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世界初! 国際コロタイプ写真コンペ "HARIBAN AWARD 2014" 作品募集開始!
京都で職人と一緒にコロタイプしませんか?
募集期間:4月15日―6月30日

■「Hariban Award」プロジェクトとは?
「Hariban Award」プロジェクトは、広く世界からコロタイプで作品を作ってみたい写真家やクリエイターにエントリーしてもらい、最優秀者は工房のある京都に招待され、滞在しながら自分の思い描くプリント、あるいは新たな発見となるプリントを職人と共に作り上げるという、便利堂コロタイプ工房でしか味わえない体験ができます。
※くわしい開催概要はこちら⇒公式HP http://www.haribanaward.com

■コンペを企画した背景
10年ほど前より「コロタイプによる写真表現」という課題に取り組んできました。便利堂ではながらく「古美術や文化財の複製」がコロタイプの主な活用方法でしたが、世界的にもこの技法が希少になり、もっとコロタイプを活用していただく機会を増やさなければと考えたからです。もともとコロタイプは19世紀の写真草創期に発明された写真プリント技法です。日本でもかつてはアルバムや写真集というかたちで写真を表現するもっともすぐれた技法だったのです。今やその大部分はほかの新しい技術にとってかわられましたが、しかしながらコロタイプしかもちえない独自な表現力は今の時代にも色あせないものだと思っています。現在の若い写真家やクリエイターの方々にこの技術を知っていただき、実際に自身の作品をコロタイプで制作する機会を創出したいと考えこのコンペを企画しました。
■開催概要
応募受付期間: 2014年4月15日-6月30日
テーマ:特定のテーマは設定しません
応募作品:モノクロ写真作品(アナログ、デジタル問わず)
応募資格:一切問いません
応募点数:12点
参加費用:50ドル(約5000円)
審査方法:画像データによる第1次審査および第2次審査
■応募詳細はこちら
■賞
最優秀賞(1名) :
主催者の経費負担(渡航費、滞在費)にて2週間の京都滞在。この期間中、工房にて職人とのコラボレートでコロタイププリント8作品を制作。制作したプリントは主催者から受賞者に寄贈されます。また、受賞作品(最優秀賞および審査員特別賞)を収録した公式カタログ(作品集)を贈呈します。作品は、2015年春の京都グラフィーにて展示公開されます。
審査員特別賞(若干名):受賞作品を収録した公式カタログを贈呈します。
■審査員

