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◎第2回国際コロタイプ会議
2nd International Collotype Conference
2005/01/29-02/01
国際コロタイプ会議! そんなマイナーなもんあったんか! とお思いになる方も多いと思います。そういう私たち自身が初めてその名前を聞いた時そう思いました。でもそれを知る事によって、世界中にコロタイプに熱い思いをもっている人がいるという事実を知りました。今回はこれまで普通に国内で仕事をしていた私たち(私?)の目からうろこが落ちた原点の話です。

現在ヒューストンのMuseum of Printing Historyで”Contemporary Collotype: Photographs in Ink by Neal Cox, Kent Rush, and Paul Thirkell”という展覧会が開催されています(3/22-6/9)。この展覧会は、国際コロタイプ会議で出会った2人のコロタイパー、ポール・サーケル氏とケント・ラッシュ氏が、ニール・コックス氏とともに開催したコロタイプ写真作品展です。「コンテンポラリーコロタイプ」というタイトルにとても共感をおぼえるとともに、知り合った7年前から今もコロタイプに対する変わらぬ熱い思いで第一線で活躍されているのをうかがい知るのはテンションがあがります。
会議参加までの経緯
それまで海外のコロタイプについては、イタリアの「アリナリ社 Alinari」がやっていることぐらいしか情報を知っておらず、またそれ以上取り立てて興味もありませんでした。今から10年前の2002年8月、そんな私たちに突然見知らぬドイツ人から電話があり、コロタイプについて教えてほしいので便利堂を訪ねたいとの連絡がありました。戸惑いつつもお会いして話を聞くと、知人のコロタイプ技術者から日本に行くならインキのことを聞いてきてくれと頼まれたとのこと。ドイツをはじめヨーロッパではコロタイプインキが製造中止になって困っているらしく、そのほかにもフィルム・版ガラス・皮ローラー・技術伝承などの面で問題を抱えているという話を聞きました。「ああ、そうなんだ。。」同じ悩みを持つ私たちが、各国にある工房を少し意識した瞬間でした。
その工房「リヒトドルック・クンスト・ライプツィッヒ社 Lichtdruck-Kunst Leipzig」に、私たちがお世話になっている三星インキさんを紹介したのがご縁となり、ドイツに技術面や状況などについて(まだまだITを使いこなせていない時代でしたので)手紙を何度か送ってみましたが返事がくることはありませんでした。そうして年が明けた2003年1月、ライプツィッヒ社から同工房が95年に制作した現代版画作家による限定版コロタイプ作品集と大量のさまざまなプリントサンプルが忘れたころに手元に届きました。便利堂工房製とは一味も二味もちがうそれらのプリントに大いに興味がわきましたが、説明するような手紙はありませんでした。そのかわり、独語とそれを日本語に直訳した「第1回国際コロタイプ会議」出席者へのお礼状が入っていました。


限定版作品集『LICHTBLICKE』。ライプツィッヒをはじめイギリスなどの5人の作家によるコロタイプ版画集。
限定88部、作者によるサイン・記番入。ゼラチン版に直接、薬品を筆などで描き版を作る方法で作成。⇒近々動画アップ予定
国際コロタイプ会議!? 察するに、「どうやらヨーロッパではコロタイプ関係者の国際的なネットワークがあり、つい先ごろその第1回目の会議が行われたようである」。この情報は、さらに私たちの興味を掻き立てました。いったい欧米にはどれくらいの工房があるのか、どんな人々がこの会議に参加し、どんな内容の会議なのか、次はいつ開催されるのか。つきない疑問をお礼の言葉と一緒に手紙を出しましたが、やはり返事はないまま2年が過ぎようとしていました。ところがまた突然の電話によって事態が大きく変わることになりました。
2004年の暮れも押し詰まったころ、電話はロンドンからでした。瀧澤さんという日本人女性からで、今度イギリスのブリストルにある大学でコロタイプ会議があり、自分か習っていたその大学の先生から便利堂にインキのことを聞いてほしいと頼まれた、とのことでした。コロタイプ会議! またインキ! Webで調べてみると、University of the West of England (UWE)のサイトで会議参加の申込みを受付けていることがわかりました。開催は1ヶ月後の1月末でしたが、とりあえず工房長の山本と私の2名を申し込んだところ、主催のUWE大のポール・サーケル氏より歓迎の返事があり、また思いがけずもスピーカーのひとりとして日本のコロタイプを紹介する機会も与えていただくことになりました。
ブリストルへ
海外が初めての山本と珍道中の末、ようやくブリストルまでたどり着きました。会議はワークショップ2日、講演会2日の計4日間。ワークショップの参加者は、アリナリ社、ライプツィッヒ社、アリゾナ大、テキサス大、ほかスウェーデン、スコットランド、モナコなど15名が参加。各工程を見学し、その後実演。技術面、材料面でいろいろな発見がありました。

