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写真集:安井仲治 『安井仲治写真作品集』 昭和17年(1942)
コロタイプギャラリー春展で展示公開も予定しています!

安井仲治『安井仲治写真作品集』編集・発行 上田備山 昭和17年 限定50部
このポートフォリオは、戦前のモダニズム写真の興隆期にその抜きん出た先駆性で強烈な刻印を残した安井仲治の遺作集です。弊社が手掛けた写真集としてもっとも特筆すべき作品がこのポートフォリオといえるでしょう。写真史家の金子隆一氏は、この写真集について次のように述べています。
「この『安井仲治写真作品集』は、何度も言っていることだが、もっともオーセンティックと思われるオリジナルプリントが焼失してしまっているという一点によって、今日において安井仲治の写真世界を正当に伝える第一級の写真集である。いやそれ以上に、日本の写真集の歴史のなかにおいて、戦時下という切迫した状況のなかで製作されたという点と鑑みても内容・印刷・造本のすべてにおいて、燦然とそびえたつものであることは確信してやまない。」(「書誌および解題」金子隆一、『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』国書刊行会 2005年 「解説」より)
国書刊行会から復刻本が2005年に刊行されているので、ご所蔵あるいはご覧になった方も多いかもしれません。弊社では長らくこの写真集原本が所在不明でしたが、昨年書庫の引っ越し作業中に忽然と姿を現しました。今回は、この記念すべき写真集のご紹介をしたいと思います(画像はいずれも写真集原本の図版です。また作品集で表記された題名や制作年は、その後の研究でオリジナル表記との異同が指摘されています。以下、《写真集題名〈オリジナル題名〉》オリジナル制作年、で表記しています)。
全ページがPDFでご覧いただけます⇒こちら

1 《眺める人々〈猿廻しの図〉》大正14年(1925)
安井仲治(やすい・なかじ)は明治36年(1903)大阪生まれ、家業の洋紙問屋に勤めるかたわら写真の趣味にのめりこむようになり、大正11年(1922)には18歳で関西の名門アマチュア団体「浪華写真倶楽部」に入会します。作品集序文には次のように安井の経歴が紹介されています。
「安井仲治君は作画に、筆舌に豊かなる天分を併有し久しく本邦写壇の泰斗たり。
君資性高雅円満、しかも火の如き研究心をもち新鮮なる感覚と卓越せる技法とを駆使せる作品は発表毎に写壇注目の的となり、その独創的表現は世人をして驚嘆せしむ、若年既に大家の風を成す。後全関西写真連盟委員、日本写真美術展覧会審査員となる。
爾来各種展覧、競技会の審査に携わり、指導的立場に在り、しかも益々自己の練磨を怠らず、頻りに新しき作品と理論の発表を行い代表的作家たる実力を顕示しつつ今日に及ぶ。」

同 図版部分
初期の安井作品は、ほとんどがブロムオイルなどのピグメントプリントで制作され、当時全盛であった「芸術写真」の絵画的な美意識に強く影響されています。写真集最初掲げられたのは、子供など市井の人々が大道芸を楽しむ姿を描いた《眺める人々》。後の研究で《猿廻しの図》とも呼ばれるこの作品は、1925(大正14)年の「第14回浪華写真倶楽部展」に出品して優選賞を得ました。
A3程度の用紙に余白を大きくとったレイアウトがなされています。オリジナルはブロムオイルなどのピグメントプリントのように見えます。この作品はもちろん、銀塩写真作品についても、プリント作品を複写したネガからコロタイププリントを起こしたように見受けられます。先の金子氏の文章にあるように、この作品や次に挙げた《凝視》などはオリジナルプリントが現存しないということで、唯一このコロタイププリントが同時代に制作されたものとして残っています。

17 《凝視》昭和6年(1931)
1930年(昭和5年)、安井と上田備山が中心となり「丹平写真倶楽部」が結成されます。安井は、1931年(昭和6年)に開催された「独逸国際移動写真展」に大きな衝撃を受け、フォトモンタージュやクロースアップなどの「新興写真」の技法を積極的に取り入れていくようになります。作品からは、単に技巧やスタイルをまねることに陥ることなく、写真表現の可能性を模索しようとしているのが読み取れます。

