台宗関係の高僧を描いたもので、各図とも補筆が少なくないが、細部の文様そのほかに繊細華麗な平安時代の画風がうかがわれ、坐像、立像、正面向き、側面向きなど変化に富んだ像容は、平安時代の高僧像の一般を示して興味深いものがある。なお聖徳太子など五幅の上部色紙形にわずかにのこる賛文は、天慶九年(946)叡山東塔法華堂(延暦寺)の像に橘(たちばなの)在(あり)列(つら)が加えた画賛と符合する点、その像容も同壁画に倣った可能性が高い。いずれにしても平安時代前期の東寺(教王護国寺)の国宝 真言七祖像などに対比すべき平安時代後期高僧像の優品としてその価値は高い。
『国宝事典 第四版(便利堂刊)』より
仏教がインドから中国へ伝わり、中国で天台宗へと発展、そして最澄が日本に持ち帰り日本天台宗として開祖・布教する歴史から生まれた高僧たちが9人。そして僧侶ではないものの、この内一人である慧思の生まれ変わりとされ、仏教を日本に広く普及させた聖徳太子が描かれた仏教絵画です。インドから2人、中国から5人、日本から3人の多国籍群ですね。ひとりひとりにそれはもう立派な来歴があるのですが、ここではとても語りつくせないので割愛させていただきます。
こうした宗教的な価値に加え、美術的な価値もあります。千年近くの時を経ているので本紙はそれなりに傷んでいるのですが、立体感をもって描かれた衣、その衣に描かれた細やかな文様など、鮮やかで瑞々しい色彩は非常に状態よく今日に伝わっています。色をただ再現するだけではなく、この質感や迫力まで写すことができるのがコロタイプの真骨頂。弊社にとって久しぶりの大規模複製案件とあって、気合いに満ち満ちてスタートしました。
■制作工程のご紹介
ここから、写真撮影→製版→校正刷→原本照合→印刷→補彩→軸装の工程順にレポートしていきます。

まずは原本の撮影です。精度の高い写真原稿あっての複製ですので、今回は8×10インチの大判ポジフィルムによるアナログ撮影を採用しました。最新のデジタルカメラでもこの大判ポジフィルムの持つ情報量には及ばないとされています。アナログで高精度な文化財撮影ができることも弊社製の複製の大きな強みです。
前述の通り3つの館に分かれて寄託されているため、それぞれの館を訪ねて撮影しました。
写真左:東京国立博物館での撮影前準備の様子(慧文禅師)。本紙には触れませんが、浮きや折れを抑えるために裂には触ります。学芸員の先生が見ている中での作業、緊張します。
写真右上:奈良国立博物館での撮影風景(湛然)
写真右下:同、撮影の隣でコロタイプ技師による原本チェック(龍樹菩薩)。国宝に大接近!有り得ない近さ!文化財複製に携わる者の特権です。

撮影した写真をデータとして取り込んで分色、刷り重なったものを想像しながら製版していきます。一色ごとに版が必要ですので一色ずつ製版が必要です。今回一幅あたり10色のインキ(!)を使いましたので、製版チーム総出で80色分作業しました。
写真左上:製版作業の様子。いらない部分を塗り込んで色を取り出しています。これを使用する色の数だけやらないといけません。気が遠くなるような作業です。
写真右上:聖徳太子のネガフィルム。ネガなので分かりづらいですが、これは下地の墨(ブラック)の版です。出来上がったネガフィルムは、感光材を含んだゼラチン液が塗布されたガラス板と密着露光され、コロタイプの版になります。
写真左下:版振りの様子。一番大きな72×125cmのガラス板ですので一人ではとても振れません。
写真右下:露光の様子

版を機械にセットし、いざ本機・本紙での校正刷です。DAXと呼んでいる大型プレス機で刷り重ねていきます。
写真左:露光の終わった版(円仁のオレンジ版)
写真中:DAXにセットされた聖徳太子のスミ版
写真下:7色目の青を刷った直後の聖徳太子

更なるクオリティを求め、刷り上がった校正紙を携えてもう一度寄託先の3館にお邪魔し、原本との照合を行いました。
写真左:奈良国立博物館で原本との照合(聖徳太子)。いいところまではきているものの、比較すると修正点が山ほど出てきます。
写真右:大阪市立美術館で原本との照合(灌頂)

持ち帰ったものをレタッチして本番の印刷に臨みます。特色インキの調合や刷り位置合わせなど、通常の印刷以上に気を付けながら進めましたので、1日に2色刷るのがやっとでした。
写真:聖徳太子本刷の様子

予定ではそのまま補彩に進むつもりでしたが、奈良国立博物館のご厚意により、もう一度原本との照合を許していただけました。補彩をお願いする日本画家集団、川面美術研究所の皆さんと一緒に三度目の奈良博です!
奈良国立博物館での原本照合を踏まえて、他の幅も補彩していきます。コロタイプでは出にくい胡粉の白色や明るい赤色を中心に筆を入れてもらいました。これによって更に立体的になり、原本に近づきます。
写真上:帆最後、原本と並べた様子。大きさ以外は見分けがつかない程のクオリティまでもっていくことができました。
写真下左:原本保護のため部屋の外で彩色しています。
写真下右:川面美術研究所の工房での作業風景(灌頂)
補彩が終わった本紙は順に表装していきます。昭和の複製と似た裂を選び、同じ形態の三段表具(行の行)に軸装します。手がけるのはもちろん京表具の職人さんです。

軸装の内、付け回しの作業風景(龍樹菩薩)

「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」のうち今回完成した複製八福
そして先日、遂に今回複製した全八幅が完成しました!作業開始から実に10ヶ月のことです。実に壮観です!10ヵ月をこの複製に捧げた私にとっては感無量の瞬間でした。
そして、冒頭で紹介した通り、一乗寺様において「国宝 聖徳太子及び天台高僧像」複製完成を記念して、全十幅が公開されます。普段非公開の「常行堂」を開帳され、堂内がこの複製で荘厳されました。

