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《コロタイプギャラリー支配人より次回展のお知らせ》「重要文化財指定記念 法隆寺金堂壁画写真原板展」
指定原板を大公開。当時世界でも類を見ない原寸大分割撮影プロジェクトの全貌をご紹介します!
2015年3月15日(日)~4月5日(日) @便利堂コロタイプギャラリー

コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。
既報のとおり、このたび、便利堂が昭和10年に撮影した焼損前の法隆寺金堂壁画の姿を詳細に伝える写真原板が国の重要文化財に指定されました! 2012年に「法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト」を立ち上げ、調査検討を重ねてきましたが、まずはひとつの大きな成果と言えると思います。⇒ 「法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト①」
指定名称は、
「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板 三百六十三枚」(法隆寺所蔵)および
「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」(便利堂所蔵)です。
それらはいずれも、便利堂が昭和10年(1935)に撮影を敢行したもので、本年はそれから数えてちょうど80年にあたります。また今年は便利堂が写真工房・コロタイプ工房を開設して110年、来年には便利堂創業130年を迎えます。こうした節目にあたる年に、栄誉の知らせを受け、一同大変うれしく光栄に感じ、ぜひとも弾みにしたいと意気込んでおります。
そこでコロタイプギャラリーでは、2015年3月15日(日)より「法隆寺金堂壁画写真原板展」を開催します。重要文化財指定を受けた上記写真原板より6点と、昭和12年に制作したコロタイプ原寸大複製ならびに関係資料を多数展示します。手前味噌ながら、我々の大先輩の偉業をぜひ見に来てください。
今回は、その展示の見どころを紹介します。当ブログで以前に取り上げた、法隆寺金堂壁画原寸撮影とそのコロタイプ版について、また写真のガラス乾板を保存するプロジェクトについての記事とあわせて読んでくださいますと、より理解を深めていただけると思います。⇒ 「法隆寺金堂壁画とコロタイプ」

■原寸大撮影事業とは?
昭和9年(1934)、文部省に「法隆寺国宝保存事業部」が設置され、国の事業として半世紀にわたる「法隆寺昭和の大修理」(〜昭和60年)が始まります。壁画保存については明治時代からの懸案事項でしたが、まずは原寸大写真を撮影して現状を記録することに決定し、便利堂に委嘱されました。テストを経て翌10年8月から6人がかり75日間で原寸大モノクロ写真が外陣大小12面で363枚、赤外線写真が20枚以上撮影されました。この時に原色版用全図4色分解撮影も便利堂によって独自に行われました。
1 原寸撮影模型 昭和11年(1936) 法隆寺所蔵

六櫻社(小西六写真工業株式会社、のちのコニカ)小林啓七技師の協力を得て開発した原寸大撮影用セットの3分の1の模型。この大事業を記念して便利堂と六櫻社が作成、法隆寺に奉納した。カメラ自身に250ワットの電球を四隅に付け、カメラと一緒に動くようになっている。カール・ツァイス社製の製版用プロセスレンズ「アポクロマチックテッサー450㎜F9」を装着。レンズから壁までの距離90㎝、F22まで絞り壁画によってフィルターを使い分け40秒~2分でシャッターを切ったという。カメラの移動だけでも6人がかり。連日撮影後はすぐに原板を京都に運び、夜中2時から現像を行った。水洗には水車を使った特製設備も用意した。

2 当時使用のライトフードと分色フィルター 昭和初期 便利堂所蔵

原寸大撮影時に用いられたと思われる機材。当時の撮影風景を記録した写真には、同型のフードをつけたライトを手にする助手が写っている。分色フィルターは、4色分解撮影時に使用する。

3 重要文化財「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板 三百六十三枚」のうち4枚
昭和10年(1935) 法隆寺所蔵


