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◎KBS京都テレビ「羽田美智子の京都専科」103回 2012年3月19日放送
「美しいものを美しく再現する技」


紹介文より
「京都市中京区 富小路三条に色とりどりの絵葉書が並ぶお店があります。
美術はがきギャラリー「京都 便利堂」。
美術品の複製を作り続けてきた便利堂のアンテナショップです。
そんな便利堂が美術品の複製に使う技術が細かな部分まで精巧に印刷できる「コロタイプ印刷」。
この技術を使って過去には法隆寺金堂壁画などの複製をつくってきました。
この「コロタイプ」を便利堂は独自の技術開発でカラー化することに成功しました。
人の手を使い木版画の多色刷りの要領で刷るカラーコロタイプは一日に多くて500毎程度しか刷れないといいます。
今、便利堂はこの技術を使って法隆寺金堂壁画 六号壁のカラー化に挑戦しています。
美しいものを美しく再現する。
便利堂のあくなき挑戦は続きます。」
詳しくはこちら⇒ 「羽田美智子の京都専科」


紹介文より
「京都市中京区 富小路三条に色とりどりの絵葉書が並ぶお店があります。
美術はがきギャラリー「京都 便利堂」。
美術品の複製を作り続けてきた便利堂のアンテナショップです。
そんな便利堂が美術品の複製に使う技術が細かな部分まで精巧に印刷できる「コロタイプ印刷」。
この技術を使って過去には法隆寺金堂壁画などの複製をつくってきました。
この「コロタイプ」を便利堂は独自の技術開発でカラー化することに成功しました。
人の手を使い木版画の多色刷りの要領で刷るカラーコロタイプは一日に多くて500毎程度しか刷れないといいます。
今、便利堂はこの技術を使って法隆寺金堂壁画 六号壁のカラー化に挑戦しています。
美しいものを美しく再現する。
便利堂のあくなき挑戦は続きます。」
詳しくはこちら⇒ 「羽田美智子の京都専科」
◎月刊『プリバリ印』 2011年11月号
「千年級の作品が醸し出すオーラをプリントする」

紹介文より
「月刊『プリバリ印』2011年11月号の特集では、アートを広め、感覚を共有し、情緒を記録し、想いを伝える―― デジタルの時代にも決して輝きを失わない"印刷のアルス(技芸)"を紹介します。
コロタイプは版面にゼラチンを用いる平版印刷法で、連続階調による滑らかで深みのある表現が得られます。京都の便利堂は、単色だけだったコロタイプの多色刷り技術を開発し、数多くの国宝級絵画の複製を手掛けてきました。
プリバリインタビューでは、印刷のアルスを追究する、便利堂コロタイプ工房長の山本修さんに、コロタイプ技術の習得やそのエッセンスについて伺いました。」
詳しくはこちら⇒『月刊プリバリ印』

紹介文より
「月刊『プリバリ印』2011年11月号の特集では、アートを広め、感覚を共有し、情緒を記録し、想いを伝える―― デジタルの時代にも決して輝きを失わない"印刷のアルス(技芸)"を紹介します。
コロタイプは版面にゼラチンを用いる平版印刷法で、連続階調による滑らかで深みのある表現が得られます。京都の便利堂は、単色だけだったコロタイプの多色刷り技術を開発し、数多くの国宝級絵画の複製を手掛けてきました。
プリバリインタビューでは、印刷のアルスを追究する、便利堂コロタイプ工房長の山本修さんに、コロタイプ技術の習得やそのエッセンスについて伺いました。」
詳しくはこちら⇒『月刊プリバリ印』
◎コロタイプ Collotype とは?