大学は美しい自然に囲まれています。

UWEのthe Center for Fine Print Reserch(CFPR)が会場。

棟の入口ロビーには各国のコロタイププリントが展示してありました(写っているのは山本)。

真ん中あたりに展示されているモノクロ4点のうち右上下2点が便利堂工房製。
細江英公先生の《薔薇刑》と《鎌鼬》です。隣の2点はドイツ・ライプツィッヒ社製。
後でわかりましたが、偶然写りこんでいるおじさんがライプツィッヒ社のマイスターでした。
ワークショップ ⇒近いうちに動画アップ予定

ゼラチン液を濾過しているところ。濾過にはコーヒー用のペーパーフィルターとシルクスクリーンの120番か140番を併用して使用。

版の乾燥機。だいぶん小型です。先のゼラチン液に感光材を混ぜたものを引きます。
便利堂では裸にエプロンで版を振りますが、こちらはこの上に液を流し小さな紙片で伸ばした後、指で均等にしてました。

コロタイプのプレス機と版。欧米の版はほとんど無色です。日本では硝酸鉛を添加するため黄色になります。
欧米のレチキレーションは粗いように感じますが、この硝酸鉛に関係があるのかもしれません。
また、日本では、版を露光したあと裏から全体に露光をしますが(裏焼き:未露光の部分のゼラチンの強度を増すため)、
これも行いません。なぜ水洗でゼラチンが流れないか不思議です。

皮の手ローラーでインキング作業のポール。

助手としてアリナリ社の若いコロタイパー二人。版にしめし水を与えているところ。日本のしめし水はグリセリンと水の混合液ですが、
もう1種類薬品が入ったレシピのよう。布で版をこすって調子を整えたりもしない。

左はドイツのマイスター、アキム氏。日独伊のコロタイパーの貴重なスリーショット。

ラムダネガによる銅版画作品。当時私たちもいろいろなデジタルネガの研究をしていて、ラムダでもコロタイプのテストをしていました。

前年の2004年に便利堂工房製の森村泰昌先生の《フェルメール研究2004》の刷本でディスカッション。
デジタルデータからのコロタイプ。プロセスベースに特色を刷重ねた12色刷。

講演会でのスピーチ。ワークショップ参加者プラス作家・他版式のプリンター・研究者など計35名が参加。「コロタイプの過去・現在・未来」と題して10名が発表。

便利堂のスピーチ終了後、サンプルをみてもらう。真ん中のヒゲの強面は手刷石版画のプリンターで、実はいい人。
欧米でのコロタイプの状況
会議開催時の2005年の時点で、イギリスでは最後の工房「Cotswold」が1983年閉鎖されていました。フランスではこの数年前にGalerie Maeght内にある印刷工房「Arte」で行っていた版式のうちコロタイプをやめており、パリ国立印刷所美術出版局のなかにもコロタイプ機が1台ありましたが、この直前に閉鎖されることになってしまっていました(2006年には印刷所そのものも閉鎖)。当時、産業として行っているのは、独のライプツィッヒ社と伊のアリナリ社と便利堂でした。ライプツィッヒ社は現在も印刷博物館内に工房が移設され、なんとか技術の継承に腐心されています(⇒詳細を近々にアップ予定)。