昭和10年8月から10月にわたり、英国イルフォード社に特別注文して輸入した全紙判(50×60㎝)ガラス乾板を用いて原寸大分割撮影が行われた。大壁は42分割、小壁は24分割、仏様の顔が切れないように別撮りしたものを加えると全374分割。全紙の大きさに満たない分割部分は、1枚の乾板を半分ずつ使い2カットを撮影したので、撮影乾板数では363枚となる。原寸大分割撮影という、当時世界的にも例を見ない大型撮影プロジェクトであり、また赤外線撮影、4色分解カラー撮影も同時に行うなど、日本写真史的にも重要な写真原板といえよう。撮影技師は、今回が同壁画3度目となる佐藤浜次郎。撮影原板は、コロタイプ原版とするために、膜面を反転し、永久保存のため約1㎝の厚ガラスに張り替えている。またその際に膜面の上からセロファンで覆っていることが酸化を防ぎ、撮影から80年を経た現在でも非常に良好な状態を保っている。
4 「法隆寺金堂壁画原寸大玻璃版(コロタイプ)複製 全12面」のうち6号壁
昭和12年(1937) 便利堂所蔵

原寸大撮影後、焼付をつなぎ合わせて原寸大全図にしたプリント2組と分割まま1組の計3組が納入された。しかし焼付では変色の恐れがあることから、翌11年玻璃版(コロタイプ)によるプリントが文部省により検討される。膜面返しのテストを経て、結果が良好なことを確認して作業に着手。国産による良質なカーボンインキの開発からスタートし、越前の特漉き雁皮紙、京表具による大幅表装など、国家プロジェクトにふさわしい高品質な原材料と高い技術の粋を集めて作業が進行された。莫大な制作費をあがなうために複数組を制作し頒布されることになり、昭和13年までに全12壁20数組が完成し、国内外のミュージアム、大学などに収蔵された。展示された6号壁は、試作として昭和12年に完成した最初の1組から。長年便利堂内に展示されていたため和紙の焼けがみられるが、画像はしっかりと残っており、黒々とした顔料による精緻な表現は、和紙となじみ落ち着きながらも瑞々しさも感じられるほどである。
5 岩波書店刊行『法隆寺金堂壁画選』より6号壁菩薩部分カラー復元
平成23年(2011)

岩波書店『法隆寺金堂壁画』に合わせて刊行された『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』(展示No.16)にモノクロ6葉とともに収録されたカラー1葉。展示No.6の4色分解写真原板83枚のうちの1枚「菩薩お顔部分」より原寸大に拡大し、コロタイプでカラー復元した。従来流布している同壁画のカラー画像は、展示No.13『壁画集』の原色版カラー図版をカラー複写したものであり、その意味でこの『壁画選』で発表されたコロタイプ版カラー図版は、60年ぶりに原板から起こされたカラー図版といえる。加えて原寸で網点のないコロタイプによる特色表現は、まさに当時の姿を目の当たりにするかのような再現となっている。同じく同書に収録されたモノクロ6葉をプリントするために、昭和42年(1959)「再現壁画」模写のコロタイプ下地印刷に使用して以来、約半世紀ぶりに「原寸撮影原板」を法隆寺収蔵庫より持ち出しコロタイプした。このとき目の当たりにした原板の状態の素晴らしさと価値を再認識したことが、同原板の保存活動を進める機縁となった。
6 重要文化財 「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」のうち「4色分解写真原板」1枚 (K版)
昭和10年(1935) 便利堂所蔵
7 重要文化財 「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」のうち「赤外線写真原板」1枚
昭和10年(1935) 便利堂所蔵

4色分解写真原板(左)と赤外線写真原板(右)
当時はまだカラーフィルムが無く、4枚のフィルターでYMCK(イエロー・マゼンタ・シアン・ブラック)の各色を取り出す4色分解撮影という方法で写された。「原色版撮影」ともいい、原色凸版印刷(銅板)を行ってはじめてカラーの画像が得られる。この4色分解撮影は便利堂の発案で独自に行われた。
この4色分解原板は、壁画焼損後の昭和26年(1951)に『法隆寺金堂壁画集』(展示No.14)として日の目を見ることとなり、またこの画集のカラー図版が昭和42年の「再現壁画」模写の色再現に大いに参考になった。
赤外線フィルムは、六櫻社特製を使用。原寸大玻璃版複製とともに、この原板から赤外線図版20葉を収録した資料集(展示No.13)が刊行された。
8 「法隆寺金堂壁画原寸大写真購入設計書」 法隆寺国宝保存工事事務所
昭和10年5月1日 便利堂所蔵