エドワード・マイブリッジ Eadweard Muybridge "Animal Locomotion" 1887年
コロタイプ Collotype をご存じない方、あるいは名前だけは聞いたことあるけどどんなものなの?という方に知っていただくために簡単にコロタイプの説明してみます(詳しくは別カテゴリーをアップ予定)。
コロタイプは約150年前に発明された写真の古典印画技法である
コロタイプは、写真術草創期の1855年にアルフォンス・ポアトヴァン Alphonse Poitevin(1819-1882 仏)によってその原理が発見され(*1)、1868年ヨセフ・アルベルト Joseph Albert(1825-1886 独)で実用化された顔料(ピグメント)による写真印画技法です(*2)。最近では古典印画技法(オルタナティブ・プロセス Alternative Photographic Process)と呼ばれるもののひとつにあたります。
*1:英での特許取得年。前年の1854年にはこの原理で最初の印刷物を得ていた。
*2:バイエルンでの特許取得年。前年の1867年にミュンヘンでコロタイプ印刷所を開設している。
いずれも『日本コロタイプ史』(発行/全日本コロタイプ印刷組合 1981年)の記載に準拠

ヨセフ・アルベルト Joseph Albert 1850年頃
作品としては、上にあげたエドワード・マイブリッジ Eadweard Muybridge(1830-1904 英/米)の連続写真シリーズ 《Animal Locomotion》がよく知られています。先ごろ映画にもなったので名前は聞いたことある方も多いかもしれません(映画「マイブリッジの糸」公式HP)。
当時の写真印画は画像の保存性が低く、次第に退色変色する欠点がありました。それを補うために顔料を用いる様々な印画方法が考案されましたが、そのなかで確立された技法のひとつがコロタイプです。これによって高い保存性を獲得しただけでなく、ひとたび版に顔料を入れると版画の要領で多数のプリントが制作可能なことから、精緻な印刷技法として発展していくこととなりました。世界最古の写真印刷技法と呼ばれる所以です(詳しくは 東京都写真美術館 金子隆一先生「コロタイプ150年の歩み――日本はコロタイプの国である」をアップしました)。
ゼラチンによって表現される連続諧調
コロタイプの「コロ」とは「膠(にかわ)」すなわち「ゼラチン」のことです。「コラーゲン」などと同じギリシャ語で「膠」を指す"kolla"を語源とします。つまりコロタイプは「ゼラチン版」という意味で、この名称は1889年パリで開催された国際フォトグラフィー会議で採用されたました。ドイツでは「光による印刷」という意味の"リヒトドルック Lichtdruck"と呼ばれ、日本ではガラス板を使うことから"玻璃版"とも呼ばれます。
コロタイプはポアトヴァンの発見した「感光液を含んだゼラチンは光に当たると硬化する」という性質を利用しています。そのプロセスは次の通りです。
①感光液を含んだゼラチンを塗布したガラス板に写真のネガフィルムを密着させ紫外線に当てる(露光)。
②光の透過量に応じてゼラチンが硬化し、画像がそのままゼラチン版に焼き付けられる。
③ゼラチンは水を与えると膨張するが、硬化した部分は水分を含まず膨張しない。つまり画像が光の透過量によってゼラチンの硬化度合に置き換えられ、さらに水分を与えることで硬化度合がゼラチンの膨潤度合という凸凹に置き換えられる。
④シャドー部は深い谷、ハイライト部は浅い谷となり、そのなめらかに連続する谷の深さに応じて油性のインキが入る。
⑤これを紙に転写すると、フィルムの持つ豊かな諧調そのままの画像がプリントされる。
次にこのプロセスをもう少し詳しく見ていきましょう。
コロタイプのプロセス 【動画】
【製版】

ネガ(レタッチ作業)
コロタイプするネガを用意します。ゼラチン版に密着露光するため、プリントするサイズと同じ大きさのネガが必要です。必要に応じてネガの修正作業(レタッチ)を行います。この工程を「製版」と呼びます。多色刷コロタイプの場合は、色数と同じ枚数のネガが必要となります(別項「多色刷コロタイプ」アップします)。
【刷版】

ゼラチン版作成作業。感光液の入ったゼラチン溶液(黄色の液体)をガラス版の上にひく

溶液を均等に広げる
ゼラチン版の作成と露光作業の工程を「刷版作業」と呼び、出来上がったゼラチン版を「刷版(さっぱん)」といいます。
厚さ約10㎜のガラス板に感光液の入ったゼラチン(重クロム酸塩とゼラチンの混合物)を塗布します。これを乾燥機で加熱し固めて、ゼラチン版が完成します。