常行堂内で本複製で荘厳された様子
期間は11月14日(土)から11月23日(月・祝)まで。入山料は500円です。
住所:兵庫県加西市坂本町821-17
拝観時間:8:00-17:00
西国三十三所巡礼の旅 HP 一乗寺
https://www.saikoku33.gr.jp/place/26
インドから中国を経て日本へと伝わった仏教・天台宗の法灯を、インドから将来した法道仙人が開いた天台宗の名刹一乗寺で感じてみてはいかがでしょうか。
横浜の名勝三溪園で開催中! 襖絵の原本・コロタイプの見比べができます!
企画展「臨春閣-建築の美と保存の技-」
@三溪記念館 2020年10月15日(木)〜12月20日(日)

こんにちは。便利堂の藤岡です。
今回は、横浜の国指定名勝三溪園(三溪記念館)で開催中のコロタイプ複製に関連した企画展のお知らせです。
伝狩野永徳「芦雁図」襖絵4面の原本とコロタイプが並べて展示されるという、複製が完成して以来、初のこころみです。職人技の粋を集め、できる限り最高の複製をつくるべく、日々精進していますが、こうして原本と並べて展示されてご覧いただくことは、大変ありがたいことであるとともに、反面アラが露呈しないかとドキドキします。(手前が原本、奥が複製)

本題に入る前にすこし長めの前口上を・・・
三溪園は、明治から大正時代にかけて生糸の貿易で財をなした実業家・原三溪が造り上げ、明治39年(1906)5月に一般公開されました。広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物(数寄屋・茶室・仏殿・塔・門など)を配し、10棟が国重要文化財に、3棟が横浜市有形文化財に指定されています。
そのなかに臨春閣(重文)という建物があります。もとは紀州徳川家の別荘と考えられる御殿を移築したもので、内部は繊細優美な意匠が随所にみられ、また狩野派を中心とする障壁画が多数描かれています。

コロタイプ複製の障壁画が貼り込まれた臨春閣内部
現在臨春閣で貼り込まれている障壁画、じつはコロタイプによる複製なんです! 日本の伝統建築は内と外の区分けが明確でなく、障壁画など装飾調度品は、多かれ少なかれ、外気にさらされているといえます。臨春閣の障壁画も、経年による傷みが激しく、複製に取り替える話がもちあがると、原本(オリジナル)を忠実に再現し、そうした環境下でも永年にわたり品質を保持することができる便利堂のコロタイプが、複製技法に選ばれたのです。耐候性にすぐれた手漉き和紙(越前鳥の子紙)ときわめて相性がよいのも、コロタイプのおおきな特徴のひとつです。

原寸撮影されたアナログフィルム(これがそのままコロタイプの版となります)
そうして平成3年(1991)臨春閣内部の襖と壁面に描かれた水墨画約100点の複製に着手します(30年ちかく前の話ですね・・・)100点といっても、たとえば襖1面を写真を撮影するにも、原寸で撮影するため1カットでは済みません。もちろん、複製もそれに合わせて分割で制作しますので、撮影、印刷ともに膨大なカット数、台数(=版数・紙数)にのぼります。
撮影では、スケジュールを第一次と第二次に分け、コロタイプ用分解撮影(大全サイズ)202カット×2色、896カット×1色、および色見用カラーポジ(8×10)撮影108カットにのぼりました。写真部の「作業記録」によると、第一次撮影は平成3年9月10日〜21日、第二次撮影が平成4年5月29日〜6月12日となっていますから、あわせて25日以上かかっています。「大全サイズ」ということは、いわゆる「大判フィルムによるアナログ撮影」であり、原寸撮影ができるコロタイプ用のタテ型カメラが出張しています(タテ型カメラについては→ http://takumisuzuki123.blog.fc2.com/blog-category-6-2.html)。

撮影されたフィルム(大全サイズ)
コロタイプ印刷のほうでは、時間・予算がかぎられたなか、工夫をしていて、複製をAとBふたつの方式に分けて作業進行しています。当時のメモによると、A方式は「原本を原寸大で2色撮影し、スミ版および地色版を製版し、印刷する。原本は料紙の破損・汚れ・シミ等がひどく、これらの原本の通りには表現しないという基本的な三溪園のご方針に沿って進め」、B方式は「原本を(同じく原寸で)スミ版のみ1色撮影し、地色版は(傷・汚れ・補修のあとを抹消するために)それぞれにベタ刷りで印刷した上にスミ版を印刷し、他の色は(地色の調子もふくめて)全体を着彩して表現する」とあります。

現地における補彩作業(当時) 原本を前にして作業を行います
デジタル製版できる現在では、シミ・傷・汚れなどはある程度まで容易に修正することができますが、この当時のアナログフィルムにおける修正は簡単なことではないので、撮影前にきっちりと製版・印刷の方針を組み立てないといけません。また、三溪園さんのご意向としては、現状の傷みは再現せず、きれいめに、そして部分によっては描かれた当時の復元を望まれていたようです。そのような加減ができるのも、複製ならではといえるでしょう。

複製の貼りこみ作業(当時)
さらに、そこから襖仕立てと壁面張り込み作業がありますので、すべての完了は平成6年秋。じつに3年以上の歳月をかけた大事業でした。文化財(原本)を護るとともに、ひろく公開にも耐えうる、まさにコロタイプによる文化財複製の意義がもっとも活かされた仕事といえます。

さて、本題です。
この臨春閣が現在、屋根の葺き替えと耐震補強の工事を行っています。これに伴い、コロタイプ障壁画はいったん取り外されることになりました。壁画のほうは捲り取り、京都に持ち帰って軽くクリーニングをおこなったうえで(おおきな傷みはみられませんでした)工事完了後に再度張り戻すことになりました。作業にあたるのは、襖仕立てと貼り込み作業をお願いした職人さんたち。30年近くを経て代替わりしていますが、先代さんもお元気で、現地作業に参加してくれています!

