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審光写場開設80周年記念 「佐藤浜次郎 ハール・フェレンツ 二人展」
ギャラリースペースも広くなりました!
2021年10月1日(金)~11月19日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

みなさんこんにちは。ようやく秋めいて朝晩は過ごしやすくなってきましたね。そんな中、コロタイプギャラリーでは新しい展示がスタートしました。本日は2021年秋季企画展示 審光写場開設80周年記念「佐藤浜次郎 ハール・フェレンツ二人展」をご紹介します。展示を担当した清さんに見どころをお聞きしました。

―――今回、コロタイプギャラリーに大きな変化がありましたね。
「そうなんです。実は、ギャラリーのスペースがより広がりました。今回は二人展ですが、部屋が二つになったことで、ハール・フェレンツパートと佐藤浜次郎パートに分け、お二人の作品をじっくりご覧いただけるよう展示しています。」

ギャラリーの壁に新たな入り口が。。
―――では、まずハール・フェレンツさんをご紹介いただけますか。

Francis Haar, 1908-97 ©Tom Haar 不許複製
「ハンガリー出身のハール・フェレンツさん(英語名:フランシス・ハール)は戦前に来日し、日本の文化や風景を撮影してきた写真家、映画監督です。明治41(1908)年にハンガリーの小さな町で生まれた彼は、ブタペストでインテリアと建築デザインを学び建築事務所で働き始めましたが、若手芸術家たちとの交流をきっかけにカメラに興味を持ち、独学で撮影を始めます。その後ハンガリーで写真家として成功したのちパリへと移り住みました。しかし昭和14(1939)年末、第二次大戦によってパリを離れることを考えた彼は、以前ポートレートを撮影した日本人 川添浩史氏の助けにより日本へやってきます。ハールさんはとりわけ日本の風景と文化を気に入り、ポートレートを撮りつつ、風景写真や日本の風俗、歌舞伎や舞妓などを数多く撮影し、何冊かの作品集を出版しました。便利堂ではそのうち2冊を制作しています。」

便利堂が制作したコロタイプ写真集、『ハンガリヤ』(1941)と『富士山麓』(1942)
『ハンガリヤ』についてくわしくはこちら
―――そのように便利堂との関係が築かれたのですね。一方の佐藤浜次郎さんはどんな方でしょう?

佐藤浜次郎, 1894-1950
「佐藤浜次郎は便利堂の写真工房の礎を築いた非常に重要な人物です。彼は日本の文化財写真史に残る昭和10(1935)年の法隆寺金堂壁画原寸大撮影をはじめ、文化財撮影の第一線で活躍した撮影技師です。」
―――浜次郎さんはどのような経緯で便利堂へ来られたのですか?
「彼は明治27(1894)年に横浜に生まれました。11歳で父と死に別れると東京の辻本写真工藝社に丁稚奉公に出ます。辻本写真工藝社は写真印刷製版の名門で、ここで原色版(網目銅板凸版印刷)の写真撮影技術を身に付けます。その手腕は群を抜き、17、8歳頃には、原色版用撮影ではほかの3倍もの仕事をしたといいます。便利堂は、辻本写真工藝社がグラビア印刷へシフトしたことを機に、原色版工房の印刷設備、工員を移譲、いまでいうM&Aを行って、コロタイプと並んで原色版の工房を開設しました。浜次郎さんは、ほかの工員を引き連れ京都に移ってくることになったのです。そうした確かな技術を持った人たちが便利堂にやってきたことにより、便利堂の写真技術は大きく飛躍し、原色版は便利堂の代名詞ともなりました。」

審光写場(応接室) ©Tom Haar 不許複製
―――お二人にどんどん興味がわいてきました。さて、今回は「審光写場開設80周年」を記念しての展示です。「審光写場」とは何ですか?
「昭和16(1941)年秋、ハールさんと浜次郎さんをカメラマンとして迎え、便利堂が銀座に開設した写真スタジオです。ポートレートから文化財写真まで幅広く手掛けたものの、太平洋戦争による東京の空襲でスタジオは焼失してしまいました。戦争によって2年半と短命ではありましたが、明治から始まった文化財写真と芸術写真が、世界と日本が融合したとてもユニークな試みでした。また、来日中だったデザイナー、シャルロット・ぺリアンによる内装もすてきでした。建物の設計は坂倉準三です。」

