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コロタイプギャラリー秋季企画展「原寸大で見る高松塚古墳壁画コロタイプ複製-西壁全面の再現-」展のお知らせ

Posted by takumi suzuki on 20.2017 【コロタイプギャラリー】   0 comments   0 trackback
発見・撮影45周年! まずは西壁全面を原寸大で再現します!
2017年10月21日(土)~11月10日(金) 11:00~17:00 ※会期中無休 @便利堂コロタイプギャラリー

高松塚_1

 みなさん、こんにちは。便利堂コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。夏季企画展「黒川翠山の京都」展が無事終了したら、あっというまに、秋・・・次回展のおしらせです!

 本年2017年は、高松塚古墳「世紀の発見」から45周年です。同古墳が発掘された時、他に先駆けて壁画を撮影したのが便利堂でした。この「発見」と「撮影」45周年、また修復完了(間近)を記念して、便利堂が所蔵する発見当時に撮影されたカラーフィルムを用いて、高松塚古墳壁画の発見当時のみずみずしい姿をコロタイプによって原寸大複製でよみがえらせようというプロジェクトを立ち上げました。壁画全面(西・東・北・天井)は12月に完成予定ですが、それに先立ち、西壁の複製をご覧いただく「原寸大で見る高松塚古墳壁画コロタイプ複製-西壁全面の再現-」展を開催します!

高松塚_8
鋭意作業中です!

 奈良県明日香村で、7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられるこの古墳は、石室の壁面および天井に描かれた極彩色壁画がとりわけ有名ですが、1972年(昭和47)の発見以来、カビなどによる劣化がすすみ、近年、ついにカビの大量発生が確認されたとの報道は記憶にもあたらしいところです。

 2007年(平成19)に石室を解体後、10年にわたり、カビの除去など修復作業をおこなっています。先日も一般公開され、修理は最終段階に入っていますが、修理後は壁画を古墳内にはもどさず、ちかくの公開施設で展示・保存されることになっていますので、残念ながらというべきか、「元のすがた」にもどることはありません。(平成29年度 国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開サイトhttp://www.takamatsuzuka-kofun.com/ では、解体修理写真がスライドショーされています。)


◎「入ってみれば君だって写したくなるに決まっている、そうに決まっている」

 その「元のすがた」を、発見直後(まさに直後!)、橿原考古学研究所から指名を受けて撮影したのは、便利堂です。当時撮影にあたった元・便利堂カメラマンの証言によると、懐中電灯を手に恐る恐る石室に入ると、まだ人骨や埋蔵品があったそうです。メインの壁画撮影は、1972年3月22日と24日の2日間。東西南北天井を撮れるかぎり撮っています。その撮影当時のなまなましい様子を、撮影したカメラマンの手記で振り返ってみましょう。

 《昭和47年3月21日午後7時過ぎ、会社の橋本営業課長より自宅に電話があり、「飛鳥で発掘中、古墳に壁画が発見されたので撮影に来てほしいと、関西大学の網干先生から連絡があった」と伝えてきました。私も以前、九州の王塚古墳・チブサン古墳・竹原古墳と数多くの装飾古墳の撮影を経験していますが、今回の明日香村の古墳は、どのような規模のものか、また装飾はどの程度にほどこされているのか全く分からないので、いろいろと撮影方法を考えながら一夜をあかしました。

 翌22日会社に出てカメラ機材を整備し、9時過ぎに、現場におられる網千善教先生と電話で打ち合わせをしました。撮影現場の状況をこまかく聞きましたところ、詳しいことは言えないが、電気がないこと、古墳の中が狭いこと、色があるからカラーフィルムの用意をすること、出来るだけ大きいフィルムで撮影してほしい、と言われました。でも、8×10インチで撮影するにはカメラが大きくなり過ぎて、古墳の中て作業がやりにくくなるだろうと思い、5×7インチで撮影することにしました。以前九州の古墳の撮影の時に、普通の三脚を2分の1の短さに切って作らせた三脚、また先輩から法隆寺の壁画の原寸大撮影の時、引きのない狭いところでのピント合わせに鏡を使用したと聞いていましたので、手鏡も用意しました。電気がないので2キロワットの発電機も用意し、テスト運転もして出発の準備を完了しました。(「高松塚古墳壁画撮影の思い出」大八木威男)》