複製の取り外し作業
本来ならそろそろ貼り戻し作業にかかり、来年2月頃にはすべて完了する予定でしたが、コロナの影響で工事じたいが大幅に延期され、元の場所にもどったコロタイプ障壁画がみられるのは、もうすこし先になりそうです。とはいえ、三溪園さんがこうして大切に、原本同様に取り扱ってくださっているのは大変ありがたいですね。

原本

複製
またこの間、屋内のその他の欄間や装飾品も取り外し、状態の良くないものは修理を施したうえで、臨春閣に戻す前に、三溪記念館で特別公開されます。今回、便利堂も修復のお手伝いをさせてもらいました。その他、臨春閣が大阪にあったころに描かれた図面や、臨春閣購入の経緯を示す資料など珍しいものもみられるそうです。
そして、伝狩野永徳「芦雁図」襖絵4面の原本とコロタイプが並べて展示されることとなりました。これまでも原本は記念館で保管され、順番に展示公開されているのですが、こうして複製と並べられるのは初めてとのこと。
三溪園学芸員の北泉剛史さんからもコメントを寄せてもらいました。
「今回の展示は、臨春閣が大規模に保存修理工事を行っているからこそ、現地から取り外して展覧会として開催できるものです。今後、再びそれぞれの装飾品を現地から取り外してお披露目できる機会は、間違いなく二度とありませんし、こういった展覧会ができるのは、まさに三溪園ならではです。またコロタイプ印刷は、技術そのものが文化財に値するものですし、今回の展覧会の主旨・副題でもあります『保存の技』であると思っています」
そういえば、日本画家の山口晃さんも、共著書の企画で臨春閣のコロタイプ障壁画を間近に見て、4コマ漫画に「ぜんぜん解らない。すごい出来だ」と語ってくれています。「原本の通りには表現しない」方針でつくられた複製でも、コロタイプなら本物にみえる!ということで。。ちょっとドキドキしますが、ぜひ足を運んでください! 12月20日まで。
重要文化財保存修理事業記念
企画展「臨春閣-建築の美と保存の技-」
会場:三溪記念館(横浜市中区本牧三之谷58-1 三溪園内)
会期:2020年10月15日(木)〜12月20日(日)
時間:9:00〜17:00(入場は16:30まで)
観覧料:無料(三溪園入園料でご覧いただけます)
交通:JR根岸線根岸駅からバスで10分「本牧」下車、徒歩10分/横浜駅東口、桜木町駅などからバスで「三溪園入口」下車、徒歩5分
https://www.sankeien.or.jp/
@三溪記念館 2020年10月15日(木)〜12月20日(日)

こんにちは。便利堂の藤岡です。
今回は、横浜の国指定名勝三溪園(三溪記念館)で開催中のコロタイプ複製に関連した企画展のお知らせです。
伝狩野永徳「芦雁図」襖絵4面の原本とコロタイプが並べて展示されるという、複製が完成して以来、初のこころみです。職人技の粋を集め、できる限り最高の複製をつくるべく、日々精進していますが、こうして原本と並べて展示されてご覧いただくことは、大変ありがたいことであるとともに、反面アラが露呈しないかとドキドキします。(手前が原本、奥が複製)

本題に入る前にすこし長めの前口上を・・・
三溪園は、明治から大正時代にかけて生糸の貿易で財をなした実業家・原三溪が造り上げ、明治39年(1906)5月に一般公開されました。広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物(数寄屋・茶室・仏殿・塔・門など)を配し、10棟が国重要文化財に、3棟が横浜市有形文化財に指定されています。
そのなかに臨春閣(重文)という建物があります。もとは紀州徳川家の別荘と考えられる御殿を移築したもので、内部は繊細優美な意匠が随所にみられ、また狩野派を中心とする障壁画が多数描かれています。

コロタイプ複製の障壁画が貼り込まれた臨春閣内部
現在臨春閣で貼り込まれている障壁画、じつはコロタイプによる複製なんです! 日本の伝統建築は内と外の区分けが明確でなく、障壁画など装飾調度品は、多かれ少なかれ、外気にさらされているといえます。臨春閣の障壁画も、経年による傷みが激しく、複製に取り替える話がもちあがると、原本(オリジナル)を忠実に再現し、そうした環境下でも永年にわたり品質を保持することができる便利堂のコロタイプが、複製技法に選ばれたのです。耐候性にすぐれた手漉き和紙(越前鳥の子紙)ときわめて相性がよいのも、コロタイプのおおきな特徴のひとつです。

原寸撮影されたアナログフィルム(これがそのままコロタイプの版となります)
そうして平成3年(1991)臨春閣内部の襖と壁面に描かれた水墨画約100点の複製に着手します(30年ちかく前の話ですね・・・)100点といっても、たとえば襖1面を写真を撮影するにも、原寸で撮影するため1カットでは済みません。もちろん、複製もそれに合わせて分割で制作しますので、撮影、印刷ともに膨大なカット数、台数(=版数・紙数)にのぼります。
撮影では、スケジュールを第一次と第二次に分け、コロタイプ用分解撮影(大全サイズ)202カット×2色、896カット×1色、および色見用カラーポジ(8×10)撮影108カットにのぼりました。写真部の「作業記録」によると、第一次撮影は平成3年9月10日〜21日、第二次撮影が平成4年5月29日〜6月12日となっていますから、あわせて25日以上かかっています。「大全サイズ」ということは、いわゆる「大判フィルムによるアナログ撮影」であり、原寸撮影ができるコロタイプ用のタテ型カメラが出張しています(タテ型カメラについては→ http://takumisuzuki123.blog.fc2.com/blog-category-6-2.html)。