Simon Baker U.K.
英国国立美術館テートモダン 写真・国際美術部門チーフキュレーター
多田亞生 Japan
岩波書店 元美術書編集部 美術書編集長
多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科 非常勤講師
便利堂 取締役 顧問
太田菜穂子 Japan
L’art de Rosanjin (パリ・ギメ美術館 2013 / 京都国立近代美術館 2015) コミッショナー
東京画 Tokyo Scapes by 100 photographers コミッショナー
RAIEC – Mt. ROKKO ART INITIATIVE for EDUCATION & COMMUNICATION コミッティーメンバー
Gallery 916 アソシエイツ・キュレーター
株式会社クレー・インク 代表取締役 CEO
イトウツヨシ U.S.A.
写真センターProject Basho/ONWARD プログラムディレクター
■Q&A
Q1.モノクロ写真しか受け付けない理由は?
A.コロタイプは顔料を使ったピグメント・プリントです。「最古の写真印刷技法」とも呼ばれる所以ですが、150年前からかわらない職人による手作業のプリントは、「印刷」というよりもはや「版画」です。1色1色手間暇をかけて刷り重ねていく作業は、一瞬でカラー表現ができる環境にある現在の方々には想像がつかないほど膨大な時間を要します。今回のコンペはアーティストレジデンスというかたちで、入賞された方に実際に工房のある京都に滞在していただき、職人と一緒にプリントを作り上げるというのが特色です。限られた滞在時間でプリントを制作するという点を鑑み、今回はモノクロ作品に限定しました。今後はこの経験も踏まえながら、カラー作品も応募対象になることも検討していきたいと思います。
Q2.最優秀賞に選ばれた場合、受賞者がすることはありますか?
A.最優秀賞を受賞した方は、国内外を問わず工房のある京都に滞在していただく必要があります(主催者による招待)。約2週間を予定している滞在期間中に、工房の職人たちとどのようなプリントを制作するか、そのためにはどのようなアプローチをするか、日々やりとりを重ねながら作業をしていきます。作業はアナログフィルムからでもデジタルデータからでも可能ですが、職人たちと協議していくにあたって必要とおもわれる資料(ご自身のプリントや参考図書など)をご用意していただくといいかもしれません。制作したコロタイププリント(8作品を制作予定)は受賞者に寄贈させていただきます。また、額装など展示に必要な一切は主催者側で用意いたします。
Q3.玻璃版アワードに応募する利点は何ですか?
A.京都という、歴史と伝統、そして職人の仕事が受け継がれている街を背景に、世界でも唯一といってよいコロタイプで写真をプリントすることができる熟練の職人たちと一緒に物づくりが体験できるということです。今後のご自身の作品表現を構築されていくにあたって、視野が広がるよい経験になると保証します。
Q4.審査員はどのように選んだのですか?
A.このコンペは、英・テートモダンのキュレーターであるサイモン・ベーカー氏の強い後押しによって実現しました。彼には審査員長的な立場で参画していただいています。国内からは多田亞生氏と太田菜穂子氏のお二方に審査をお願いしました。多田氏は岩波書店美術出版部でながらく美術書ならびに写真集を手掛けてこられ、近年は国際的な写真展のプロデュースにもかかわっておられます。太田氏も「東京画」「ギャラリー916」など国内外で幅広く活動されています。第1回の開催ということもあり、コロタイプを熟知していただいている、あるいは写真分野の豊富な経験をお持ちであるという点で選ばせていただきました。またこのコンペは、フィラデルフィアの写真センター「Project Basho」の写真コンペ「ONWARD」に影響を受け企画が始まりました。そういう経緯からコンペ開催の経験豊かなProject Bashoのプログラム・ディレクターイトウツヨシさんにアメリカを代表して参加していただきました。
Q5.便利堂について少し教えてください。
A.便利堂は明治20年(1887)に創業して今年で128年になります。当初は書店として開業しましたがまもなく出版も手掛けるようになりました。明治38年(1905)にはコロタイプ工房ならびに写真工房を開設し、京都の風物や社寺・博物館が所蔵する文化財を撮影し絵はがきや図録などを制作するようになります。以後、写真や印刷物・出版物を通して京都の文化、日本の文化を記録し国内外に発信するお手伝いを続けてきました。写真作品分野では、日本写真史のなかでも特別な写真集である『安井仲治写真作品集』(昭和17年)を手掛けています。平成16年(2004)森村泰昌氏の《フェルメール研究2004》のコロタイプ版制作を機縁とし、ふたたびコロタイプ写真の表現に取り組みだしました。NYでのコロタイプ写真展《Time》の開催(2005)、植田正治《童暦》コロタイプ・ポートフォリオの制作(2006)、近年では、本年フランスの名門HSBC賞を受賞された新進写真家・瀧澤明子氏のプリント作品をコロタイプで制作しています。
◆

HARIBAN AWARD開催にむけてご支援お願いします!
パトロンになっていただいた方には数量限定の「コロタイプサンプル」、「ワークショップ参加」など特別なリターンをご用意しています。
くわしくは⇒クラウド・ファンディングサイト「CAMPFIRE」をご覧ください!
募集期間:4月15日―6月30日

■「Hariban Award」プロジェクトとは?
「Hariban Award」プロジェクトは、広く世界からコロタイプで作品を作ってみたい写真家やクリエイターにエントリーしてもらい、最優秀者は工房のある京都に招待され、滞在しながら自分の思い描くプリント、あるいは新たな発見となるプリントを職人と共に作り上げるという、便利堂コロタイプ工房でしか味わえない体験ができます。
※くわしい開催概要はこちら⇒公式HP http://www.haribanaward.com