新発見資料。撮影開始にあたり、撮影の設計仕様ならびに費用を記載した書類の写し。総額が1万6510円であったことや、焼付をつなぎ合わせて原寸にした軸装2組と分割のまま1組、計3組の焼付を制作したこと、またイルフォードに発注したガラス乾板は「パンクロマチック」と「クロマチック」の2種類があり、壁画の色の発色で使い分けていたことなどがわかる。この時代の撮影事業の詳細がわかる書類は非常に珍しく、貴重な資料といえる。

9 『法隆寺壁画保存方法調査報告』 発行:文部省 大正9年(1920)3月31日初版

法隆寺金堂壁画の保存が最初に問題になったのは、明治30年(1897)のことで、その年の12月、「古社寺保存法」が施行されるとともに壁画保存のことが取り上げられた。しかしながら、当時取られた措置としては、壁画の亀裂部分が崩れ落ちないようにガラス板で押さえる、という程度のものであった。その後、大正2年(1913)、古社寺保存会より壁画保存の急務を説いた建議書が時の文部大臣に提出され、大正4年(1915)5月「法隆寺壁画保存方法調査委員会」が設置された。
当時トップクラスの学者で組織された委員会は約10回開かれ、様々な角度から壁画の保存について検討が重ねられた。最終的な選択肢として「壁画を切り離して別途保存する方法」と「金堂内にそのまま留め置く現状保存案」が検討され、後者が採用されることとなった。この約4年にわたる各種調査内容と検討結果がまとめられたのがこの『報告書』である。最終の第九章「結論」の結びには、いかに補修補強が実施され防火設備が整えられようとも、完全な副本(複製・写本)を持たないことには完全に壁画の保存を行ったと云えない、とし複製の重要性を説いてている。このことは、十数年後の「原寸大撮影」ならびに「原寸大玻璃版複製」、そして「昭和の模写」というかたちで実行されていくこととなった。
10 『法隆寺金堂壁画原寸大玻璃版複製附録』 編:法隆寺 昭和14年(1939)

昭和13年に完成した原寸大玻璃版複製の附録として制作された壁画の解説書。
11 『原色法隆寺壁画』 発行:辻本写真工藝社 大正13年(1924)6月15日


大正8年(1919)に技師長・佐藤浜次郎が辻本写真工藝社時代にはじめて法隆寺金堂壁画を撮影した原板で刊行された。金堂壁画として出版された最初の画集ではないか。枚葉式の本編が木製のタトウに入った珍しい形。収載図版のサイズから撮影原板が四切であったことがわかる。
12 『日本名画譜 仏画篇』 法隆寺輯(第4、8、11、12刊)
発行:便利堂 昭和4年(1929)

昭和2年(1927)、辻本写真工藝社より佐藤浜次郎を迎え「便利堂原色版工場」が新設される。早速第1弾として企画されたのが『日本名画譜 仏画編』であった。昭和4年に刊行が開始され、昭和21年(1946)までに20冊が出版された。佐藤はこの出版のために2回目の壁画撮影を行う。このときは2尺×3尺の鏡を40枚作って光線を当てて撮影したという。この経験をもとに、原寸大撮影の際は電球10個を用いる撮影設計を行った。
13 『赤外線原寸大 法隆寺金堂壁画』 発行:便利堂 昭和13年(1938)

「原寸大玻璃版複製」(展示No.4)完成にあわせて刊行された、No.7の赤外線写真を用いたコロタイプ図版を収載した画集。
14 『法隆寺金堂壁画集』
発行:法隆寺金堂壁画集刊行会(便利堂内) 昭和26年(1951)3月30日刊行

昭和10年の原寸大撮影時に、赤外線ともに写された4色分解写真(展示N0.6)を用いて刊行された原色版カラー画集。当初、4色分解写真は撮影予定がなかったが、便利堂独自の判断で行われた。この4色分解原版は、撮影されたもののながらく日の目を見ることはなかった。当時の4代目社長・中村竹四郎の発案によるものであるが、すでに大正13年の『原色法隆寺壁画』(展示No.11)、昭和4年の『日本名画譜 仏画篇(法隆寺輯)』(展示No.12)の先行図書が刊行済であり、出版目的というよりも、純粋にカラー(4色分解)撮影による記録そのものに主眼が置かれたのであろう。しかしながら、昭和24年(1949)の羅災により、この原板が焼損前の色彩を最も正確にとどめる唯一無二の原板となってしまった。本書の刊行に際しては、国家予算による刊行(国内外への有償無償の頒布)として衆議院文部委員会でも討議され、最終的には、アメリカから日本の大学へ寄贈された豪華百科事典の返礼品として250部が買い上げられ米国大学図書館に寄贈された。そうした経緯から、巻頭には当時の首相吉田茂等の序文が寄せられている。