審光写場(スタジオ) ©Tom Haar 不許複製
―――二人がともに過ごした場所なんですね。ただ、撮影対象はまったく違うようです。
「「カメラ」という同じ機械を手にしながら二人の写真テーマは全く異なります。ハールさんは彼の心に留まった主観が入った写真、一方で浜次郎さんはいわゆる記録写真ですから非常に客観的な撮影です。今回の展示では、浜次郎さんとハールさんというカメラを愛する二人がそれぞれどんな思いでレンズをのぞいたのか、ぜひみなさんにご覧いただきたいです。」

左より、コロタイプ:精進湖より富士を望む(1940), 皇居二重橋(1940-50), 法隆寺夢殿にて(1940-50)
―――ではまずハールさんの展示について教えてください。
「今回の展示では昭和25(1950)年に刊行されたポートフォリオ『PICTORIAL JAPAN』からプリント作品を10点、さらに本展に合わせ新たにコロタイプでプリントした2点の作品を展示し、彼の日本での活動を紹介します。ハールさんは日本に滞在した20年の間で、日本文化を世界に紹介する写真や映画を制作しました。戦前から戦後の日本を記録してきたハンガリー生まれの写真家がどんな目線で日本を見ていたのか。彼の目を通して、日本の伝統と文化のエスプリをこの展示で感じていただけるのではないかと思います。ぜひ多くの方にこんな写真家がいたことを知っていただきたいですね。」

左より、ことも祭り(1949), コロタイプ:繭玉の収穫、 富士山麓にて(1950), 勧進帳(1940-50)
―――今回の展示では、ハールさんの書籍も販売されるんですね。
「そうなんです。写真集『A Life time of Images』はハンガリー、パリ、日本、シカゴ、ホノルルと各地で撮影した写真作品とハールさんの言葉で綴られた回想録が収められた彼の集大成ともいえる一冊です。今回、二人展を記念して『A Life time of Images』を部数限定で発売します。また『人生は映像とともに』(監修:トム・ハール)は収録されている回想録を訳出したものです。彼自身が語る数奇ともいえる人生と、日本を「記録」したその想いをお楽しみください。あとがきでは、彼の来日した背景や審光写場について詳しく解説しています。」

1,500円(税込・送料無料)
目次: はじめに / ハンガリー, 1908-1937 / パリ, 1937-1939 / 日本, 1940-1960 / シカゴ, 1956-1959 / ハワイ, 1960-1997 / 付録 / 父のこと トム・ハール / あとがき:ハール来日の背景について( 1. “地球人” 川添浩史、2. 1930年代,パリの日本人たち、3. 「日本映画祭」の開催とフィルム・エリオス社の設立,そして帰国、4.1930年代の国際文化交流:国際文化振興会とKBSフォトライブラリー、5. ツラニズムと三井高陽の日洪文化協会、6. 仲小路彰と小島威彦:世界創造社とスメラ学塾、7. 1940年のスメラクラブの誕生とスメル写真研究所、8. ぺリアンの来日と,ハールの活動の拠点「審光写場」の開設、9. おわりに:戦後のハールと川添の文化交流活動)
―――ぜひ読んでみたいです。それでは浜次郎さんの展示についても聞かせてください。
「便利堂の写真工房は、明治の開設以来、文化財の写真撮影を専門にしています。写真工房では「文化財をありのまま記録する」という系譜が現在までずっと引き継がれてきました。そうした意味で、浜次郎さんは、明治大正と積み重ねてきた便利堂写真工房を大成させた、便利堂はもちろんですが、日本の文化財撮影史にその名を遺す人です。今回の展示では彼が便利堂において成し遂げた偉大な功績からいくつかをご紹介します。」

新しい入り口のその先には。。。旧印刷工房跡地をDIYしたギャラリースペースが出現!
―――浜次郎さんの代表的な仕事にはどんなものがありますか?
「彼が取り組んだ大仕事といえば、昭和10(1935)年の法隆寺金堂壁画原寸大撮影でしょう。彼は人生で3度、法隆寺金堂壁画を撮影しており、3度目がこの撮影でした。国の事業が便利堂に委託された理由として、便利堂の撮影技術を評価していただいたことはもちろんですが、浜次郎さんが法隆寺金堂壁画の撮影をすでに2回経験していたことも大きかったと思います。」
⇒法隆寺金堂壁画の原寸大撮影についてくわしくはこちら