■コンペを企画した背景
10年ほど前より「コロタイプによる写真表現」という課題に取り組んできました。便利堂ではながらく「古美術や文化財の複製」がコロタイプの主な活用方法でしたが、世界的にもこの技法が希少になり、もっとコロタイプを活用していただく機会を増やさなければと考えたからです。もともとコロタイプは19世紀の写真草創期に発明された写真プリント技法です。日本でもかつてはアルバムや写真集というかたちで写真を表現するもっともすぐれた技法だったのです。今やその大部分はほかの新しい技術にとってかわられましたが、しかしながらコロタイプしかもちえない独自な表現力は今の時代にも色あせないものだと思っています。現在の若い写真家やクリエイターの方々にこの技術を知っていただき、実際に自身の作品をコロタイプで制作する機会を創出したいと考えこのコンペを企画しました。
■開催概要
応募受付期間: 2014年4月15日-6月30日
テーマ:特定のテーマは設定しません
応募作品:モノクロ写真作品(アナログ、デジタル問わず)
応募資格:一切問いません
応募点数:12点
参加費用:50ドル(約5000円)
審査方法:画像データによる第1次審査および第2次審査
■応募詳細はこちら
■賞
最優秀賞(1名) :
主催者の経費負担(渡航費、滞在費)にて2週間の京都滞在。この期間中、工房にて職人とのコラボレートでコロタイププリント8作品を制作。制作したプリントは主催者から受賞者に寄贈されます。また、受賞作品(最優秀賞および審査員特別賞)を収録した公式カタログ(作品集)を贈呈します。作品は、2015年春の京都グラフィーにて展示公開されます。
審査員特別賞(若干名):受賞作品を収録した公式カタログを贈呈します。
■審査員

Simon Baker U.K.
英国国立美術館テートモダン 写真・国際美術部門チーフキュレーター
多田亞生 Japan
岩波書店 元美術書編集部 美術書編集長
多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科 非常勤講師
便利堂 取締役 顧問
太田菜穂子 Japan
L’art de Rosanjin (パリ・ギメ美術館 2013 / 京都国立近代美術館 2015) コミッショナー
東京画 Tokyo Scapes by 100 photographers コミッショナー
RAIEC – Mt. ROKKO ART INITIATIVE for EDUCATION & COMMUNICATION コミッティーメンバー
Gallery 916 アソシエイツ・キュレーター
株式会社クレー・インク 代表取締役 CEO
イトウツヨシ U.S.A.
写真センターProject Basho/ONWARD プログラムディレクター
■Q&A
Q1.モノクロ写真しか受け付けない理由は?
A.コロタイプは顔料を使ったピグメント・プリントです。「最古の写真印刷技法」とも呼ばれる所以ですが、150年前からかわらない職人による手作業のプリントは、「印刷」というよりもはや「版画」です。1色1色手間暇をかけて刷り重ねていく作業は、一瞬でカラー表現ができる環境にある現在の方々には想像がつかないほど膨大な時間を要します。今回のコンペはアーティストレジデンスというかたちで、入賞された方に実際に工房のある京都に滞在していただき、職人と一緒にプリントを作り上げるというのが特色です。限られた滞在時間でプリントを制作するという点を鑑み、今回はモノクロ作品に限定しました。今後はこの経験も踏まえながら、カラー作品も応募対象になることも検討していきたいと思います。
Q2.最優秀賞に選ばれた場合、受賞者がすることはありますか?
A.最優秀賞を受賞した方は、国内外を問わず工房のある京都に滞在していただく必要があります(主催者による招待)。約2週間を予定している滞在期間中に、工房の職人たちとどのようなプリントを制作するか、そのためにはどのようなアプローチをするか、日々やりとりを重ねながら作業をしていきます。作業はアナログフィルムからでもデジタルデータからでも可能ですが、職人たちと協議していくにあたって必要とおもわれる資料(ご自身のプリントや参考図書など)をご用意していただくといいかもしれません。制作したコロタイププリント(8作品を制作予定)は受賞者に寄贈させていただきます。また、額装など展示に必要な一切は主催者側で用意いたします。
Q3.玻璃版アワードに応募する利点は何ですか?
A.京都という、歴史と伝統、そして職人の仕事が受け継がれている街を背景に、世界でも唯一といってよいコロタイプで写真をプリントすることができる熟練の職人たちと一緒に物づくりが体験できるということです。今後のご自身の作品表現を構築されていくにあたって、視野が広がるよい経験になると保証します。
Q4.審査員はどのように選んだのですか?
A.このコンペは、英・テートモダンのキュレーターであるサイモン・ベーカー氏の強い後押しによって実現しました。彼には審査員長的な立場で参画していただいています。国内からは多田亞生氏と太田菜穂子氏のお二方に審査をお願いしました。多田氏は岩波書店美術出版部でながらく美術書ならびに写真集を手掛けてこられ、近年は国際的な写真展のプロデュースにもかかわっておられます。太田氏も「東京画」「ギャラリー916」など国内外で幅広く活動されています。第1回の開催ということもあり、コロタイプを熟知していただいている、あるいは写真分野の豊富な経験をお持ちであるという点で選ばせていただきました。またこのコンペは、フィラデルフィアの写真センター「Project Basho」の写真コンペ「ONWARD」に影響を受け企画が始まりました。そういう経緯からコンペ開催の経験豊かなProject Bashoのプログラム・ディレクターイトウツヨシさんにアメリカを代表して参加していただきました。
Q5.便利堂について少し教えてください。
A.便利堂は明治20年(1887)に創業して今年で128年になります。当初は書店として開業しましたがまもなく出版も手掛けるようになりました。明治38年(1905)にはコロタイプ工房ならびに写真工房を開設し、京都の風物や社寺・博物館が所蔵する文化財を撮影し絵はがきや図録などを制作するようになります。以後、写真や印刷物・出版物を通して京都の文化、日本の文化を記録し国内外に発信するお手伝いを続けてきました。写真作品分野では、日本写真史のなかでも特別な写真集である『安井仲治写真作品集』(昭和17年)を手掛けています。平成16年(2004)森村泰昌氏の《フェルメール研究2004》のコロタイプ版制作を機縁とし、ふたたびコロタイプ写真の表現に取り組みだしました。NYでのコロタイプ写真展《Time》の開催(2005)、植田正治《童暦》コロタイプ・ポートフォリオの制作(2006)、近年では、本年フランスの名門HSBC賞を受賞された新進写真家・瀧澤明子氏のプリント作品をコロタイプで制作しています。
◆