15 『法隆寺金堂壁画集 便利堂蔵版』 (昭和26年の画集の復刻版)
発行:講談社 昭和54年(1979)11月10日
16 『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』
発行:岩波書店 平成23年(2011)6月24日初版
◆
「オリジナル」としての彫刻や絵画が文化財指定されることは珍しくありません。ですが、失われたオリジナルを写した写真が重要文化財に指定されたことは、それ自体「オリジナル」の価値を認められたということです。大正時代の鎌倉芳太郎氏の「琉球芸術調査写真」など、ガラス乾板の重要文化財指定は初めてではありませんが、法隆寺金堂壁画写真原板のように昭和の時代における一企業の仕事の成果物が指定されるというのは、おそらく初めてといっていいのではないかと思います。ただコロタイプ通信としては、いつの日か、本件に限らずコロタイプ版が、オリジナルを十全に補完する「オリジナルの写本」として価値を認められ、今回のような吉事にあやかれるよう、精進したいと思います。
さてこののち、便利堂最大の遺産である法隆寺金堂壁画写真原板は「重要文化財」として国の宝になり、保管施設(選考中)に入ります。そうすると、研究者であっても、そう簡単に目にすることはできなくなります。またとない機会です。ぜひコロタイプギャラリーに足を運んでください! 4日3時にはギャラリートークも開催します!
重要文化財指定記念 法隆寺金堂壁画写真原板展
2015年3月15日(日)~4月5日(日) 会期中無休 入場無料
開廊時間 11:00~18:00
場所 便利堂コロタイプギャラリー
京都市中京区新町通竹屋町下ル 便利堂京都本社1F
お問い合わせ 075-231-4351(代表)
【ギャラリートーク】 4月4日(土) 午後3時より 定員50名(先着順) 無料
神田雅章氏(奈良県教育委員会文化財保存課 専門技術員)
2015年3月15日(日)~4月5日(日) @便利堂コロタイプギャラリー

コロタイプギャラリー支配人の藤岡です。
既報のとおり、このたび、便利堂が昭和10年に撮影した焼損前の法隆寺金堂壁画の姿を詳細に伝える写真原板が国の重要文化財に指定されました! 2012年に「法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト」を立ち上げ、調査検討を重ねてきましたが、まずはひとつの大きな成果と言えると思います。⇒ 「法隆寺金堂壁画ガラス乾板保存プロジェクト①」
指定名称は、
「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板 三百六十三枚」(法隆寺所蔵)および
「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」(便利堂所蔵)です。
それらはいずれも、便利堂が昭和10年(1935)に撮影を敢行したもので、本年はそれから数えてちょうど80年にあたります。また今年は便利堂が写真工房・コロタイプ工房を開設して110年、来年には便利堂創業130年を迎えます。こうした節目にあたる年に、栄誉の知らせを受け、一同大変うれしく光栄に感じ、ぜひとも弾みにしたいと意気込んでおります。
そこでコロタイプギャラリーでは、2015年3月15日(日)より「法隆寺金堂壁画写真原板展」を開催します。重要文化財指定を受けた上記写真原板より6点と、昭和12年に制作したコロタイプ原寸大複製ならびに関係資料を多数展示します。手前味噌ながら、我々の大先輩の偉業をぜひ見に来てください。
今回は、その展示の見どころを紹介します。当ブログで以前に取り上げた、法隆寺金堂壁画原寸撮影とそのコロタイプ版について、また写真のガラス乾板を保存するプロジェクトについての記事とあわせて読んでくださいますと、より理解を深めていただけると思います。⇒ 「法隆寺金堂壁画とコロタイプ」

■原寸大撮影事業とは?
昭和9年(1934)、文部省に「法隆寺国宝保存事業部」が設置され、国の事業として半世紀にわたる「法隆寺昭和の大修理」(〜昭和60年)が始まります。壁画保存については明治時代からの懸案事項でしたが、まずは原寸大写真を撮影して現状を記録することに決定し、便利堂に委嘱されました。テストを経て翌10年8月から6人がかり75日間で原寸大モノクロ写真が外陣大小12面で363枚、赤外線写真が20枚以上撮影されました。この時に原色版用全図4色分解撮影も便利堂によって独自に行われました。
1 原寸撮影模型 昭和11年(1936) 法隆寺所蔵