下面がガラスになった箱の上にネガを置き、その上にゼラチン版を密着して固定する。

箱を反転するとガラス面が上部になり、ゼラチン版の上にネガが置かれた状態になる。上から紫外線を当て露光する。

水洗して感光液を流した後、乾燥さす。
出来上がったゼラチン版の上に製版の終わったネガを置き紫外線で露光します。これによってネガの画像がゼラチン版に焼き付けられます。
【印刷】

円圧式のコロタイプ印刷機

印刷機に水を含ませて膨潤させたゼラチン版(刷版)を取り付ける(写真は墨インキが入った状態)
露光・水洗して一度乾燥させたゼラチン版(刷版)をふたたび水に浸してゼラチンを膨潤させます。

ゼラチン版の拡大(総合倍率5.0倍 視野経42.0mm)

さらに拡大(総合倍率48.0倍 視野経4.4mm)

上の画像をアップしたもの。ゼラチンの皺(レチキレーション)が確認できる。

ゼラチン版を膨潤させるとゼラチンに「レチキレーション」と呼ばれる微細な皺が発生します。この皺にインキが入り込みます。ゼラチンの硬化度合にこの皺の深度が比例します。

コロタイプは水と油の関係性を利用した「平版」の印刷方式です。そして、このレチキレーションの皺があることで「凹版」の特質も兼ね備えています。
ネガの白い部分(シャドー部)は光を良く通すのでゼラチン版が硬化し、水を含まないのでインキが付着します。また膨潤しないので深い凹部ができ、インキがたくさん入ります。
ネガの黒い部分(ハイライト部)は光を通さないのでゼラチン版が硬化せず、水をよく含むので油分を反発しインキが付着しません。またよく膨潤するので浅い凹部となりインキ量も少なくなります。

版式による表現の違い

オフセット25倍:4色の網点による表現。拡大するとドットが確認できる。

インクジェット25倍:4色(+補色)の微細なドットによる表現。墨色も4色で表現するため、ほかの色の影響が出る場合もある(色浮)。

コロタイプ25倍:墨色は墨のインキのみで表現。エッジもシャープに出ている。

インキ盤の上にをヘラでインキを伸ばしいれる。インキがローラーを介してゼラチン版に付着する。

一枚ずつ紙を手差しする。

円胴が回転し、ゼラチン版の上をプレスしながら紙が反対側に出てくる。
ゼラチン版の準備が整うと、インキ出しを行い適正な調子が出るまで試刷りを繰り返します。機械を操作するオペレーターと紙を手差しする助手の二人一組で作業を行います。1色を印刷するのに2回紙を機械に通します(二度刷)。これはコロタイプ特有の豊かな連続諧調を引き出すため、一度に濃く刷るのではなく浅く2回刷り重ねるのです。

数十枚印刷するとゼラチン版を拭き、再び水分を与えて版を適正な状態に保つ
数十枚ごとにゼラチン版を拭き、再度水分を与えて版の調子を整えます。このように印刷と版の調整作業を繰り返していきますので、機械は動いているときよりも止まっていることのほうが多いくらいです。ゼラチン版は耐刷性が低く、1版あたり300枚程度しか刷れません。たとえば500部印刷するときは、同じ版をふたつ用意します。
繰り返して行う版の調整、1枚ずつの紙の手差し、2度刷り、など非常に手間暇がかかるため、1日500枚~1000枚程度しか印刷することができません。ですが職人の技と感性に支えられたコロタイプならではの印刷表現は、効率だけでは測りきれない他に代えがたい魅力があると思っています。
◎写真集:ハール・フェレンツ 『ハンガリヤ』 昭和16年(1941)