HARIBAN AWARD開催にむけてご支援お願いします!
パトロンになっていただいた方には数量限定の「コロタイプサンプル」、「ワークショップ参加」など特別なリターンをご用意しています。
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写真集:安井仲治 『安井仲治写真作品集』 昭和17年(1942)
コロタイプギャラリー春展で展示公開も予定しています!

安井仲治『安井仲治写真作品集』編集・発行 上田備山 昭和17年 限定50部
このポートフォリオは、戦前のモダニズム写真の興隆期にその抜きん出た先駆性で強烈な刻印を残した安井仲治の遺作集です。弊社が手掛けた写真集としてもっとも特筆すべき作品がこのポートフォリオといえるでしょう。写真史家の金子隆一氏は、この写真集について次のように述べています。
「この『安井仲治写真作品集』は、何度も言っていることだが、もっともオーセンティックと思われるオリジナルプリントが焼失してしまっているという一点によって、今日において安井仲治の写真世界を正当に伝える第一級の写真集である。いやそれ以上に、日本の写真集の歴史のなかにおいて、戦時下という切迫した状況のなかで製作されたという点と鑑みても内容・印刷・造本のすべてにおいて、燦然とそびえたつものであることは確信してやまない。」(「書誌および解題」金子隆一、『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』国書刊行会 2005年 「解説」より)
国書刊行会から復刻本が2005年に刊行されているので、ご所蔵あるいはご覧になった方も多いかもしれません。弊社では長らくこの写真集原本が所在不明でしたが、昨年書庫の引っ越し作業中に忽然と姿を現しました。今回は、この記念すべき写真集のご紹介をしたいと思います(画像はいずれも写真集原本の図版です。また作品集で表記された題名や制作年は、その後の研究でオリジナル表記との異同が指摘されています。以下、《写真集題名〈オリジナル題名〉》オリジナル制作年、で表記しています)。
全ページがPDFでご覧いただけます⇒こちら

1 《眺める人々〈猿廻しの図〉》大正14年(1925)
安井仲治(やすい・なかじ)は明治36年(1903)大阪生まれ、家業の洋紙問屋に勤めるかたわら写真の趣味にのめりこむようになり、大正11年(1922)には18歳で関西の名門アマチュア団体「浪華写真倶楽部」に入会します。作品集序文には次のように安井の経歴が紹介されています。
「安井仲治君は作画に、筆舌に豊かなる天分を併有し久しく本邦写壇の泰斗たり。
君資性高雅円満、しかも火の如き研究心をもち新鮮なる感覚と卓越せる技法とを駆使せる作品は発表毎に写壇注目の的となり、その独創的表現は世人をして驚嘆せしむ、若年既に大家の風を成す。後全関西写真連盟委員、日本写真美術展覧会審査員となる。
爾来各種展覧、競技会の審査に携わり、指導的立場に在り、しかも益々自己の練磨を怠らず、頻りに新しき作品と理論の発表を行い代表的作家たる実力を顕示しつつ今日に及ぶ。」