六櫻社(小西六写真工業株式会社、のちのコニカ)小林啓七技師の協力を得て開発した原寸大撮影用セットの3分の1の模型。この大事業を記念して便利堂と六櫻社が作成、法隆寺に奉納した。カメラ自身に250ワットの電球を四隅に付け、カメラと一緒に動くようになっている。カール・ツァイス社製の製版用プロセスレンズ「アポクロマチックテッサー450㎜F9」を装着。レンズから壁までの距離90㎝、F22まで絞り壁画によってフィルターを使い分け40秒~2分でシャッターを切ったという。カメラの移動だけでも6人がかり。連日撮影後はすぐに原板を京都に運び、夜中2時から現像を行った。水洗には水車を使った特製設備も用意した。

2 当時使用のライトフードと分色フィルター 昭和初期 便利堂所蔵

原寸大撮影時に用いられたと思われる機材。当時の撮影風景を記録した写真には、同型のフードをつけたライトを手にする助手が写っている。分色フィルターは、4色分解撮影時に使用する。

3 重要文化財「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板 三百六十三枚」のうち4枚
昭和10年(1935) 法隆寺所蔵


昭和10年8月から10月にわたり、英国イルフォード社に特別注文して輸入した全紙判(50×60㎝)ガラス乾板を用いて原寸大分割撮影が行われた。大壁は42分割、小壁は24分割、仏様の顔が切れないように別撮りしたものを加えると全374分割。全紙の大きさに満たない分割部分は、1枚の乾板を半分ずつ使い2カットを撮影したので、撮影乾板数では363枚となる。原寸大分割撮影という、当時世界的にも例を見ない大型撮影プロジェクトであり、また赤外線撮影、4色分解カラー撮影も同時に行うなど、日本写真史的にも重要な写真原板といえよう。撮影技師は、今回が同壁画3度目となる佐藤浜次郎。撮影原板は、コロタイプ原版とするために、膜面を反転し、永久保存のため約1㎝の厚ガラスに張り替えている。またその際に膜面の上からセロファンで覆っていることが酸化を防ぎ、撮影から80年を経た現在でも非常に良好な状態を保っている。
4 「法隆寺金堂壁画原寸大玻璃版(コロタイプ)複製 全12面」のうち6号壁
昭和12年(1937) 便利堂所蔵

原寸大撮影後、焼付をつなぎ合わせて原寸大全図にしたプリント2組と分割まま1組の計3組が納入された。しかし焼付では変色の恐れがあることから、翌11年玻璃版(コロタイプ)によるプリントが文部省により検討される。膜面返しのテストを経て、結果が良好なことを確認して作業に着手。国産による良質なカーボンインキの開発からスタートし、越前の特漉き雁皮紙、京表具による大幅表装など、国家プロジェクトにふさわしい高品質な原材料と高い技術の粋を集めて作業が進行された。莫大な制作費をあがなうために複数組を制作し頒布されることになり、昭和13年までに全12壁20数組が完成し、国内外のミュージアム、大学などに収蔵された。展示された6号壁は、試作として昭和12年に完成した最初の1組から。長年便利堂内に展示されていたため和紙の焼けがみられるが、画像はしっかりと残っており、黒々とした顔料による精緻な表現は、和紙となじみ落ち着きながらも瑞々しさも感じられるほどである。
5 岩波書店刊行『法隆寺金堂壁画選』より6号壁菩薩部分カラー復元
平成23年(2011)