ハール・フェレンツ Haar Ferenc 『ハンガリヤ』
写真/ハール・フェレンツ 表紙/ハール・イレーヌ 編集/井上清一 序文/三井高陽
発行年/昭和16年(1941)4月10日 発行者/井上清一(スメル社写真研究所) 発行所/日洪文化協会 印刷所/株式会社 便利堂
仕様/上製本、カバー巻、365×270mm 本文74頁
カテゴリー「書棚のコロタイプ」では、新旧のさまざまなコロタイプの本をご紹介でしていこうと思っています。
最初の一冊は戦前の写真集、ハンガリーの写真家ハール・フェレンツ撮影の『ハンガリヤ』です。
会社の書庫にもあったと記憶しているのですが、安くオークションで出ていたのでちょっと前に入手し、たまたま手元にあったのでこのあたりからどうかな思った次第です。
表紙カバーは、ハンガリーの民族文様をモチーフにしたデザインが和紙に木版5色刷で表現され、70年以上たった今も色鮮やかに残っています。「表紙 ハール・イレーヌ」とクレジットされており、奥さんがデザインしたものです。ちなみにハンガリーでは日本の苗字とと同じく先にファミリーネームが来るそうです。表紙カバーをはずすと、上製本のくるみ表紙はきらびき和紙にカバーと同じタイトルロゴが赤色で木版刷されています。

「ハンガリヤの草原 ホルトバーデュ」
本文には、牧歌的な農村風景や人々など作者の祖国ハンガリーの風物を詩的に写し取った30図が上質紙系の洋紙にコロタイプで印刷され収録されています。本紙は周囲が少々紙ヤケしていますが、非常に状態がよくこの時期の書籍にも関わらず、比較的良質な用紙を使用していることがわかります。
作者のハール・フェレンツ(Haar Ferenc 1908-1997)は、ブタペストで建築設計会社の仕事をしながら独学で写真を学び、1937年にパリに移って商業写真スタジオを開業。1939年に日本側の招聘でフランスを出国、翌年に来日し、戦後60年まで東京で活躍されました。ごく最近までご存命だったことに驚きました。2009年8月には「日本・ハンガリー国交樹立140周年記念」として回顧展が開催されていました(詳しくは飯沢耕太郎氏の紹介文参照)。

「麦刈りの帰り」

「ホモツクミージュの田舎娘」 表紙デザインとよく似た文様の衣装を着ています。

「バラトン湖」
氏のモダンな画面構成に魅入るとともに、仕事柄ついつい細部の刷り具合に目が行ってしまいます。現代の目からすると、紙のラフさもあいまって少しぼんやりした図版のような印象を受ける方も多いと思いますが、それがだんだん違うように見えてくるのが面白いところです。人物と背景の遠近感やハイライトのなかでの空と雲の調子など、コロタイプ独特の雰囲気が出ているのと、「この職人さん、ちゃんと写真わかって刷ってるな」というのがみえて楽しいのと同時に、今の我々がそれをやろうとしてなかなか難しいという課題に立ち戻るいい機会となり勉強になります。

「チャルダーシュを踊るメゾコベージュドの村人」 雰囲気感じるためにカルマンのオペレッタ"チャールダーシュの女王"聞きながらブログ書いてます
図版はコロタイプモノクロ1色の片面刷。キャプションはグレーの活版で刷られています。各図版の前には薄葉紙が挟み込まれていますが、これはコロタイプのインクが非常に濃いため裏移りを防ぐためです。何十年もたった今でも今にも手につきそうなぐらい黒々としています。そしてこの薄葉に図版解説などが刷り込まれることも多いです。本書では、ところどころにハンガリー民謡の譜面とその訳詩が刷られ、異国の情緒を醸し出す演出がなされています。図版が全点二方断切りというのも、なんか斬新です。

製本のノド部分拡大「足継ぎ製本」。細長い茶色い部分が継ぎ足した和紙
製本はいわゆる角背・ホローバックの上製本ですが、普通とは少し違うのが「足継ぎ製本」という形をとっている点です。一般的には、製本は一枚の紙に何頁かを印刷して折りたたんで綴じていきます。足継ぎ製本とは、1頁ずつそのノドの部分に細長い和紙などを継ぎ足して製本することで、別丁頁を綴じ込む場合やノドの開きを良くしたりする場合に用いられたりします。しかし本書の場合はそれ以外にも大型コロタイプ本特有の理由が考えられます。