同 図版部分
初期の安井作品は、ほとんどがブロムオイルなどのピグメントプリントで制作され、当時全盛であった「芸術写真」の絵画的な美意識に強く影響されています。写真集最初掲げられたのは、子供など市井の人々が大道芸を楽しむ姿を描いた《眺める人々》。後の研究で《猿廻しの図》とも呼ばれるこの作品は、1925(大正14)年の「第14回浪華写真倶楽部展」に出品して優選賞を得ました。
A3程度の用紙に余白を大きくとったレイアウトがなされています。オリジナルはブロムオイルなどのピグメントプリントのように見えます。この作品はもちろん、銀塩写真作品についても、プリント作品を複写したネガからコロタイププリントを起こしたように見受けられます。先の金子氏の文章にあるように、この作品や次に挙げた《凝視》などはオリジナルプリントが現存しないということで、唯一このコロタイププリントが同時代に制作されたものとして残っています。

17 《凝視》昭和6年(1931)
1930年(昭和5年)、安井と上田備山が中心となり「丹平写真倶楽部」が結成されます。安井は、1931年(昭和6年)に開催された「独逸国際移動写真展」に大きな衝撃を受け、フォトモンタージュやクロースアップなどの「新興写真」の技法を積極的に取り入れていくようになります。作品からは、単に技巧やスタイルをまねることに陥ることなく、写真表現の可能性を模索しようとしているのが読み取れます。

20 《唄ふ男(一)〈旗〉》昭和6年(1931) 図版部分
安井はこの《旗》や壁に貼られた政治ポスターやビラを主題とした《相剋》(図28)など、戦後の「リアリズム写真」の先駆けともなるような作品も発表し、さらにその作品世界を拡大していきました。

27 《犬》昭和10年(1935) 図版部分
下に挙げる《蝶》や《灯台〈海浜〉》(図版31)、《帽子》(図版32)など、1930年代から始めから日本に紹介されていたシュルレアリスムの影響が見て取れる作品も、単なる模倣に終わらない彼独特のまなざしを感じさせます。

37 《蝶》昭和13年(1938) 図版部分

41 《磁気(二)〈磁力の表情〉》昭和14年(1939) 図版部分
昭和16年(1941)安井は丹平写真倶楽部の有志たちと、神戸に居留するユダヤ人たちを取材しました。ナチスの弾圧を逃れるため、「日本のシンドラー」杉原千畝領事が発行したビザでポーランドからシベリア経由で神戸に到着したユダヤ難民たちです。共同制作「流氓ユダヤ」として発表されたこのシリーズのうち、6点が安井作品です。写真集にはそのうち4点が収載されています。この頃すでに自身の体に異常を自覚していたといわれています。

49 《窓》昭和16年(1941) 図版部分
翌昭和17年(1942)3月15日、38歳の安井仲治は腎不全によって早すぎる死を迎えることになりました。その死後、わずか4か月半で刊行されたのがこの写真集です。日に日に戦況が激しさを増し、物資不足も深刻になる中、残された周囲の写真家たちがこの傑出した写真家の足跡をなんとしてでも作品集というかたちでまとめようとした思いが伝わってきます。

奥付部分
編集兼発行者として代表に名前が挙がっているのは、盟友上田備山。奥付には「非売品」と記されており、近しい方々に頒布されたものと思われます。ただ、奥付上部の限定50部のエディションを記入する欄には「ろ第 号」とあります。先に挙げた金子氏の書誌によると、「い」と「ろ」の2種類があり、「い」は頒布用に通し番号が算用数字が手書きで書き込まれ、「ろ」については関係者用として番号が入れられなかったのではないかと推測されています。たしかに弊社所蔵本も「ろ」の無番となっており、安井家に伝わる蔵本も同様です。いずれにしても、50部程度しか制作されておらず、現存するものがきわめて少ない稀覯本といえるでしょう。

作品集は枚葉式のポートフォリオで、作品図版50枚+扉・序文2枚・目次・奥付の計55枚が雲龍紙のような濃紺の和紙で装丁された四方帙に納められています。本文用紙は上質紙系の洋紙ですが、今のものとはずいぶんと違い、かなりざっくりした肌合いです。簡素ともいえるシンプルさですが、決して品格を損なうものではなく、時局において出来うる限りの材料を尽くしたことが感じられます。