岩波書店『法隆寺金堂壁画』に合わせて刊行された『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』(展示No.16)にモノクロ6葉とともに収録されたカラー1葉。展示No.6の4色分解写真原板83枚のうちの1枚「菩薩お顔部分」より原寸大に拡大し、コロタイプでカラー復元した。従来流布している同壁画のカラー画像は、展示No.13『壁画集』の原色版カラー図版をカラー複写したものであり、その意味でこの『壁画選』で発表されたコロタイプ版カラー図版は、60年ぶりに原板から起こされたカラー図版といえる。加えて原寸で網点のないコロタイプによる特色表現は、まさに当時の姿を目の当たりにするかのような再現となっている。同じく同書に収録されたモノクロ6葉をプリントするために、昭和42年(1959)「再現壁画」模写のコロタイプ下地印刷に使用して以来、約半世紀ぶりに「原寸撮影原板」を法隆寺収蔵庫より持ち出しコロタイプした。このとき目の当たりにした原板の状態の素晴らしさと価値を再認識したことが、同原板の保存活動を進める機縁となった。
6 重要文化財 「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」のうち「4色分解写真原板」1枚 (K版)
昭和10年(1935) 便利堂所蔵
7 重要文化財 「法隆寺金堂壁画写真原板 八十三枚」のうち「赤外線写真原板」1枚
昭和10年(1935) 便利堂所蔵

4色分解写真原板(左)と赤外線写真原板(右)
当時はまだカラーフィルムが無く、4枚のフィルターでYMCK(イエロー・マゼンタ・シアン・ブラック)の各色を取り出す4色分解撮影という方法で写された。「原色版撮影」ともいい、原色凸版印刷(銅板)を行ってはじめてカラーの画像が得られる。この4色分解撮影は便利堂の発案で独自に行われた。
この4色分解原板は、壁画焼損後の昭和26年(1951)に『法隆寺金堂壁画集』(展示No.14)として日の目を見ることとなり、またこの画集のカラー図版が昭和42年の「再現壁画」模写の色再現に大いに参考になった。
赤外線フィルムは、六櫻社特製を使用。原寸大玻璃版複製とともに、この原板から赤外線図版20葉を収録した資料集(展示No.13)が刊行された。
8 「法隆寺金堂壁画原寸大写真購入設計書」 法隆寺国宝保存工事事務所
昭和10年5月1日 便利堂所蔵

新発見資料。撮影開始にあたり、撮影の設計仕様ならびに費用を記載した書類の写し。総額が1万6510円であったことや、焼付をつなぎ合わせて原寸にした軸装2組と分割のまま1組、計3組の焼付を制作したこと、またイルフォードに発注したガラス乾板は「パンクロマチック」と「クロマチック」の2種類があり、壁画の色の発色で使い分けていたことなどがわかる。この時代の撮影事業の詳細がわかる書類は非常に珍しく、貴重な資料といえる。

9 『法隆寺壁画保存方法調査報告』 発行:文部省 大正9年(1920)3月31日初版

法隆寺金堂壁画の保存が最初に問題になったのは、明治30年(1897)のことで、その年の12月、「古社寺保存法」が施行されるとともに壁画保存のことが取り上げられた。しかしながら、当時取られた措置としては、壁画の亀裂部分が崩れ落ちないようにガラス板で押さえる、という程度のものであった。その後、大正2年(1913)、古社寺保存会より壁画保存の急務を説いた建議書が時の文部大臣に提出され、大正4年(1915)5月「法隆寺壁画保存方法調査委員会」が設置された。
当時トップクラスの学者で組織された委員会は約10回開かれ、様々な角度から壁画の保存について検討が重ねられた。最終的な選択肢として「壁画を切り離して別途保存する方法」と「金堂内にそのまま留め置く現状保存案」が検討され、後者が採用されることとなった。この約4年にわたる各種調査内容と検討結果がまとめられたのがこの『報告書』である。最終の第九章「結論」の結びには、いかに補修補強が実施され防火設備が整えられようとも、完全な副本(複製・写本)を持たないことには完全に壁画の保存を行ったと云えない、とし複製の重要性を説いてている。このことは、十数年後の「原寸大撮影」ならびに「原寸大玻璃版複製」、そして「昭和の模写」というかたちで実行されていくこととなった。
10 『法隆寺金堂壁画原寸大玻璃版複製附録』 編:法隆寺 昭和14年(1939)

昭和13年に完成した原寸大玻璃版複製の附録として制作された壁画の解説書。
11 『原色法隆寺壁画』 発行:辻本写真工藝社 大正13年(1924)6月15日


大正8年(1919)に技師長・佐藤浜次郎が辻本写真工藝社時代にはじめて法隆寺金堂壁画を撮影した原板で刊行された。金堂壁画として出版された最初の画集ではないか。枚葉式の本編が木製のタトウに入った珍しい形。収載図版のサイズから撮影原板が四切であったことがわかる。
12 『日本名画譜 仏画篇』 法隆寺輯(第4、8、11、12刊)
発行:便利堂 昭和4年(1929)