平版コロタイプ印刷機。本社1Fに展示してあります。
写真は石版印刷機をベースにした平版のコロタイプ印刷機です。正確な記録は残っていませんが、現在の円圧動力機を導入する前の、おそらく明治から戦後しばらくまで使用されていた機械です。動力を完全に人間の力に頼っているので、一日何百枚も刷る当時の職人さんたちは技術的にも体力的にも大変だったと頭が下がる思いです。この平版印刷機が刷れるサイズが全紙判(約B3判)であり、本書が約B4判ですので、おそらく2丁付(2頁を一度に刷ること)で印刷し、1頁分に断裁してから足継ぎで1頁ずつ綴じたのだと思います。本社書庫には、全紙判の超大型書もありますので、ご紹介する機会があればと考えています。

『富士山麓』 昭和17年(1942)
ハール・フィレンツの写真集はこの『ハンガリヤ』に前後して同様の大型写真集が2冊発表されています。1冊は前年の昭和15年に刊行された『東洋への道』(編集/井上清一 発行所/アルス 図版90点)と翌年17年の『富士山麓』(序文/三井高陽 編集・発行/スメル写真研究所 井上清一 印刷/便利堂 図版33点)です。つまり太平洋戦争勃発直前からの3年間に毎年1冊でていることになります。日本での第一冊となる『東洋への道』は2部構成となっています(1部「巴里1938」、2部「ハンガリヤより日本へ」)。文字通り、祖国からパリを経て来日する足跡がまとめられています。

『ハンガリヤ』奥付
3冊ともに共通しているのが編集・発行の「井上清一」もしくは「スメル写真研究所」(『ハンガリヤ』の奥付では「スメル社写真研究所」となっています)。フィレンツ氏は、1937年のパリ万博にはいくつかの写真を展示し、この結果、パリに移住することになり、そこで映画輸入業者の川添と出会います。この「川添」とは、1939年までパリに滞在しロバート・キャパと親交が深かった文化交流プロデューサーの川添浩史氏です。ハール・フィレンツの「東洋への道」の陰には川添氏の影響があったことが察しられます。そして川添氏とともにキャパと親しく生活していたのが井上清一氏です(のちにふたりはキャパの著作『ちょっとピンぼけ』を共訳)。大戦前夜のパリの交友関係が忍ばれて大変興味深いです。
井上清一氏は便利堂4代目社長 中村竹四郎の次女・和子さんと結婚され、一時便利堂にも在籍されていました。当時竹四郎が経営していた大阪の星岡茶寮の会員名簿(昭和13年6月1日付)にも井上氏の名前が確認でき、資料によると、ちょうどこの本が刊行された昭和16年に結婚されたようなので、この一連のお付き合いおよび出版がご縁になったようです(下記【追記】参照)。

序文の三井高陽男爵の署名
そしてもうひとりの重要人物が2冊に序文を寄せている三井高陽(みつい・たかはる)男爵です。三井南家10代当主である高陽氏は、三井系列企業の重役を務める傍ら、海外との文化交流にも力を注がれた人物のようです。ここでの肩書は「日洪文化協会会長」となっています(「洪」とはハンガリーの漢字表記「洪牙利」)。満州事変以降の日本の外交が孤立化していく背景において、こうした東欧諸国との国策的な文化交流が生み出した「写真集」という視点からも非常に興味深いものを感じます(このころの日洪関係などについて詳しくは、千葉大学近藤正憲氏「戦間期における日洪文化交流の史的展開」が参考になりました)。
コロタイプによる古美術写真の図録の印刷は数多い弊社ですが、いわゆる写真家の写真集というのはおそらくそんなに多くない(のではと思います。安井仲治写真集などの例はありますが)弊社が、なぜこの写真集をすることになったのか。この辺りの事情については、またあらためてご紹介する機会があればと思います。一冊の本を見ながら、いろいろ思っていると一日があっという間にたってしまいました。

後付図版リストの書き添えられた著者識語
最後に。オークションで入手した本書ですが、よくみると後付リストの余白に著者の識語がありました。「東京 1941年3日10月」と書いてあるようですが、本文は残念ながらハンガリー語のようでよくわかりません。ただ「Mitui Takaharu」と書いてあるのはわかります。ハンガリー語お分かりになる方、ぜひご教示ください!
おまけ