現在のオフセット印刷で再現し装丁までも忠実に復刻したのが先に紹介した『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』(国書刊行会 2005年)です。限定出版の豪華本ということもあり、装丁の四方帙の表はクロス素材に変更されてあります。四方帙の上下の折り込み部分は、オリジナルは厚紙ですが、復刻本は耐久性を考慮し、表紙部分と同じボール芯に補強されています。

『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』 飯沢耕太郎/金子隆一 監修
国書刊行会 2005年 A3変型判 本体価格 35,000円
昨年に引き続き、京都グラフィーのサテライト展示として、弊社コロタイプギャラリーの展示を行いますが、今年はこの安井仲治のオリジナルコロタイププリントを展示しようと予定しております。開催は来月18日から。詳しい情報は追ってアップします。また、この展示に合わせて、この作品集より選んだ6作品をコロタイププリントのポートフォリオを作成して販売することも企画しています。春はぜひ京都グラフィーへ!


安井仲治『安井仲治写真作品集』編集・発行 上田備山 昭和17年 限定50部
このポートフォリオは、戦前のモダニズム写真の興隆期にその抜きん出た先駆性で強烈な刻印を残した安井仲治の遺作集です。弊社が手掛けた写真集としてもっとも特筆すべき作品がこのポートフォリオといえるでしょう。写真史家の金子隆一氏は、この写真集について次のように述べています。
「この『安井仲治写真作品集』は、何度も言っていることだが、もっともオーセンティックと思われるオリジナルプリントが焼失してしまっているという一点によって、今日において安井仲治の写真世界を正当に伝える第一級の写真集である。いやそれ以上に、日本の写真集の歴史のなかにおいて、戦時下という切迫した状況のなかで製作されたという点と鑑みても内容・印刷・造本のすべてにおいて、燦然とそびえたつものであることは確信してやまない。」(「書誌および解題」金子隆一、『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』国書刊行会 2005年 「解説」より)
国書刊行会から復刻本が2005年に刊行されているので、ご所蔵あるいはご覧になった方も多いかもしれません。弊社では長らくこの写真集原本が所在不明でしたが、昨年書庫の引っ越し作業中に忽然と姿を現しました。今回は、この記念すべき写真集のご紹介をしたいと思います(画像はいずれも写真集原本の図版です。また作品集で表記された題名や制作年は、その後の研究でオリジナル表記との異同が指摘されています。以下、《写真集題名〈オリジナル題名〉》オリジナル制作年、で表記しています)。
全ページがPDFでご覧いただけます⇒こちら

1 《眺める人々〈猿廻しの図〉》大正14年(1925)
安井仲治(やすい・なかじ)は明治36年(1903)大阪生まれ、家業の洋紙問屋に勤めるかたわら写真の趣味にのめりこむようになり、大正11年(1922)には18歳で関西の名門アマチュア団体「浪華写真倶楽部」に入会します。作品集序文には次のように安井の経歴が紹介されています。
「安井仲治君は作画に、筆舌に豊かなる天分を併有し久しく本邦写壇の泰斗たり。
君資性高雅円満、しかも火の如き研究心をもち新鮮なる感覚と卓越せる技法とを駆使せる作品は発表毎に写壇注目の的となり、その独創的表現は世人をして驚嘆せしむ、若年既に大家の風を成す。後全関西写真連盟委員、日本写真美術展覧会審査員となる。
爾来各種展覧、競技会の審査に携わり、指導的立場に在り、しかも益々自己の練磨を怠らず、頻りに新しき作品と理論の発表を行い代表的作家たる実力を顕示しつつ今日に及ぶ。」

同 図版部分
初期の安井作品は、ほとんどがブロムオイルなどのピグメントプリントで制作され、当時全盛であった「芸術写真」の絵画的な美意識に強く影響されています。写真集最初掲げられたのは、子供など市井の人々が大道芸を楽しむ姿を描いた《眺める人々》。後の研究で《猿廻しの図》とも呼ばれるこの作品は、1925(大正14)年の「第14回浪華写真倶楽部展」に出品して優選賞を得ました。
A3程度の用紙に余白を大きくとったレイアウトがなされています。オリジナルはブロムオイルなどのピグメントプリントのように見えます。この作品はもちろん、銀塩写真作品についても、プリント作品を複写したネガからコロタイププリントを起こしたように見受けられます。先の金子氏の文章にあるように、この作品や次に挙げた《凝視》などはオリジナルプリントが現存しないということで、唯一このコロタイププリントが同時代に制作されたものとして残っています。