20 《唄ふ男(一)〈旗〉》昭和6年(1931) 図版部分
安井はこの《旗》や壁に貼られた政治ポスターやビラを主題とした《相剋》(図28)など、戦後の「リアリズム写真」の先駆けともなるような作品も発表し、さらにその作品世界を拡大していきました。

27 《犬》昭和10年(1935) 図版部分
下に挙げる《蝶》や《灯台〈海浜〉》(図版31)、《帽子》(図版32)など、1930年代から始めから日本に紹介されていたシュルレアリスムの影響が見て取れる作品も、単なる模倣に終わらない彼独特のまなざしを感じさせます。

37 《蝶》昭和13年(1938) 図版部分

41 《磁気(二)〈磁力の表情〉》昭和14年(1939) 図版部分
昭和16年(1941)安井は丹平写真倶楽部の有志たちと、神戸に居留するユダヤ人たちを取材しました。ナチスの弾圧を逃れるため、「日本のシンドラー」杉原千畝領事が発行したビザでポーランドからシベリア経由で神戸に到着したユダヤ難民たちです。共同制作「流氓ユダヤ」として発表されたこのシリーズのうち、6点が安井作品です。写真集にはそのうち4点が収載されています。この頃すでに自身の体に異常を自覚していたといわれています。

49 《窓》昭和16年(1941) 図版部分
翌昭和17年(1942)3月15日、38歳の安井仲治は腎不全によって早すぎる死を迎えることになりました。その死後、わずか4か月半で刊行されたのがこの写真集です。日に日に戦況が激しさを増し、物資不足も深刻になる中、残された周囲の写真家たちがこの傑出した写真家の足跡をなんとしてでも作品集というかたちでまとめようとした思いが伝わってきます。

奥付部分
編集兼発行者として代表に名前が挙がっているのは、盟友上田備山。奥付には「非売品」と記されており、近しい方々に頒布されたものと思われます。ただ、奥付上部の限定50部のエディションを記入する欄には「ろ第 号」とあります。先に挙げた金子氏の書誌によると、「い」と「ろ」の2種類があり、「い」は頒布用に通し番号が算用数字が手書きで書き込まれ、「ろ」については関係者用として番号が入れられなかったのではないかと推測されています。たしかに弊社所蔵本も「ろ」の無番となっており、安井家に伝わる蔵本も同様です。いずれにしても、50部程度しか制作されておらず、現存するものがきわめて少ない稀覯本といえるでしょう。

作品集は枚葉式のポートフォリオで、作品図版50枚+扉・序文2枚・目次・奥付の計55枚が雲龍紙のような濃紺の和紙で装丁された四方帙に納められています。本文用紙は上質紙系の洋紙ですが、今のものとはずいぶんと違い、かなりざっくりした肌合いです。簡素ともいえるシンプルさですが、決して品格を損なうものではなく、時局において出来うる限りの材料を尽くしたことが感じられます。

現在のオフセット印刷で再現し装丁までも忠実に復刻したのが先に紹介した『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』(国書刊行会 2005年)です。限定出版の豪華本ということもあり、装丁の四方帙の表はクロス素材に変更されてあります。四方帙の上下の折り込み部分は、オリジナルは厚紙ですが、復刻本は耐久性を考慮し、表紙部分と同じボール芯に補強されています。

『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』 飯沢耕太郎/金子隆一 監修
国書刊行会 2005年 A3変型判 本体価格 35,000円
昨年に引き続き、京都グラフィーのサテライト展示として、弊社コロタイプギャラリーの展示を行いますが、今年はこの安井仲治のオリジナルコロタイププリントを展示しようと予定しております。開催は来月18日から。詳しい情報は追ってアップします。また、この展示に合わせて、この作品集より選んだ6作品をコロタイププリントのポートフォリオを作成して販売することも企画しています。春はぜひ京都グラフィーへ!