撮影されたフィルム(大全サイズ)
コロタイプ印刷のほうでは、時間・予算がかぎられたなか、工夫をしていて、複製をAとBふたつの方式に分けて作業進行しています。当時のメモによると、A方式は「原本を原寸大で2色撮影し、スミ版および地色版を製版し、印刷する。原本は料紙の破損・汚れ・シミ等がひどく、これらの原本の通りには表現しないという基本的な三溪園のご方針に沿って進め」、B方式は「原本を(同じく原寸で)スミ版のみ1色撮影し、地色版は(傷・汚れ・補修のあとを抹消するために)それぞれにベタ刷りで印刷した上にスミ版を印刷し、他の色は(地色の調子もふくめて)全体を着彩して表現する」とあります。

現地における補彩作業(当時) 原本を前にして作業を行います
デジタル製版できる現在では、シミ・傷・汚れなどはある程度まで容易に修正することができますが、この当時のアナログフィルムにおける修正は簡単なことではないので、撮影前にきっちりと製版・印刷の方針を組み立てないといけません。また、三溪園さんのご意向としては、現状の傷みは再現せず、きれいめに、そして部分によっては描かれた当時の復元を望まれていたようです。そのような加減ができるのも、複製ならではといえるでしょう。

複製の貼りこみ作業(当時)
さらに、そこから襖仕立てと壁面張り込み作業がありますので、すべての完了は平成6年秋。じつに3年以上の歳月をかけた大事業でした。文化財(原本)を護るとともに、ひろく公開にも耐えうる、まさにコロタイプによる文化財複製の意義がもっとも活かされた仕事といえます。

さて、本題です。
この臨春閣が現在、屋根の葺き替えと耐震補強の工事を行っています。これに伴い、コロタイプ障壁画はいったん取り外されることになりました。壁画のほうは捲り取り、京都に持ち帰って軽くクリーニングをおこなったうえで(おおきな傷みはみられませんでした)工事完了後に再度張り戻すことになりました。作業にあたるのは、襖仕立てと貼り込み作業をお願いした職人さんたち。30年近くを経て代替わりしていますが、先代さんもお元気で、現地作業に参加してくれています!

複製の取り外し作業
本来ならそろそろ貼り戻し作業にかかり、来年2月頃にはすべて完了する予定でしたが、コロナの影響で工事じたいが大幅に延期され、元の場所にもどったコロタイプ障壁画がみられるのは、もうすこし先になりそうです。とはいえ、三溪園さんがこうして大切に、原本同様に取り扱ってくださっているのは大変ありがたいですね。

原本

複製
またこの間、屋内のその他の欄間や装飾品も取り外し、状態の良くないものは修理を施したうえで、臨春閣に戻す前に、三溪記念館で特別公開されます。今回、便利堂も修復のお手伝いをさせてもらいました。その他、臨春閣が大阪にあったころに描かれた図面や、臨春閣購入の経緯を示す資料など珍しいものもみられるそうです。
そして、伝狩野永徳「芦雁図」襖絵4面の原本とコロタイプが並べて展示されることとなりました。これまでも原本は記念館で保管され、順番に展示公開されているのですが、こうして複製と並べられるのは初めてとのこと。
三溪園学芸員の北泉剛史さんからもコメントを寄せてもらいました。
「今回の展示は、臨春閣が大規模に保存修理工事を行っているからこそ、現地から取り外して展覧会として開催できるものです。今後、再びそれぞれの装飾品を現地から取り外してお披露目できる機会は、間違いなく二度とありませんし、こういった展覧会ができるのは、まさに三溪園ならではです。またコロタイプ印刷は、技術そのものが文化財に値するものですし、今回の展覧会の主旨・副題でもあります『保存の技』であると思っています」
そういえば、日本画家の山口晃さんも、共著書の企画で臨春閣のコロタイプ障壁画を間近に見て、4コマ漫画に「ぜんぜん解らない。すごい出来だ」と語ってくれています。「原本の通りには表現しない」方針でつくられた複製でも、コロタイプなら本物にみえる!ということで。。ちょっとドキドキしますが、ぜひ足を運んでください! 12月20日まで。
重要文化財保存修理事業記念
企画展「臨春閣-建築の美と保存の技-」
会場:三溪記念館(横浜市中区本牧三之谷58-1 三溪園内)
会期:2020年10月15日(木)〜12月20日(日)
時間:9:00〜17:00(入場は16:30まで)
観覧料:無料(三溪園入園料でご覧いただけます)
交通:JR根岸線根岸駅からバスで10分「本牧」下車、徒歩10分/横浜駅東口、桜木町駅などからバスで「三溪園入口」下車、徒歩5分
https://www.sankeien.or.jp/
奈良国立博物館《法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-》展はじまりました!
高精細ガラス乾板専用スキャナーでスキャンしたデータも初公開!
2019年12月7日(土)~2020年1月13日(月・祝)@奈良国立博物館

12月7日より奈良国立博物館にて、重要文化財に指定されている法隆寺金堂壁画写真ガラス原板と、近代以降の文化財撮影の歴史についてを展観する《法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-》展が好評開催中です。

日本に初めて写真術がもたらされたのは、1848(嘉永元)年頃といわれています。オランダ船によって長崎に渡来し、薩摩藩が入手したとされ、有名な「島津斉彬像」が撮影されました。その後、実用的な湿板写真が再び海外から伝わり国内で広まると、やがて日本人の写真技師が誕生し、1871(明治4)年には蜷川式胤の発案により横山松三郎が江戸城を撮影。翌年には日本で初めての本格的な文化財調査となった「壬申調査」で数多くの宝物や建物が写真におさめられるなど、それ以降現在に至るまで数多くの文化財が記録として写し遺されてきました。