左がポール氏、真ん中の赤いベストの方がケント・ラッシュ氏(テキサス大)、左端がジェームズ・ハジェック氏 (アリゾナ大)
大学では、このUWE大以外にアメリカのアリゾナ大、テキサス大でコロタイプが教えられていました。アリゾナ大では、シカゴにあったアメリカ最後のコロタイプ印刷所「Black Box Collotype」より巨大なコロタイプ機を譲り受け、ジェームズ・ハジェック氏 James Hajicekがプリントを行っておられました(現在は退官され名誉教授)。便利堂の大型機「Dax」と同等の長辺120㎝程度の大判までプリントできる模様。米では支持体にガラスではなくPS版(アルミ板)を使うため、欧州同様裏焼きを行わなわず、どうやってゼラチンを定着さすのか不思議。
テキサス大でコロタイプを行っているのが前述のケント・ラッシュ氏で、氏は米におけるコロタイプリバイバルのパイオニアといえる作家です。やはりPS版を支持体にしていますが平台のプレスマシンによる手刷りで制作されています。
第3回国際コロタイプ会議は!?
当時、日本にコロタイプが残っていることぐらいは海外でも多少知られていたようですが、詳しい実際についてはまったくといっていいほど知られていない状況でした。突然の参加でしたが、世界に今なお残るコロタイプ工房のひとつとして便利堂が存在しているということを認知してもらうことができたと思います。そしてそれ以上に意義があったのは、この会議のテーマ「コロタイプの過去・現在・未来」が示すように、いろいろな問題を抱える現在をともに乗り越え、コロタイプの未来を切り開こうという思いを国の垣根を越えて共感できたことであり、今後の大きな励みになりました。従来各工房の技術は秘匿があたりまえで、それが生き残りの道でした。しかしこの会議ではお互いの技術を公表しあうのが目的なのです。参加者のひとりが言った「技術や知識を共有しあうことこそがコロタイプの技術が生き残る唯一の道である」という言葉が印象的でした。
会議最終日、誰からともなく「第3回はどうする?」みたいな話になりました。「じゃあ2年後にイタリアで。その次は日本でいい?」「もちろん」と、またの再会を誓って無事すべての日程を終えました。しかし、今のところイタリアから会議開催の連絡はありません。その後の情報によるとアリナリ社の工房は閉鎖されたとのことでした。当時もすでに新版は行わず、在版の再版のみを行っていたようですが、若い二人がしっかり技術を継承していたのに非常に残念です。というわけで、7年以上前回と間が空いてしまいましたが、近いうちにこの日本で第3回国際コロタイプ会議を開催したい、というのが個人的に勝手に考えている目下の目標のひとつです。来年ぐらいにできたらいいな。
2005/01/29-02/01
国際コロタイプ会議! そんなマイナーなもんあったんか! とお思いになる方も多いと思います。そういう私たち自身が初めてその名前を聞いた時そう思いました。でもそれを知る事によって、世界中にコロタイプに熱い思いをもっている人がいるという事実を知りました。今回はこれまで普通に国内で仕事をしていた私たち(私?)の目からうろこが落ちた原点の話です。

現在ヒューストンのMuseum of Printing Historyで”Contemporary Collotype: Photographs in Ink by Neal Cox, Kent Rush, and Paul Thirkell”という展覧会が開催されています(3/22-6/9)。この展覧会は、国際コロタイプ会議で出会った2人のコロタイパー、ポール・サーケル氏とケント・ラッシュ氏が、ニール・コックス氏とともに開催したコロタイプ写真作品展です。「コンテンポラリーコロタイプ」というタイトルにとても共感をおぼえるとともに、知り合った7年前から今もコロタイプに対する変わらぬ熱い思いで第一線で活躍されているのをうかがい知るのはテンションがあがります。
会議参加までの経緯
それまで海外のコロタイプについては、イタリアの「アリナリ社 Alinari」がやっていることぐらいしか情報を知っておらず、またそれ以上取り立てて興味もありませんでした。今から10年前の2002年8月、そんな私たちに突然見知らぬドイツ人から電話があり、コロタイプについて教えてほしいので便利堂を訪ねたいとの連絡がありました。戸惑いつつもお会いして話を聞くと、知人のコロタイプ技術者から日本に行くならインキのことを聞いてきてくれと頼まれたとのこと。ドイツをはじめヨーロッパではコロタイプインキが製造中止になって困っているらしく、そのほかにもフィルム・版ガラス・皮ローラー・技術伝承などの面で問題を抱えているという話を聞きました。「ああ、そうなんだ。。」同じ悩みを持つ私たちが、各国にある工房を少し意識した瞬間でした。
その工房「リヒトドルック・クンスト・ライプツィッヒ社 Lichtdruck-Kunst Leipzig」に、私たちがお世話になっている三星インキさんを紹介したのがご縁となり、ドイツに技術面や状況などについて(まだまだITを使いこなせていない時代でしたので)手紙を何度か送ってみましたが返事がくることはありませんでした。そうして年が明けた2003年1月、ライプツィッヒ社から同工房が95年に制作した現代版画作家による限定版コロタイプ作品集と大量のさまざまなプリントサンプルが忘れたころに手元に届きました。便利堂工房製とは一味も二味もちがうそれらのプリントに大いに興味がわきましたが、説明するような手紙はありませんでした。そのかわり、独語とそれを日本語に直訳した「第1回国際コロタイプ会議」出席者へのお礼状が入っていました。