安井仲治『安井仲治写真作品集』編集・発行 上田備山 昭和17年 限定50部
このポートフォリオは、戦前のモダニズム写真の興隆期にその抜きん出た先駆性で強烈な刻印を残した安井仲治の遺作集です。弊社が手掛けた写真集としてもっとも特筆すべき作品がこのポートフォリオといえるでしょう。写真史家の金子隆一氏は、この写真集について次のように述べています。
「この『安井仲治写真作品集』は、何度も言っていることだが、もっともオーセンティックと思われるオリジナルプリントが焼失してしまっているという一点によって、今日において安井仲治の写真世界を正当に伝える第一級の写真集である。いやそれ以上に、日本の写真集の歴史のなかにおいて、戦時下という切迫した状況のなかで製作されたという点と鑑みても内容・印刷・造本のすべてにおいて、燦然とそびえたつものであることは確信してやまない。」(「書誌および解題」金子隆一、『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』国書刊行会 2005年 「解説」より)
国書刊行会から復刻本が2005年に刊行されているので、ご所蔵あるいはご覧になった方も多いかもしれません。弊社では長らくこの写真集原本が所在不明でしたが、昨年書庫の引っ越し作業中に忽然と姿を現しました。今回は、この記念すべき写真集のご紹介をしたいと思います(画像はいずれも写真集原本の図版です。また作品集で表記された題名や制作年は、その後の研究でオリジナル表記との異同が指摘されています。以下、《写真集題名〈オリジナル題名〉》オリジナル制作年、で表記しています)。
全ページがPDFでご覧いただけます⇒こちら

1 《眺める人々〈猿廻しの図〉》大正14年(1925)
安井仲治(やすい・なかじ)は明治36年(1903)大阪生まれ、家業の洋紙問屋に勤めるかたわら写真の趣味にのめりこむようになり、大正11年(1922)には18歳で関西の名門アマチュア団体「浪華写真倶楽部」に入会します。作品集序文には次のように安井の経歴が紹介されています。
「安井仲治君は作画に、筆舌に豊かなる天分を併有し久しく本邦写壇の泰斗たり。
君資性高雅円満、しかも火の如き研究心をもち新鮮なる感覚と卓越せる技法とを駆使せる作品は発表毎に写壇注目の的となり、その独創的表現は世人をして驚嘆せしむ、若年既に大家の風を成す。後全関西写真連盟委員、日本写真美術展覧会審査員となる。
爾来各種展覧、競技会の審査に携わり、指導的立場に在り、しかも益々自己の練磨を怠らず、頻りに新しき作品と理論の発表を行い代表的作家たる実力を顕示しつつ今日に及ぶ。」

同 図版部分
初期の安井作品は、ほとんどがブロムオイルなどのピグメントプリントで制作され、当時全盛であった「芸術写真」の絵画的な美意識に強く影響されています。写真集最初掲げられたのは、子供など市井の人々が大道芸を楽しむ姿を描いた《眺める人々》。後の研究で《猿廻しの図》とも呼ばれるこの作品は、1925(大正14)年の「第14回浪華写真倶楽部展」に出品して優選賞を得ました。
A3程度の用紙に余白を大きくとったレイアウトがなされています。オリジナルはブロムオイルなどのピグメントプリントのように見えます。この作品はもちろん、銀塩写真作品についても、プリント作品を複写したネガからコロタイププリントを起こしたように見受けられます。先の金子氏の文章にあるように、この作品や次に挙げた《凝視》などはオリジナルプリントが現存しないということで、唯一このコロタイププリントが同時代に制作されたものとして残っています。

17 《凝視》昭和6年(1931)
1930年(昭和5年)、安井と上田備山が中心となり「丹平写真倶楽部」が結成されます。安井は、1931年(昭和6年)に開催された「独逸国際移動写真展」に大きな衝撃を受け、フォトモンタージュやクロースアップなどの「新興写真」の技法を積極的に取り入れていくようになります。作品からは、単に技巧やスタイルをまねることに陥ることなく、写真表現の可能性を模索しようとしているのが読み取れます。