法隆寺金堂壁画の原寸大分割撮影風景 1935(昭和10)年
その文化財撮影の歴史の中でも、とくに代表的な例として挙げられるのが、1935(昭和10)年に便利堂が撮影した法隆寺金堂壁画です。原寸大分割モノクロ写真、赤外線写真、4色分解写真など、当時考え得る各種の撮影方法により高い技術で撮影された写真原版は、その後1949年に金堂の火災によって壁画が焼損してしまったこともあり、当時の様子を伝える唯一無二の存在として高く評価され、2015(平成27)年に国の重要文化財にも指定されています。 ⇒法隆寺金堂壁画の撮影と原寸大複製制作の歴史と詳細については、こちら ⇒原寸大分割撮影プロジェクトの全貌については、こちら

重要文化財 法隆寺金堂壁画、原寸大分割撮影の原板も展示中
この法隆寺金堂壁画のガラス原板は、本展覧会でその一部が公開中です。これらの原板は保存修理がおこなわれ、この秋に奈良国立博物館の保管庫に収蔵されました。法隆寺金堂壁画の写真を見たことがあっても、その写真原板自体を見たことがある人は少ないのではないでしょうか。本展覧会以外では、なかなか見ることのできない写真原板ですので、ぜひこの機会に奈良国立博物館でご覧ください!

また修復作業と並行して、ガラス原板の高精細デジタル化作業が本年の春から夏にかけて便利堂がおこないました。このプロジェクトの成果の一部が、本展覧会でも展示・初公開されます。 ⇒高精細デジタル化作業の詳細については、こちら

このデータは、会場に設置されたモニターシステムで、ご自由に閲覧が可能です。スムースな動作で画像の拡大ができ、壁画の細部までじっくりみることができます。これからこのデータが活用され、あらたな知見が生まれることと期待しています。

ガラス原板の高精細デジタルスキャニングデータからの出力(右)と、焼損後の壁画を高精細のデジタル撮影データからの出力(左)
また、現在文化庁と朝日新聞社の協力で進められているプロジェクト「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」による焼損後壁画の総合調査の一環として奈良国立博物館・奈良文化財研究所によって行われた高精細デジタル撮影の成果も展示されています。他にも、奈良国立博物館が所蔵する近代以降の文化財写真や資料、そして便利堂が所蔵する貴重な資料類など、文化財撮影の歴史を知ることができる歴史資料類が一堂に展観されています。ぜひ、冬休みは奈良国立博物館に!
◆
『法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-』展
場所:奈良国立博物館
会期:2019年12月7日(土)~2020年1月13日(月・祝)
主催:奈良国立博物館、法隆寺、便利堂、朝日新聞
2019年12月7日(土)~2020年1月13日(月・祝)@奈良国立博物館

12月7日より奈良国立博物館にて、重要文化財に指定されている法隆寺金堂壁画写真ガラス原板と、近代以降の文化財撮影の歴史についてを展観する《法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-》展が好評開催中です。

日本に初めて写真術がもたらされたのは、1848(嘉永元)年頃といわれています。オランダ船によって長崎に渡来し、薩摩藩が入手したとされ、有名な「島津斉彬像」が撮影されました。その後、実用的な湿板写真が再び海外から伝わり国内で広まると、やがて日本人の写真技師が誕生し、1871(明治4)年には蜷川式胤の発案により横山松三郎が江戸城を撮影。翌年には日本で初めての本格的な文化財調査となった「壬申調査」で数多くの宝物や建物が写真におさめられるなど、それ以降現在に至るまで数多くの文化財が記録として写し遺されてきました。

法隆寺金堂壁画の原寸大分割撮影風景 1935(昭和10)年
その文化財撮影の歴史の中でも、とくに代表的な例として挙げられるのが、1935(昭和10)年に便利堂が撮影した法隆寺金堂壁画です。原寸大分割モノクロ写真、赤外線写真、4色分解写真など、当時考え得る各種の撮影方法により高い技術で撮影された写真原版は、その後1949年に金堂の火災によって壁画が焼損してしまったこともあり、当時の様子を伝える唯一無二の存在として高く評価され、2015(平成27)年に国の重要文化財にも指定されています。 ⇒法隆寺金堂壁画の撮影と原寸大複製制作の歴史と詳細については、こちら ⇒原寸大分割撮影プロジェクトの全貌については、こちら

重要文化財 法隆寺金堂壁画、原寸大分割撮影の原板も展示中
この法隆寺金堂壁画のガラス原板は、本展覧会でその一部が公開中です。これらの原板は保存修理がおこなわれ、この秋に奈良国立博物館の保管庫に収蔵されました。法隆寺金堂壁画の写真を見たことがあっても、その写真原板自体を見たことがある人は少ないのではないでしょうか。本展覧会以外では、なかなか見ることのできない写真原板ですので、ぜひこの機会に奈良国立博物館でご覧ください!

また修復作業と並行して、ガラス原板の高精細デジタル化作業が本年の春から夏にかけて便利堂がおこないました。このプロジェクトの成果の一部が、本展覧会でも展示・初公開されます。 ⇒高精細デジタル化作業の詳細については、こちら

このデータは、会場に設置されたモニターシステムで、ご自由に閲覧が可能です。スムースな動作で画像の拡大ができ、壁画の細部までじっくりみることができます。これからこのデータが活用され、あらたな知見が生まれることと期待しています。