限定版作品集『LICHTBLICKE』。ライプツィッヒをはじめイギリスなどの5人の作家によるコロタイプ版画集。
限定88部、作者によるサイン・記番入。ゼラチン版に直接、薬品を筆などで描き版を作る方法で作成。⇒近々動画アップ予定
国際コロタイプ会議!? 察するに、「どうやらヨーロッパではコロタイプ関係者の国際的なネットワークがあり、つい先ごろその第1回目の会議が行われたようである」。この情報は、さらに私たちの興味を掻き立てました。いったい欧米にはどれくらいの工房があるのか、どんな人々がこの会議に参加し、どんな内容の会議なのか、次はいつ開催されるのか。つきない疑問をお礼の言葉と一緒に手紙を出しましたが、やはり返事はないまま2年が過ぎようとしていました。ところがまた突然の電話によって事態が大きく変わることになりました。
2004年の暮れも押し詰まったころ、電話はロンドンからでした。瀧澤さんという日本人女性からで、今度イギリスのブリストルにある大学でコロタイプ会議があり、自分か習っていたその大学の先生から便利堂にインキのことを聞いてほしいと頼まれた、とのことでした。コロタイプ会議! またインキ! Webで調べてみると、University of the West of England (UWE)のサイトで会議参加の申込みを受付けていることがわかりました。開催は1ヶ月後の1月末でしたが、とりあえず工房長の山本と私の2名を申し込んだところ、主催のUWE大のポール・サーケル氏より歓迎の返事があり、また思いがけずもスピーカーのひとりとして日本のコロタイプを紹介する機会も与えていただくことになりました。
ブリストルへ
海外が初めての山本と珍道中の末、ようやくブリストルまでたどり着きました。会議はワークショップ2日、講演会2日の計4日間。ワークショップの参加者は、アリナリ社、ライプツィッヒ社、アリゾナ大、テキサス大、ほかスウェーデン、スコットランド、モナコなど15名が参加。各工程を見学し、その後実演。技術面、材料面でいろいろな発見がありました。

大学は美しい自然に囲まれています。

UWEのthe Center for Fine Print Reserch(CFPR)が会場。

棟の入口ロビーには各国のコロタイププリントが展示してありました(写っているのは山本)。

真ん中あたりに展示されているモノクロ4点のうち右上下2点が便利堂工房製。
細江英公先生の《薔薇刑》と《鎌鼬》です。隣の2点はドイツ・ライプツィッヒ社製。
後でわかりましたが、偶然写りこんでいるおじさんがライプツィッヒ社のマイスターでした。
ワークショップ ⇒近いうちに動画アップ予定

ゼラチン液を濾過しているところ。濾過にはコーヒー用のペーパーフィルターとシルクスクリーンの120番か140番を併用して使用。

版の乾燥機。だいぶん小型です。先のゼラチン液に感光材を混ぜたものを引きます。
便利堂では裸にエプロンで版を振りますが、こちらはこの上に液を流し小さな紙片で伸ばした後、指で均等にしてました。

コロタイプのプレス機と版。欧米の版はほとんど無色です。日本では硝酸鉛を添加するため黄色になります。
欧米のレチキレーションは粗いように感じますが、この硝酸鉛に関係があるのかもしれません。
また、日本では、版を露光したあと裏から全体に露光をしますが(裏焼き:未露光の部分のゼラチンの強度を増すため)、
これも行いません。なぜ水洗でゼラチンが流れないか不思議です。

皮の手ローラーでインキング作業のポール。

助手としてアリナリ社の若いコロタイパー二人。版にしめし水を与えているところ。日本のしめし水はグリセリンと水の混合液ですが、
もう1種類薬品が入ったレシピのよう。布で版をこすって調子を整えたりもしない。

左はドイツのマイスター、アキム氏。日独伊のコロタイパーの貴重なスリーショット。

ラムダネガによる銅版画作品。当時私たちもいろいろなデジタルネガの研究をしていて、ラムダでもコロタイプのテストをしていました。

前年の2004年に便利堂工房製の森村泰昌先生の《フェルメール研究2004》の刷本でディスカッション。
デジタルデータからのコロタイプ。プロセスベースに特色を刷重ねた12色刷。