20 《唄ふ男(一)〈旗〉》昭和6年(1931) 図版部分
安井はこの《旗》や壁に貼られた政治ポスターやビラを主題とした《相剋》(図28)など、戦後の「リアリズム写真」の先駆けともなるような作品も発表し、さらにその作品世界を拡大していきました。

27 《犬》昭和10年(1935) 図版部分
下に挙げる《蝶》や《灯台〈海浜〉》(図版31)、《帽子》(図版32)など、1930年代から始めから日本に紹介されていたシュルレアリスムの影響が見て取れる作品も、単なる模倣に終わらない彼独特のまなざしを感じさせます。

37 《蝶》昭和13年(1938) 図版部分

41 《磁気(二)〈磁力の表情〉》昭和14年(1939) 図版部分
昭和16年(1941)安井は丹平写真倶楽部の有志たちと、神戸に居留するユダヤ人たちを取材しました。ナチスの弾圧を逃れるため、「日本のシンドラー」杉原千畝領事が発行したビザでポーランドからシベリア経由で神戸に到着したユダヤ難民たちです。共同制作「流氓ユダヤ」として発表されたこのシリーズのうち、6点が安井作品です。写真集にはそのうち4点が収載されています。この頃すでに自身の体に異常を自覚していたといわれています。

49 《窓》昭和16年(1941) 図版部分
翌昭和17年(1942)3月15日、38歳の安井仲治は腎不全によって早すぎる死を迎えることになりました。その死後、わずか4か月半で刊行されたのがこの写真集です。日に日に戦況が激しさを増し、物資不足も深刻になる中、残された周囲の写真家たちがこの傑出した写真家の足跡をなんとしてでも作品集というかたちでまとめようとした思いが伝わってきます。

奥付部分
編集兼発行者として代表に名前が挙がっているのは、盟友上田備山。奥付には「非売品」と記されており、近しい方々に頒布されたものと思われます。ただ、奥付上部の限定50部のエディションを記入する欄には「ろ第 号」とあります。先に挙げた金子氏の書誌によると、「い」と「ろ」の2種類があり、「い」は頒布用に通し番号が算用数字が手書きで書き込まれ、「ろ」については関係者用として番号が入れられなかったのではないかと推測されています。たしかに弊社所蔵本も「ろ」の無番となっており、安井家に伝わる蔵本も同様です。いずれにしても、50部程度しか制作されておらず、現存するものがきわめて少ない稀覯本といえるでしょう。

作品集は枚葉式のポートフォリオで、作品図版50枚+扉・序文2枚・目次・奥付の計55枚が雲龍紙のような濃紺の和紙で装丁された四方帙に納められています。本文用紙は上質紙系の洋紙ですが、今のものとはずいぶんと違い、かなりざっくりした肌合いです。簡素ともいえるシンプルさですが、決して品格を損なうものではなく、時局において出来うる限りの材料を尽くしたことが感じられます。

現在のオフセット印刷で再現し装丁までも忠実に復刻したのが先に紹介した『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』(国書刊行会 2005年)です。限定出版の豪華本ということもあり、装丁の四方帙の表はクロス素材に変更されてあります。四方帙の上下の折り込み部分は、オリジナルは厚紙ですが、復刻本は耐久性を考慮し、表紙部分と同じボール芯に補強されています。

『日本写真史の至宝 安井仲治写真作品集』 飯沢耕太郎/金子隆一 監修
国書刊行会 2005年 A3変型判 本体価格 35,000円
昨年に引き続き、京都グラフィーのサテライト展示として、弊社コロタイプギャラリーの展示を行いますが、今年はこの安井仲治のオリジナルコロタイププリントを展示しようと予定しております。開催は来月18日から。詳しい情報は追ってアップします。また、この展示に合わせて、この作品集より選んだ6作品をコロタイププリントのポートフォリオを作成して販売することも企画しています。春はぜひ京都グラフィーへ!

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