17 《凝視》昭和6年(1931)
1930年(昭和5年)、安井と上田備山が中心となり「丹平写真倶楽部」が結成されます。安井は、1931年(昭和6年)に開催された「独逸国際移動写真展」に大きな衝撃を受け、フォトモンタージュやクロースアップなどの「新興写真」の技法を積極的に取り入れていくようになります。作品からは、単に技巧やスタイルをまねることに陥ることなく、写真表現の可能性を模索しようとしているのが読み取れます。

20 《唄ふ男(一)〈旗〉》昭和6年(1931) 図版部分
安井はこの《旗》や壁に貼られた政治ポスターやビラを主題とした《相剋》(図28)など、戦後の「リアリズム写真」の先駆けともなるような作品も発表し、さらにその作品世界を拡大していきました。

27 《犬》昭和10年(1935) 図版部分
下に挙げる《蝶》や《灯台〈海浜〉》(図版31)、《帽子》(図版32)など、1930年代から始めから日本に紹介されていたシュルレアリスムの影響が見て取れる作品も、単なる模倣に終わらない彼独特のまなざしを感じさせます。

37 《蝶》昭和13年(1938) 図版部分

41 《磁気(二)〈磁力の表情〉》昭和14年(1939) 図版部分
昭和16年(1941)安井は丹平写真倶楽部の有志たちと、神戸に居留するユダヤ人たちを取材しました。ナチスの弾圧を逃れるため、「日本のシンドラー」杉原千畝領事が発行したビザでポーランドからシベリア経由で神戸に到着したユダヤ難民たちです。共同制作「流氓ユダヤ」として発表されたこのシリーズのうち、6点が安井作品です。写真集にはそのうち4点が収載されています。この頃すでに自身の体に異常を自覚していたといわれています。

49 《窓》昭和16年(1941) 図版部分
翌昭和17年(1942)3月15日、38歳の安井仲治は腎不全によって早すぎる死を迎えることになりました。その死後、わずか4か月半で刊行されたのがこの写真集です。日に日に戦況が激しさを増し、物資不足も深刻になる中、残された周囲の写真家たちがこの傑出した写真家の足跡をなんとしてでも作品集というかたちでまとめようとした思いが伝わってきます。

奥付部分
編集兼発行者として代表に名前が挙がっているのは、盟友上田備山。奥付には「非売品」と記されており、近しい方々に頒布されたものと思われます。ただ、奥付上部の限定50部のエディションを記入する欄には「ろ第 号」とあります。先に挙げた金子氏の書誌によると、「い」と「ろ」の2種類があり、「い」は頒布用に通し番号が算用数字が手書きで書き込まれ、「ろ」については関係者用として番号が入れられなかったのではないかと推測されています。たしかに弊社所蔵本も「ろ」の無番となっており、安井家に伝わる蔵本も同様です。いずれにしても、50部程度しか制作されておらず、現存するものがきわめて少ない稀覯本といえるでしょう。

作品集は枚葉式のポートフォリオで、作品図版50枚+扉・序文2枚・目次・奥付の計55枚が雲龍紙のような濃紺の和紙で装丁された四方帙に納められています。本文用紙は上質紙系の洋紙ですが、今のものとはずいぶんと違い、かなりざっくりした肌合いです。簡素ともいえるシンプルさですが、決して品格を損なうものではなく、時局において出来うる限りの材料を尽くしたことが感じられます。

現在のオフセット印刷で再現し装丁までも忠実に復刻したのが先に紹介した『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』(国書刊行会 2005年)です。限定出版の豪華本ということもあり、装丁の四方帙の表はクロス素材に変更されてあります。四方帙の上下の折り込み部分は、オリジナルは厚紙ですが、復刻本は耐久性を考慮し、表紙部分と同じボール芯に補強されています。

『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』 飯沢耕太郎/金子隆一 監修
国書刊行会 2005年 A3変型判 本体価格 35,000円
昨年に引き続き、京都グラフィーのサテライト展示として、弊社コロタイプギャラリーの展示を行いますが、今年はこの安井仲治のオリジナルコロタイププリントを展示しようと予定しております。開催は来月18日から。詳しい情報は追ってアップします。また、この展示に合わせて、この作品集より選んだ6作品をコロタイププリントのポートフォリオを作成して販売することも企画しています。春はぜひ京都グラフィーへ!