ガラス原板の高精細デジタルスキャニングデータからの出力(右)と、焼損後の壁画を高精細のデジタル撮影データからの出力(左)
また、現在文化庁と朝日新聞社の協力で進められているプロジェクト「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」による焼損後壁画の総合調査の一環として奈良国立博物館・奈良文化財研究所によって行われた高精細デジタル撮影の成果も展示されています。他にも、奈良国立博物館が所蔵する近代以降の文化財写真や資料、そして便利堂が所蔵する貴重な資料類など、文化財撮影の歴史を知ることができる歴史資料類が一堂に展観されています。ぜひ、冬休みは奈良国立博物館に!
◆
『法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-』展
場所:奈良国立博物館
会期:2019年12月7日(土)~2020年1月13日(月・祝)
主催:奈良国立博物館、法隆寺、便利堂、朝日新聞
第25回 国際博物館会議京都大会 ICOM KYOTO2019始まります!
便利堂もブース出展いたします! Booth no. E32
2019年9月2日-4日 @国立京都国際会館 1F Event Hall E32


9月1日より、京都国際会館にてICOM2019が開催されます。ICOM(International Council of Museums)とは、博物館関係者により1946年にパリで創設された、博物館に関する唯一最大の国際機関(NGO)です。2019年現在、世界138の国と地域から44,500人のミュージアム関係者が、加入しています。この国際博物館会議が、このたび日本で初めて京都で開催されます。
国際博物館会議は3年に1度開催されており、第25回の京都大会は「文化をつなぐミュージアム―伝統を未来へ―」をテーマに、文化財や美術品をどのように守っていくのかという問題や、ミュージアムの運営や経営、紛争や災害等の緊急時の対応方法など、博物館に関わる情報の交換や知識の共有、会議がおこなわれる予定です。そして、そのなかのイベントの1つとしてミュージアム・フェアが開催されることになり、便利堂もブースを出展し、参加することとなりました!

会場見取り図(ICOM HPより https://icom-kyoto-2019.org/jp/museum_forum.html)
ミュージアム・フェアは京都国際会館内の三つの会場にわたり9/2~4の3日間開催され、博物館美術館をはじめ、文化に関わる企業・団体がブースを出展し、皆様に活動や技術を紹介するイベントです。今回便利堂では、EVENT HALLのブース番号「E32」にて『明日への文化財遺産の保存』をテーマに、これまで一世紀以上にわたって取り組んできた「コロタイプ複製」、「文化財撮影」、そして新たな取り組みである「ガラス乾板スキャナー」の3つを柱とする、“便利堂独自のアーカイブ技術”を皆様にご紹介します!
今回のご紹介で特に力を入れているのは、便利堂が京都大学と一緒に開発した大型原板にも対応可能な世界初の「ガラス乾板専用超高精細スキャナー」です。

ガラス乾板専用超高精細スキャナー
世界初「ガラス乾板専用超高精細スキャナー」とは?
ガラス乾板とは、ガラスの表面に感光材を塗布した撮影用感光材料のことです。19世紀末に実用化され、フィルムが主流となる20世紀半頃まで使用されていました。これらの原板は、材質がガラスであるため脆弱で扱いづらく、死蔵されたまま経年変化による劣化が進んでいます。一方で、時代とともに失われていく風景、建物、風俗、文化財など、ガラス乾板に写された画像でしか見ることができない貴重な文化財でもあります。写された画像を後世に伝えるため、便利堂は大型ガラス乾板にも対応できる世界初の専用超高精細デジタルスキャナーを京都大学と共同開発しました。2,500dpiという高解像度でスキャニングできるため、乾板の細部まで拡大することができ、また濃度調整をすることで肉眼では見えにくい部分を表現することもできます。死蔵されたガラス乾板を、高精細のデジタルデータにすることで、貴重な写真の活用が可能となります。
【スキャナー紹介動画】
このスキャナーを用いて、先年重要文化財に指定された「法隆寺金堂壁画」の全紙大ガラス乾板(昭和10年撮影)363枚の原板をデジタル化する事業が進行中です。写真原板自体は重要文化財に指定され、万全な保存が期待されますが、その原板に写された画像の保存ならびに利活用が大きな課題でした。しかしこの事業により、焼損前の壁画の姿をとどめる唯一無二の貴重な画像が研究を始めさまざまな形で有効活用されていくことと思います。こうした新たな取り組みについて、ICOM ミュージアム・フェアにご来場の皆さまにご紹介できればと思っています。

重要文化財 法隆寺金堂壁画原寸分割撮影原板のスキャナー作業風景
<便利堂のスキャナーの特徴>
20×24inchの大きなガラス乾板のスキャニングが可能。
carte de visiteサイズから20×24inch(500mmX610mm)程度まで対応可能
●8K以上の次世代ディスプレーに対応できる超高精細データが取得できます。
最大24億7500万画素/18×22inch
●収差の少ないレンズ、ムラの極めて少ない光源で撮影しますのでガラス乾板の情報が正確にデジタル化されます。
●LED照明を使用していますので、ガラス乾板への負担がありません。
<スペック>
●フィルター UV/!Rカットフィルター
●レンズ Micro Nikkor 105mm
●光源 可視光LED
●スキャナー解像度 1500~2600dpi
●スキャニング寸法 最長700mm 最大横幅540mm

法隆寺金堂壁画(六号壁)コロタイプ複製(左)、高松塚古墳壁画(西壁女子群像部分)コロタイプ複製(右)
開催期間中は、ブース内に便利堂が昭和10年に撮影し、昭和13年に制作した法隆寺金堂壁画原寸大コロタイプ複製と、昭和47年に発掘直後に撮影し、平成29年に制作した高松塚古墳壁画原寸大カラーコロタイプ複製も展示しています。

また、9月3日(火)10:00~16:00には、同じく京都国際会館のANNEX HALLで、コロタイププリントのワークショップも開催する予定です。ミュージアム・フェアの当日券もあるそうですので(先着順、数量限定)、ご興味のある方やお時間のある方は、ぜひお立ち寄りください!
便利堂の場所は、国立京都国際会館1階のEVENT HALLでブース番号は「E32」です!