当麻曼荼羅撮影中の佐藤浜次郎(左)と、視察に訪れた便利堂四代目中村竹四郎(昭和14年)
―――浜次郎さんへの信頼がうかがえますね。
「この撮影を成功させたことで、文化財撮影において便利堂と撮影技師 佐藤浜次郎の名はより広く知られるようになりました。ちょうどその頃、今では当たり前になった文化財の保存科学分野に力を入れる動きが活発になります。つまり、精密な写真撮影を行って現状を記録し、それを今後の文化財保存や研究に役立てようというものです。その中で法隆寺金堂壁画に次いで調査対象となったのが奈良県にある當麻寺の當麻曼荼羅でした。当時、国華社主幹であった瀧精一博士の依頼で、浜次郎さんは昭和14(1939)年5月に《国宝 當麻曼荼羅図》の原寸大撮影を行いました。今回は、俯瞰による撮影で、法隆寺と同様に特殊なカメラを制作し撮影に臨みました。5月22日の機材搬入から6月1日の撤収まで、11日間を要しました。」

かつて原色版印刷工房があった空間が、広々としたギャラリースペースとしてよみがえりました。
―――恥ずかしながら便利堂が當麻曼荼羅を撮影したことを知りませんでした。
「実は、撮影当時は話題になったものの、あまり注目されることがありませんでした。しかし昭和38(1963)年に當麻曼荼羅は国宝に指定されます。それに際して、当時の撮影乾板を使い120枚ものコロタイププリントが制作されました。今回の展示では法隆寺金堂壁画をはじめとする代表作とともに、近年では忘れられた「もうひとつの原寸大撮影」である《国宝 當麻曼荼羅図》にスポットをあてます。」

壁面の法隆寺金堂壁画複製とともに、ギャラリースペースの中央には、120枚に分割撮影・印刷されたコロタイププリントをつなげて当麻曼荼羅全図の複製を展示しています。踏み台から少し俯瞰で全体をご覧いただけます。
「この当麻曼荼羅の原寸大撮影については、機会を改めてこのブログで詳細に紹介したいと思っています。」

近づいてご覧いただくと、細かいつづれ織りのディテールが確認できます。
―――浜次郎さんパートでは貴重な文化財写真、ハールさんパートでは彼が日本の土地や文化へ向けたまなざしとどちらも見ごたえがありそうです。これから展示をご覧になるみなさまへ一言お願いします。
「写真家ハールさんの目に映った戦前から戦後の日本はどんな場所だったのか、当時の写真家と撮影技師の仕事を対比して見ていただいても面白いと思います。二人とも写真を仕事に同じ時代を生きたわけですが、これだけ違う仕事をしていたのかというところも面白いですよね。また佐藤浜次郎という人が文化財の撮影においていかに偉大な業績を残してきたか、その仕事をご覧になりながら自由に思いを巡らせていただけるとうれしいです。一言で写真といってもまったく違う、でもどちらも重要だということがきっとお伝えできるのではないでしょうか。」

◆
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー秋季展
審光写場開設80周年記念 「佐藤浜次郎 ハール・フェレンツ 二人展」
2021年10月1日(金)~11月19日(金)
時間:10:00-17:00(全日12:00~13:00と水曜日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂本社1Fコロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)

ハールの写真集や映像作品(『天皇』『Arts of Japan』『Japanese Calligraphy』)もご自由に閲覧していただけます。
2021年10月1日(金)~11月19日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

みなさんこんにちは。ようやく秋めいて朝晩は過ごしやすくなってきましたね。そんな中、コロタイプギャラリーでは新しい展示がスタートしました。本日は2021年秋季企画展示 審光写場開設80周年記念「佐藤浜次郎 ハール・フェレンツ二人展」をご紹介します。展示を担当した清さんに見どころをお聞きしました。

―――今回、コロタイプギャラリーに大きな変化がありましたね。
「そうなんです。実は、ギャラリーのスペースがより広がりました。今回は二人展ですが、部屋が二つになったことで、ハール・フェレンツパートと佐藤浜次郎パートに分け、お二人の作品をじっくりご覧いただけるよう展示しています。」

ギャラリーの壁に新たな入り口が。。
―――では、まずハール・フェレンツさんをご紹介いただけますか。

Francis Haar, 1908-97 ©Tom Haar 不許複製
「ハンガリー出身のハール・フェレンツさん(英語名:フランシス・ハール)は戦前に来日し、日本の文化や風景を撮影してきた写真家、映画監督です。明治41(1908)年にハンガリーの小さな町で生まれた彼は、ブタペストでインテリアと建築デザインを学び建築事務所で働き始めましたが、若手芸術家たちとの交流をきっかけにカメラに興味を持ち、独学で撮影を始めます。その後ハンガリーで写真家として成功したのちパリへと移り住みました。しかし昭和14(1939)年末、第二次大戦によってパリを離れることを考えた彼は、以前ポートレートを撮影した日本人 川添浩史氏の助けにより日本へやってきます。ハールさんはとりわけ日本の風景と文化を気に入り、ポートレートを撮りつつ、風景写真や日本の風俗、歌舞伎や舞妓などを数多く撮影し、何冊かの作品集を出版しました。便利堂ではそのうち2冊を制作しています。」

便利堂が制作したコロタイプ写真集、『ハンガリヤ』(1941)と『富士山麓』(1942)
『ハンガリヤ』についてくわしくはこちら
―――そのように便利堂との関係が築かれたのですね。一方の佐藤浜次郎さんはどんな方でしょう?