三脚
足をカットしてローアングルにした三脚と5×7カメラ

 ところで、みなさんは高松塚古墳の石室内のひろさをご存知でしょうか。発見後まもない1974年(昭和49)に便利堂が出版した調査報告書『高松塚古墳壁画』の測定数値によると、奥行き(南北)265㎝×幅(東西)103.5㎝×高さ113.4㎝。意外というか、「お墓」としてはあたりまえかもしれませんが、とても狭いんですね。こんなに狭い石室のなかを、どうやって撮影したのか、気になるところですよね。現在なら、カメラさえ設置できれば、ライブビューモニターで遠隔操作も可能でしょうが、当時はカメラマンも内部に入って撮影しなければなりません。低い天井で「引き」もない。撮影条件はきびしいものでした。すぐに方策を考え、出した答えはこうです。

・壁画の中心までカメラを下げることができるよう既存の三脚の足をカットしたものを使用(このときの三脚は、いまでも現役で使われています!)。
・「引き」がなく、通常のピント合わせはできないため、カメラマンふたりがカメラの両サイドから、鏡に映したピントグラスの像を確認、調整する(すごいですよね。現役のカメラマンに言わせても、鏡越しの確認だけで、これほどピシッとピントを合わせられることは、驚きだそうです)。しかも、そのアイディアが法隆寺金堂壁画の経験につながっているという事実!

高松塚_12
ピントグラスに手鏡をセットしたところを再現

・5×7フィルム撮影。普通に考えれば、すこしでも機体がちいさい4×5フィルム用カメラを選択しそうですが、できるだけ広角に撮影できる90ミリの広角レンズは5×7カメラにしか装填できなかったから、という理由だそうです。より情報量のおおい5×7フィルム写真が残ったおかげで、今回の原寸大復元プロジェクトにもおおいに役立ってくれています!

 そのほか、かぎられたスペースのなかでのライティングにも、片光線や反射を駆使するなど、数々の工夫があったと思われますし、なによりも、絶対に壁画を傷つけてはならないという大前提がありますので、相当むずかしい撮影だったことが想像できますね。

高松塚_4
高松塚古墳外観。現在は整備されていますが、当時は重い機材を持ってたどり着くだけでも大変だったようです。

 《東京営業所の本郷所長より、「橿原考古学研究所所長の末永雅雄先生から、非常に重大な写真を撮ってもらうのだから、絶対に失敗のないよう充分に注意して撮影するようにと、電話があった」と伝えてきました。何だか大変なことになったと思いながら、営業部員と助手と三人で明日香村の発掘現場へ、12時過ぎに車で向かいました。

 現場はみかん山の細い農道を50メートルほど入った小高い丘のところで、2日前に降った雨で道がぬかり、重さ70キロ発電機を2人でかついで歩くには、足もとがすべって大変困りました。古墳の入口には直径30センチ位の小さな穴があって、穴のところまで行きますと、古墳の中で待ちかまえていた網干先生が「すぐに撮影」とのことでした。穴から中をのぞいたのですが、先生の持っておられる懐中電燈の光では、内部の様子をはっきりとは見ることが出来ず、正面に何かぼんやり絵のようなものが見える程度でした。九州の古墳と比較しますと、あまりにも入口も内部も狭く、カメラを入れてもうまく撮影出来るかどうか不安になり、思わず大きな声でうなってしまう程でした。古墳の中から「入ってみれば君だって写したくなるに決まっている、そうに決まっている」と、すこし興奮ぎみの声で私をうながされました。(同)》

盗掘口1
発見直後の中の様子を盗掘口よりみる。まだ地面には土や埋葬品がそのままになっている。©明日香村/便利堂 不許転載

 《身じたくをして、肩幅より少し広い程度の古墳の盗掘口から、四ツ這いになって頭から そっと入り外にいる助手に発電機を始動させ、撮影用の150ワットのランプを照らしてみて驚きました。外から見た時には見えなかった壁面に、人物像が描かれているのがはっきりと私の目に入り、あまりにも美しく、あざやかな影像に、しばらく息をのむ思いでだまって見ているだけでした。ここに描かれている絵も、初めてこのような明るい光に照し出されたことでしょう。まるで今描かれたような生々しさでした。きっと撮りたくなる、そうに決まっているとおっしゃった網干先生のお言葉の意味が初めてわかりました。