奥付の定価の上に○停(まるてい)という印があります。「○停」とはインフレ抑制のために昭和14年に公布された価格等統制令による価格停止品を示していて、同年9月18日現在の価格を最高価格として商品等の値段を据え置くことを指示したものです。敗戦まで存続し、その日付から「九・一八停止価格令」ともいうようです。その後の新製品には「○に新」、協定価格品は「○に協」、公定価格品は「○に公」、許可価格品は「○に許」といった価格符号の表示があるようです。
価格は20円となってます。このころの一般単行本が1円前後のように思われますので、今で置き換えると数万円といったところでしょうか。やはり高いですね。オークションでン千円で入手できたのは幸いでした。
【追記】
「もともと、私が親しく交わり始めた中村一族とは、彼(注:妻・和子の兄、五代目社長中村桃太郎)の父竹四郎で、国際文化交流事業に専念していた私が、ハンガリヤ出身の写真家フランシス・ハールの作品集を便利堂に依頼したり、更に、現在銀座三丁目の「銀茶寮」の地所にあった便利堂出張所の二階に、「審光写場」なるフォト・スタヂオを開設、大戦で日本に足止めされたハールを援助すべく、共同出資の事業を始めてからのことである。」(井上清一「桃生を憶う」、追悼集『中村桃太郎』 昭和53年2月1日発行)
「(略)故竹四郎社長が審美書院の常務取締役を兼任することになったのでした。それは昭和14年頃から15年にかけてのことだったように思います。それで、銀座西五丁目の菊池ビルの三階にあった便利堂東京出張所は審美書院の中の一部を改装して移ってきました。現在の銀茶寮のある銀座西三丁目三番地が審美書院だったところです。
(略)審美書院の社屋は元赤煉瓦の二階建だったのですが、(略)昭和16年秋、この社屋を改築して審光写場を作りました。(略)斯くて、すっきりした外観をととのえ、表に面した二階がこの写場であって、便利堂の技師長専務の故佐藤浜次郎さんと、オーストリヤの芸術写真家ハール・フェレンツさんとの技術提携を看板にサトウ・ハール・スタヂオとして発足しました。(略)順調に営業をつづけておりましたが、昭和20年5月24日夜から未明へかけての大空襲で全社屋と共に焼失してしまいました。」(便利堂東京出張所長 石井照一「人物オリンピック」、前掲書)
2014/10/23 追記及び加筆修正
2021/9/12 加筆修正
◎レタープレス機でコロタイプしてみました

ちょっと前に伊東屋さんで入手しておいたレタープレス機。
http://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=300335943331117&id=193247174039995
以前から是非コロタイプのワークショップをやってみたいと思っていましたが、初めての方に工房で使っている円圧の動力プレス機を扱ってもらうのはさすがに危険なので、なにか手ごろなプレス機がないかと探していたところこれに行きつきました。見つけた時は大興奮!
ようやく先日みんなでテストプリントをやってみました。
右の黄色い板が、ガラス版の上に感光剤入りのゼラチンを塗布したコロタイプの版です。事前にこれにネガフィルムを感光させて版を焼いておきます。横幅はプレス機で限度がありますが、長さはある程度いけそうです。テストなのでモチーフは長谷川潔の版画を小さめにやってみました。

ゼラチン版(刷版)にインキを入れ、紙を置きます。

その上にクッションになるものを敷き、プレス機に通します。


思いのほか、ちゃんと刷ることができて、一堂感嘆の声が。細かい線や中間調などもそこそこいい感じ。写真ではわかりづらいかもしれませんが、かなり薄手の和紙(たぶん雁皮紙だったと思います)で刷っています。円圧プレス機に紙を手差しする通常の印刷では、なかなかこうした薄い紙は難しいのですが、版に直に紙を置けるのでその点もよいです。
もうすこし経験積めばもっとうまくできそうです。にわかにコロタイプ・ワークショップが実現実を帯びてきました!