■ミュージアム・フェア
会場: 国立京都国際会館 1F EVENT HALL E32
日時: 9月2日(月) 12:30~18:00
9月3日(火)、4日(水) 9:00~18:00
■コロタイプワークショップ
会場: 国立京都国際会館 ANNEX HALL Networking Lounge
日時: 9月3日(火) 10:00~16:00
2019年9月2日-4日 @国立京都国際会館 1F Event Hall E32


9月1日より、京都国際会館にてICOM2019が開催されます。ICOM(International Council of Museums)とは、博物館関係者により1946年にパリで創設された、博物館に関する唯一最大の国際機関(NGO)です。2019年現在、世界138の国と地域から44,500人のミュージアム関係者が、加入しています。この国際博物館会議が、このたび日本で初めて京都で開催されます。
国際博物館会議は3年に1度開催されており、第25回の京都大会は「文化をつなぐミュージアム―伝統を未来へ―」をテーマに、文化財や美術品をどのように守っていくのかという問題や、ミュージアムの運営や経営、紛争や災害等の緊急時の対応方法など、博物館に関わる情報の交換や知識の共有、会議がおこなわれる予定です。そして、そのなかのイベントの1つとしてミュージアム・フェアが開催されることになり、便利堂もブースを出展し、参加することとなりました!

会場見取り図(ICOM HPより https://icom-kyoto-2019.org/jp/museum_forum.html)
ミュージアム・フェアは京都国際会館内の三つの会場にわたり9/2~4の3日間開催され、博物館美術館をはじめ、文化に関わる企業・団体がブースを出展し、皆様に活動や技術を紹介するイベントです。今回便利堂では、EVENT HALLのブース番号「E32」にて『明日への文化財遺産の保存』をテーマに、これまで一世紀以上にわたって取り組んできた「コロタイプ複製」、「文化財撮影」、そして新たな取り組みである「ガラス乾板スキャナー」の3つを柱とする、“便利堂独自のアーカイブ技術”を皆様にご紹介します!
今回のご紹介で特に力を入れているのは、便利堂が京都大学と一緒に開発した大型原板にも対応可能な世界初の「ガラス乾板専用超高精細スキャナー」です。

ガラス乾板専用超高精細スキャナー
世界初「ガラス乾板専用超高精細スキャナー」とは?
ガラス乾板とは、ガラスの表面に感光材を塗布した撮影用感光材料のことです。19世紀末に実用化され、フィルムが主流となる20世紀半頃まで使用されていました。これらの原板は、材質がガラスであるため脆弱で扱いづらく、死蔵されたまま経年変化による劣化が進んでいます。一方で、時代とともに失われていく風景、建物、風俗、文化財など、ガラス乾板に写された画像でしか見ることができない貴重な文化財でもあります。写された画像を後世に伝えるため、便利堂は大型ガラス乾板にも対応できる世界初の専用超高精細デジタルスキャナーを京都大学と共同開発しました。2,500dpiという高解像度でスキャニングできるため、乾板の細部まで拡大することができ、また濃度調整をすることで肉眼では見えにくい部分を表現することもできます。死蔵されたガラス乾板を、高精細のデジタルデータにすることで、貴重な写真の活用が可能となります。
【スキャナー紹介動画】
このスキャナーを用いて、先年重要文化財に指定された「法隆寺金堂壁画」の全紙大ガラス乾板(昭和10年撮影)363枚の原板をデジタル化する事業が進行中です。写真原板自体は重要文化財に指定され、万全な保存が期待されますが、その原板に写された画像の保存ならびに利活用が大きな課題でした。しかしこの事業により、焼損前の壁画の姿をとどめる唯一無二の貴重な画像が研究を始めさまざまな形で有効活用されていくことと思います。こうした新たな取り組みについて、ICOM ミュージアム・フェアにご来場の皆さまにご紹介できればと思っています。

重要文化財 法隆寺金堂壁画原寸分割撮影原板のスキャナー作業風景
<便利堂のスキャナーの特徴>
20×24inchの大きなガラス乾板のスキャニングが可能。
carte de visiteサイズから20×24inch(500mmX610mm)程度まで対応可能
●8K以上の次世代ディスプレーに対応できる超高精細データが取得できます。
最大24億7500万画素/18×22inch
●収差の少ないレンズ、ムラの極めて少ない光源で撮影しますのでガラス乾板の情報が正確にデジタル化されます。
●LED照明を使用していますので、ガラス乾板への負担がありません。
<スペック>
●フィルター UV/!Rカットフィルター
●レンズ Micro Nikkor 105mm
●光源 可視光LED
●スキャナー解像度 1500~2600dpi
●スキャニング寸法 最長700mm 最大横幅540mm

法隆寺金堂壁画(六号壁)コロタイプ複製(左)、高松塚古墳壁画(西壁女子群像部分)コロタイプ複製(右)
開催期間中は、ブース内に便利堂が昭和10年に撮影し、昭和13年に制作した法隆寺金堂壁画原寸大コロタイプ複製と、昭和47年に発掘直後に撮影し、平成29年に制作した高松塚古墳壁画原寸大カラーコロタイプ複製も展示しています。

また、9月3日(火)10:00~16:00には、同じく京都国際会館のANNEX HALLで、コロタイププリントのワークショップも開催する予定です。ミュージアム・フェアの当日券もあるそうですので(先着順、数量限定)、ご興味のある方やお時間のある方は、ぜひお立ち寄りください!
便利堂の場所は、国立京都国際会館1階のEVENT HALLでブース番号は「E32」です!