 今まで撮影した装飾古墳は、石の上に直接絵が描かれているもの、文様を刻んであるものなどでしたが、高松塚古墳は、石の上に漆喰を塗って、その上に絵が描かれ、ところどころ削り取られたような箇所や、絵具が浮いているように見えるところがあり、乾燥すれバラバラとくずれ落ちてくるのではないかと思われました。古墳の中をよく見ますと、端の方に漆塗の棺の破片や、人の骨のような物、壁のつなぎ目や天井のすき間から、木や草の根のようなものが無数に垂れ下っているのが目につきました。(同)》

高松塚_13
当時の撮影日誌。まだ聞きなれない名前だったのでしょうか、高松「山」古墳、と記載されています。

 《さて撮影は慎重にと、カメラや三脚を分解し、小さな人口から周囲の壁や天井にさわらないように気をつけて運び込み、セットしました。機材を組み上げた時には、先生と私の体温やライトの熱で古墳の中は蒸し暑くなり、メガネやレンズもくもり、ピントを合わすことも出来なくなった程でした。作業着もセーターもぬいでシャツ一枚になり、北壁の玄武図より撮影を始め、西壁女子群像、白虎、西壁男子群像、東壁女子群像、青竜、東壁男子群像の順で撮影をしました。東壁と西壁を撮影する時は、壁と壁との間が1メートル少々しかないため、ピントガラスをのぞくことも出来ず、ピントガラスに手鏡を横から当ててピント合わせとなり、先生は、私やカメラ機材が壁や天井に当たらないよう、「右注意、左何センチ、頭注意」と、大変な気のつかいようでした。カメラ位置を変えるのにも、床面には盗掘口から流れ込んだと思われる土や、棺の破片、人の骨のようなものがあり、凸凹していてセットしにくく大変な作業でした。

 壁面を撮影する時はまだよかったのですが、天井の星宿図の撮影にはカメラを上に向けなければならず、狭い古墳の中でどうしようかと思いました。そのうえ網干先生は、「出来るだけ広い範囲を入れて撮るように」と言われる。言われるようにしようと思うと、どうしてもレンズ位置を下げなければなりません。ピントを合わせるためには埋葬された人と同の様に上を向いて、寝ながら星座を見ての撮影となり、心の中で手を合わせながら作業をしました。(同)》

高松塚_6
コロタイプの1色目(墨色)。驚くほど繊細でなめらかな筆のタッチがよみがえります。

 《こうして第1回目の撮影は、カラー・モノクロ各10カットで、古墳から出て来たのは午後8時過ぎてした。翌23日夕方にカラーの現像が無事出来上って来て、大変悪い条件での撮影のわりにはうまく撮れていたので、ホッとしました。

 第2回目の撮影は24日。昨日現像の出来上ったフィルムを持って、高松塚へ1回目のメンバーで参りました。現場で、末永先生に出来上ったフィルムを見てもらい、「よく撮れている」とほめていただきました。2回目は、古墳の内部の土や棺の破片もきれいに持ち出され、木や草の根も壁からきれいに取られ、一昨日見た感じより随分すっきりしたように見えました。朝10時頃から昼食時に1回出たきり、夜9時頃まで1回目と同様、北面、東面、西面、南面、群像の全図・部分、壁のつなぎ目、天井、盗掘口などの順序で、カラー21カット、 モノクロ32カットを撮影しました。(同)》

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7色目まで入ったところ。だいぶん雰囲気が出てきました。完成は10色以上の色を刷り重ねます。

 こうして苦心の末、撮影された写真が、3月27日の新聞紙上でセンセーショナルに発表された、あの写真です!


◎壁画の再現

 さて前置きが長くなりましたが、今年2017年、発見・撮影後45周年と便利堂130年を記念して、高松塚古墳壁画全面(東・西・北・天井璧)を原寸大コロタイプで再現します! それに先立ち、本展では、まず<西壁>を複製、メイン展示します。

西壁30_1
高松塚古墳壁画「西壁全面」 ©明日香村/便利堂 不許転載

 西壁には、手前から男子群像、白虎(中国神話の四方霊獣のひとつ)とその上の月、そして奥に女子群像が描かれています。なかでもこの女子群像は、(発見当初は)もっとも色彩が鮮やかで、歴史の教科書などでも掲載される機会が多く、高松塚古墳壁画のアイコンのようになってますね。「飛鳥美人」のニックネームでも有名です。