講演会でのスピーチ。ワークショップ参加者プラス作家・他版式のプリンター・研究者など計35名が参加。「コロタイプの過去・現在・未来」と題して10名が発表。

便利堂のスピーチ終了後、サンプルをみてもらう。真ん中のヒゲの強面は手刷石版画のプリンターで、実はいい人。
欧米でのコロタイプの状況
会議開催時の2005年の時点で、イギリスでは最後の工房「Cotswold」が1983年閉鎖されていました。フランスではこの数年前にGalerie Maeght内にある印刷工房「Arte」で行っていた版式のうちコロタイプをやめており、パリ国立印刷所美術出版局のなかにもコロタイプ機が1台ありましたが、この直前に閉鎖されることになってしまっていました(2006年には印刷所そのものも閉鎖)。当時、産業として行っているのは、独のライプツィッヒ社と伊のアリナリ社と便利堂でした。ライプツィッヒ社は現在も印刷博物館内に工房が移設され、なんとか技術の継承に腐心されています(⇒詳細を近々にアップ予定)。

左がポール氏、真ん中の赤いベストの方がケント・ラッシュ氏(テキサス大)、左端がジェームズ・ハジェック氏 (アリゾナ大)
大学では、このUWE大以外にアメリカのアリゾナ大、テキサス大でコロタイプが教えられていました。アリゾナ大では、シカゴにあったアメリカ最後のコロタイプ印刷所「Black Box Collotype」より巨大なコロタイプ機を譲り受け、ジェームズ・ハジェック氏 James Hajicekがプリントを行っておられました(現在は退官され名誉教授)。便利堂の大型機「Dax」と同等の長辺120㎝程度の大判までプリントできる模様。米では支持体にガラスではなくPS版(アルミ板)を使うため、欧州同様裏焼きを行わなわず、どうやってゼラチンを定着さすのか不思議。
テキサス大でコロタイプを行っているのが前述のケント・ラッシュ氏で、氏は米におけるコロタイプリバイバルのパイオニアといえる作家です。やはりPS版を支持体にしていますが平台のプレスマシンによる手刷りで制作されています。
第3回国際コロタイプ会議は!?
当時、日本にコロタイプが残っていることぐらいは海外でも多少知られていたようですが、詳しい実際についてはまったくといっていいほど知られていない状況でした。突然の参加でしたが、世界に今なお残るコロタイプ工房のひとつとして便利堂が存在しているということを認知してもらうことができたと思います。そしてそれ以上に意義があったのは、この会議のテーマ「コロタイプの過去・現在・未来」が示すように、いろいろな問題を抱える現在をともに乗り越え、コロタイプの未来を切り開こうという思いを国の垣根を越えて共感できたことであり、今後の大きな励みになりました。従来各工房の技術は秘匿があたりまえで、それが生き残りの道でした。しかしこの会議ではお互いの技術を公表しあうのが目的なのです。参加者のひとりが言った「技術や知識を共有しあうことこそがコロタイプの技術が生き残る唯一の道である」という言葉が印象的でした。
会議最終日、誰からともなく「第3回はどうする?」みたいな話になりました。「じゃあ2年後にイタリアで。その次は日本でいい?」「もちろん」と、またの再会を誓って無事すべての日程を終えました。しかし、今のところイタリアから会議開催の連絡はありません。その後の情報によるとアリナリ社の工房は閉鎖されたとのことでした。当時もすでに新版は行わず、在版の再版のみを行っていたようですが、若い二人がしっかり技術を継承していたのに非常に残念です。というわけで、7年以上前回と間が空いてしまいましたが、近いうちにこの日本で第3回国際コロタイプ会議を開催したい、というのが個人的に勝手に考えている目下の目標のひとつです。来年ぐらいにできたらいいな。
◎TOKYO FMほか「フロンティアーズ~明日への挑戦」121回 2011年10月22日放送
「便利堂 工房長 山本 修」 PERSONALITY: 鶴田 真由

これもちょっと前の放送ですが記録として。
紹介文より
「豊かで便利な21世紀の生活。
それは人類が長い間、磨き続けてきた「技術」の成果。
エアコン/シャワー/冷蔵庫/ビール/アスリートたちの素晴らしいプレイ。
すべては「SKILL」と「TECHNOLOGY」の賜物。
人類は技術を手に繁栄を築いてきたといえます。
この番組のキーワードは「技術」=「SKILL」と「TECHNOLOGY」。
主人公は21世紀にそれぞれの「技術」で明日を切り開こうとしている人たち。
アスリート/科学者/職人/ミュージシャン/デザイナー etc...
さまざまなジャンルのなかから毎回1人にフォーカス。
女優 鶴田真由さんのナレーションで彼らの技術にせまります。 」
「便利堂は文化財の一般への普及に大きく貢献している会社。
ご出演して下さった山本修さんは、その細かく、大変な仕事を統括しています。」
詳しくはこちら⇒ 「フロンティアーズ~明日への挑戦」