■ミュージアム・フェア
会場: 国立京都国際会館 1F EVENT HALL E32
日時: 9月2日(月) 12:30~18:00
9月3日(火)、4日(水) 9:00~18:00
■コロタイプワークショップ
会場: 国立京都国際会館 ANNEX HALL Networking Lounge
日時: 9月3日(火) 10:00~16:00
国宝複製完成展示『水無瀬神宮の社宝』展開催中!
今週22日(土)には、マイスター山本の講演会も開催!
@島本町立歴史文化資料館
2019年6月1日(土)-7月21日(日)

京となにわが出会うまち「島本町」で国宝の複製がこのたび完成
大阪府三島郡島本町は、京都の大山崎町と大阪の高槻市に挟まれた府境に位置しています。桂川・宇治川・木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所で、古くから京都盆地から大阪平野へ抜ける交通の要衝として栄えました。この島本町には、後鳥羽天皇を祀るために建立された水無瀬神宮があります。この水無瀬神宮には後鳥羽天皇ゆかりの宝物が国宝として2点伝わっています。このたび、島本町立歴史文化資料館ではこのふたつの国宝をコロタイプ複製され、完成記念展として「水無瀬神宮の社宝」を開催中です。⇒島本町HP:企画展のお知らせ
国宝「後鳥羽天皇像」と「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」

簡単にこの2件の国宝をご紹介します。ひとつは、上皇時代の後鳥羽天皇を描いた肖像画です。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる後鳥羽天皇は、承久3年(1221)に、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げましたが、この承久の乱で朝廷側が敗北したため、出家して隠岐に配流され、延応元年(1239)に同地で崩御しました。吾妻鏡などによれば、後鳥羽上皇が隠岐に配流される直前に、出家前の姿を藤原信実に描かせた像と伝わり、鎌倉時代似絵(にせえ)の代表作とされます。

もう1点は、後鳥羽天皇が崩御直前の暦仁2年(1239)2月9日、隠岐の配所から寵臣藤原(水無瀬)親成に与えた置文です。置文(おきぶみ)とは、一族や子孫に対して、現在および将来にわたって遵守すべきことを書き記した遺書です。親成の奉公を賞して摂津国水無瀬、井内の両庄を与え、また両庄を天皇追善の料所とすることなどを記し、その内容を証するため御手印をも加えられたものです。この10日余り後の2月22日に天皇は崩御されます。この遺勅に基づき、藤原信成・親成親子が仁治元年(1240)に天皇の離宮旧跡に御影堂を建立し、祀ったことが水無瀬神宮の始まりです。
今後、この貴重な国宝が複製として島本町立歴史文化資料館で展示公開されます!
今週22日の土曜日には、マイスター山本の講演会も開催されます!
この展覧会開催を記念し、「世界最古の写真印刷技法 コロタイプ技法」と題した講演会を山本修が行います。6月22日(土) 14:00(受付13:30)~15:30です。ぜひお近くの方は足をお運び頂けますと幸いです。

(『国宝事典』(第4版)より)
この2点を含む国宝1115件を解説とカラー図版で紹介した『国宝事典』(第4版)が好評発売中です! お近くの書店や便利堂各店舗でぜひお求めください!
2019年4月20日刊行 B5版・上製函入・754頁 定価:8,500円(+税)
くわしくは公式HP www.kokuho-jiten.comまで

@島本町立歴史文化資料館
2019年6月1日(土)-7月21日(日)

京となにわが出会うまち「島本町」で国宝の複製がこのたび完成
大阪府三島郡島本町は、京都の大山崎町と大阪の高槻市に挟まれた府境に位置しています。桂川・宇治川・木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所で、古くから京都盆地から大阪平野へ抜ける交通の要衝として栄えました。この島本町には、後鳥羽天皇を祀るために建立された水無瀬神宮があります。この水無瀬神宮には後鳥羽天皇ゆかりの宝物が国宝として2点伝わっています。このたび、島本町立歴史文化資料館ではこのふたつの国宝をコロタイプ複製され、完成記念展として「水無瀬神宮の社宝」を開催中です。⇒島本町HP:企画展のお知らせ
国宝「後鳥羽天皇像」と「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」

簡単にこの2件の国宝をご紹介します。ひとつは、上皇時代の後鳥羽天皇を描いた肖像画です。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる後鳥羽天皇は、承久3年(1221)に、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げましたが、この承久の乱で朝廷側が敗北したため、出家して隠岐に配流され、延応元年(1239)に同地で崩御しました。吾妻鏡などによれば、後鳥羽上皇が隠岐に配流される直前に、出家前の姿を藤原信実に描かせた像と伝わり、鎌倉時代似絵(にせえ)の代表作とされます。

もう1点は、後鳥羽天皇が崩御直前の暦仁2年(1239)2月9日、隠岐の配所から寵臣藤原(水無瀬)親成に与えた置文です。置文(おきぶみ)とは、一族や子孫に対して、現在および将来にわたって遵守すべきことを書き記した遺書です。親成の奉公を賞して摂津国水無瀬、井内の両庄を与え、また両庄を天皇追善の料所とすることなどを記し、その内容を証するため御手印をも加えられたものです。この10日余り後の2月22日に天皇は崩御されます。この遺勅に基づき、藤原信成・親成親子が仁治元年(1240)に天皇の離宮旧跡に御影堂を建立し、祀ったことが水無瀬神宮の始まりです。
今後、この貴重な国宝が複製として島本町立歴史文化資料館で展示公開されます!
今週22日の土曜日には、マイスター山本の講演会も開催されます!
この展覧会開催を記念し、「世界最古の写真印刷技法 コロタイプ技法」と題した講演会を山本修が行います。6月22日(土) 14:00(受付13:30)~15:30です。ぜひお近くの方は足をお運び頂けますと幸いです。

(『国宝事典』(第4版)より)
この2点を含む国宝1115件を解説とカラー図版で紹介した『国宝事典』(第4版)が好評発売中です! お近くの書店や便利堂各店舗でぜひお求めください!
2019年4月20日刊行 B5版・上製函入・754頁 定価:8,500円(+税)
くわしくは公式HP www.kokuho-jiten.comまで