 写真原稿はもちろん、発見直後に便利堂が撮影した5×7ポジフィルム。西壁全面の3枚と、女子群像、男子群像、白虎、月の各部分カットをデジタルスキャニングし、コンピュータの画面上で合成します。さきほども書いたように、過酷な撮影条件下で撮影された写真にもかかわらず、無理な加工処理はほとんどせずに、見事につながりました。あらためて、先輩方の技術力の確かさを実感します。

 西壁のサイズは、さきほども書いたように、高さ113㎝×横(奥行き)265㎝で、部屋としては狭いですが、コロタイプでは最大のマシンでも1紙でプリント再現できませんので、6紙に分割して、プリント後につなぐことにしました。もちろん均等割りではなく、各描画が分割されないように考えて設計しています。

高松塚_9

 まずは女子群像部分から進めているのですが、色数がふくらみます。黒、セピア、グレー、黄土など下地だけでも5色。その上に女性たちの衣の固有色を重ねていくので、10色以上なりそうです(これを書いている今日現在、印刷の尾崎機長がまさに鋭意プリント中です!)

高松塚_14

 今回の壁画再現にあたっては、日本仏教美術史の第一人者である有賀祥隆(よしたか)先生に監修をお願いしています。有賀先生は、「高松塚古墳総合学術調査会」の専門委員として、発見直後の古墳石室内に何度も入られ、壁画をご覧になっています。先生によると、石室内は湿度がきわめて高く、壁画の彩色は「非常に鮮やかで、なんともみずみずしかった」ことを、ありありと覚えていらっしゃいました。西壁女子群像部の色校正では、そうした記憶をベースに、各色細部にわたってご指導をいただきました。本展初日には、みなさまに女子群像をお目にかけられるよう日夜格闘しています!

 本展のサブタイトル「西壁全面の再現」は、展覧会初日にはむずかしそうですが(ごめんなさい!)、会期中、順々にできあがってきますので、「ライブ展覧会」として、何度も足を運んでくださるとうれしいです! 高松塚古墳壁画を撮影した5×7カメラ(鏡付き!)、ローアングル三脚も特別展示いたします。


高松塚_3


◎スペシャルイベント開催決定!

 本展開催を記念して、スペシャルイベントを開催します。

 発見時の撮影現場にも立ち会われていた橿原考古学研究所所長の菅谷文則先生をお迎えしまして、高松塚古墳壁画発見当時の思い出を存分に語っていただきます。講演終了後は、上述の壁画撮影にあたった、元・便利堂の写真技師、大八木氏と上羽氏も交えての特別トークも予定しております。

 とっても貴重な機会です! みなさま、ぜひお越しください!

  ◆

「高松塚古墳壁画発見当時を語る!」

菅谷文則先生(奈良県橿原考古学研究所所長)

10月31日(火)18:00~19:30 便利堂コロタイプギャラリー 入場無料


◎便利堂創業130年記念特別展「至宝をうつす」@文化博物館にて全壁面公開!

 高松塚古墳壁画の撮影は、残念ながら失われてしまった、発見当初の鮮やかな色彩を余すところなく記録した写真として、便利堂では、法隆寺金堂壁画の撮影(昭和10年)に匹敵する、歴史的にきわめて重要な仕事です。また、先人が培った技術と創意工夫で遺したその写真を、現在の技術で、原寸大で再現して、みなさまに間近にみていただけるようにするのは、わたしたちの役目です。

 そして今回の展示は、西壁全面(になるはず…)ですが、来たる12月16日より京都文化博物館で開催の、便利堂創業130年記念特別展「至宝をうつす」では、今回展示の西壁だけでなく、東壁、北壁、天井の壁画をコロタイプによる原寸大完全複製で披露いたします。また、おなじく原寸大の石室模型もつくって展示しますので、ぜひお楽しみに!

詳しくは特設サイト:
https://www.benrido-130th-anniv-ex.com/

前売りチケット発売中。各種イベントも開催します!

プロフィール

takumi suzuki

Author:takumi suzuki
【コロタイプの過去・現在・未来。創業明治20年の京都 便利堂が100年以上にわたって続けているコロタイプ工房より最新の情報をお届けします】
Japanese:www.benrido.co.jp
English:www.benrido-collotype.today

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