これもちょっと前の放送ですが記録として。
紹介文より
「豊かで便利な21世紀の生活。
それは人類が長い間、磨き続けてきた「技術」の成果。
エアコン/シャワー/冷蔵庫/ビール/アスリートたちの素晴らしいプレイ。
すべては「SKILL」と「TECHNOLOGY」の賜物。
人類は技術を手に繁栄を築いてきたといえます。
この番組のキーワードは「技術」=「SKILL」と「TECHNOLOGY」。
主人公は21世紀にそれぞれの「技術」で明日を切り開こうとしている人たち。
アスリート/科学者/職人/ミュージシャン/デザイナー etc...
さまざまなジャンルのなかから毎回1人にフォーカス。
女優 鶴田真由さんのナレーションで彼らの技術にせまります。 」
「便利堂は文化財の一般への普及に大きく貢献している会社。
ご出演して下さった山本修さんは、その細かく、大変な仕事を統括しています。」
詳しくはこちら⇒ 「フロンティアーズ~明日への挑戦」
◎NHK Eテレ 「日曜美術館」 2011年6月12日放送
「法隆寺金堂壁画 ガラス乾板から甦る美」
昨年ですが、記録まで。
紹介文より
「世界遺産法隆寺。
金堂外陣をとり巻く壁画は、昭和24年、火事でそのほとんどを焼失した。現在金堂を飾る壁画は、昭和42年に当代一流の絵師たちが制作した再現模写。その再現の元資料となったのが、昭和10年に原寸大で撮影されたガラス乾板だった。法隆寺金堂壁画の全貌を記録しようという国家事業だったが、このガラス乾板が焼失前の壁画の細部を今に伝える唯一の資料となった。
昭和42年の再現模写以来法隆寺収蔵庫に厳重に保存されていたガラス乾板が、このたび出版事業を機に40年ぶりに封を解かれ、かつて撮影を担当した京都の印刷会社に持ち込まれた。それを見た職人たちの魂が、かき立てられた。原寸大ガラス乾板は白黒だが、現代の技術をもってカラーで法隆寺金堂壁画が再現できないか。昭和10年にこの会社独自の判断で撮影された四色分解の縮小版ガラス乾板が取り出され、挑戦が始まった。
5月末、白鳳仏教絵画の至宝とされ人気も高い6号壁観音菩薩の胸から上の部分が、カラー原寸大で甦った。細部を凝視することで見えてくる1300年前の画工の腕前、シルクロードを貫く影響関係。あらためて、法隆寺金堂壁画の魅力に迫る。」
詳しくはこちら⇒ 「日曜美術館」
昨年ですが、記録まで。
紹介文より
「世界遺産法隆寺。
金堂外陣をとり巻く壁画は、昭和24年、火事でそのほとんどを焼失した。現在金堂を飾る壁画は、昭和42年に当代一流の絵師たちが制作した再現模写。その再現の元資料となったのが、昭和10年に原寸大で撮影されたガラス乾板だった。法隆寺金堂壁画の全貌を記録しようという国家事業だったが、このガラス乾板が焼失前の壁画の細部を今に伝える唯一の資料となった。
昭和42年の再現模写以来法隆寺収蔵庫に厳重に保存されていたガラス乾板が、このたび出版事業を機に40年ぶりに封を解かれ、かつて撮影を担当した京都の印刷会社に持ち込まれた。それを見た職人たちの魂が、かき立てられた。原寸大ガラス乾板は白黒だが、現代の技術をもってカラーで法隆寺金堂壁画が再現できないか。昭和10年にこの会社独自の判断で撮影された四色分解の縮小版ガラス乾板が取り出され、挑戦が始まった。
5月末、白鳳仏教絵画の至宝とされ人気も高い6号壁観音菩薩の胸から上の部分が、カラー原寸大で甦った。細部を凝視することで見えてくる1300年前の画工の腕前、シルクロードを貫く影響関係。あらためて、法隆寺金堂壁画の魅力に迫る。」
詳しくはこちら⇒ 「日曜美術館」