昭和2年(1927)、辻本写真工藝社より佐藤浜次郎を迎え「便利堂原色版工場」が新設される。早速第1弾として企画されたのが『日本名画譜 仏画編』であった。昭和4年に刊行が開始され、昭和21年(1946)までに20冊が出版された。佐藤はこの出版のために2回目の壁画撮影を行う。このときは2尺×3尺の鏡を40枚作って光線を当てて撮影したという。この経験をもとに、原寸大撮影の際は電球10個を用いる撮影設計を行った。
13 『赤外線原寸大 法隆寺金堂壁画』 発行:便利堂 昭和13年(1938)

「原寸大玻璃版複製」(展示No.4)完成にあわせて刊行された、No.7の赤外線写真を用いたコロタイプ図版を収載した画集。
14 『法隆寺金堂壁画集』
発行:法隆寺金堂壁画集刊行会(便利堂内) 昭和26年(1951)3月30日刊行

昭和10年の原寸大撮影時に、赤外線ともに写された4色分解写真(展示N0.6)を用いて刊行された原色版カラー画集。当初、4色分解写真は撮影予定がなかったが、便利堂独自の判断で行われた。この4色分解原版は、撮影されたもののながらく日の目を見ることはなかった。当時の4代目社長・中村竹四郎の発案によるものであるが、すでに大正13年の『原色法隆寺壁画』(展示No.11)、昭和4年の『日本名画譜 仏画篇(法隆寺輯)』(展示No.12)の先行図書が刊行済であり、出版目的というよりも、純粋にカラー(4色分解)撮影による記録そのものに主眼が置かれたのであろう。しかしながら、昭和24年(1949)の羅災により、この原板が焼損前の色彩を最も正確にとどめる唯一無二の原板となってしまった。本書の刊行に際しては、国家予算による刊行(国内外への有償無償の頒布)として衆議院文部委員会でも討議され、最終的には、アメリカから日本の大学へ寄贈された豪華百科事典の返礼品として250部が買い上げられ米国大学図書館に寄贈された。そうした経緯から、巻頭には当時の首相吉田茂等の序文が寄せられている。

15 『法隆寺金堂壁画集 便利堂蔵版』 (昭和26年の画集の復刻版)
発行:講談社 昭和54年(1979)11月10日
16 『原寸大コロタイプ印刷による 法隆寺金堂壁画選』
発行:岩波書店 平成23年(2011)6月24日初版
◆
「オリジナル」としての彫刻や絵画が文化財指定されることは珍しくありません。ですが、失われたオリジナルを写した写真が重要文化財に指定されたことは、それ自体「オリジナル」の価値を認められたということです。大正時代の鎌倉芳太郎氏の「琉球芸術調査写真」など、ガラス乾板の重要文化財指定は初めてではありませんが、法隆寺金堂壁画写真原板のように昭和の時代における一企業の仕事の成果物が指定されるというのは、おそらく初めてといっていいのではないかと思います。ただコロタイプ通信としては、いつの日か、本件に限らずコロタイプ版が、オリジナルを十全に補完する「オリジナルの写本」として価値を認められ、今回のような吉事にあやかれるよう、精進したいと思います。
さてこののち、便利堂最大の遺産である法隆寺金堂壁画写真原板は「重要文化財」として国の宝になり、保管施設(選考中)に入ります。そうすると、研究者であっても、そう簡単に目にすることはできなくなります。またとない機会です。ぜひコロタイプギャラリーに足を運んでください! 4日3時にはギャラリートークも開催します!
重要文化財指定記念 法隆寺金堂壁画写真原板展
2015年3月15日(日)~4月5日(日) 会期中無休 入場無料
開廊時間 11:00~18:00
場所 便利堂コロタイプギャラリー
京都市中京区新町通竹屋町下ル 便利堂京都本社1F
お問い合わせ 075-231-4351(代表)
【ギャラリートーク】 4月4日(土) 午後3時より 定員50名(先着順) 無料
神田雅章氏(奈良県教育委員会文化財保存課 専門技術員)
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