佐藤浜次郎, 1894-1950
「佐藤浜次郎は便利堂の写真工房の礎を築いた非常に重要な人物です。彼は日本の文化財写真史に残る昭和10(1935)年の法隆寺金堂壁画原寸大撮影をはじめ、文化財撮影の第一線で活躍した撮影技師です。」
―――浜次郎さんはどのような経緯で便利堂へ来られたのですか?
「彼は明治27(1894)年に横浜に生まれました。11歳で父と死に別れると東京の辻本写真工藝社に丁稚奉公に出ます。辻本写真工藝社は写真印刷製版の名門で、ここで原色版(網目銅板凸版印刷)の写真撮影技術を身に付けます。その手腕は群を抜き、17、8歳頃には、原色版用撮影ではほかの3倍もの仕事をしたといいます。便利堂は、辻本写真工藝社がグラビア印刷へシフトしたことを機に、原色版工房の印刷設備、工員を移譲、いまでいうM&Aを行って、コロタイプと並んで原色版の工房を開設しました。浜次郎さんは、ほかの工員を引き連れ京都に移ってくることになったのです。そうした確かな技術を持った人たちが便利堂にやってきたことにより、便利堂の写真技術は大きく飛躍し、原色版は便利堂の代名詞ともなりました。」

審光写場(応接室) ©Tom Haar 不許複製
―――お二人にどんどん興味がわいてきました。さて、今回は「審光写場開設80周年」を記念しての展示です。「審光写場」とは何ですか?
「昭和16(1941)年秋、ハールさんと浜次郎さんをカメラマンとして迎え、便利堂が銀座に開設した写真スタジオです。ポートレートから文化財写真まで幅広く手掛けたものの、太平洋戦争による東京の空襲でスタジオは焼失してしまいました。戦争によって2年半と短命ではありましたが、明治から始まった文化財写真と芸術写真が、世界と日本が融合したとてもユニークな試みでした。また、来日中だったデザイナー、シャルロット・ぺリアンによる内装もすてきでした。建物の設計は坂倉準三です。」

審光写場(スタジオ) ©Tom Haar 不許複製
―――二人がともに過ごした場所なんですね。ただ、撮影対象はまったく違うようです。
「「カメラ」という同じ機械を手にしながら二人の写真テーマは全く異なります。ハールさんは彼の心に留まった主観が入った写真、一方で浜次郎さんはいわゆる記録写真ですから非常に客観的な撮影です。今回の展示では、浜次郎さんとハールさんというカメラを愛する二人がそれぞれどんな思いでレンズをのぞいたのか、ぜひみなさんにご覧いただきたいです。」

左より、コロタイプ:精進湖より富士を望む(1940), 皇居二重橋(1940-50), 法隆寺夢殿にて(1940-50)
―――ではまずハールさんの展示について教えてください。
「今回の展示では昭和25(1950)年に刊行されたポートフォリオ『PICTORIAL JAPAN』からプリント作品を10点、さらに本展に合わせ新たにコロタイプでプリントした2点の作品を展示し、彼の日本での活動を紹介します。ハールさんは日本に滞在した20年の間で、日本文化を世界に紹介する写真や映画を制作しました。戦前から戦後の日本を記録してきたハンガリー生まれの写真家がどんな目線で日本を見ていたのか。彼の目を通して、日本の伝統と文化のエスプリをこの展示で感じていただけるのではないかと思います。ぜひ多くの方にこんな写真家がいたことを知っていただきたいですね。」

左より、ことも祭り(1949), コロタイプ:繭玉の収穫、 富士山麓にて(1950), 勧進帳(1940-50)
―――今回の展示では、ハールさんの書籍も販売されるんですね。
「そうなんです。写真集『A Life time of Images』はハンガリー、パリ、日本、シカゴ、ホノルルと各地で撮影した写真作品とハールさんの言葉で綴られた回想録が収められた彼の集大成ともいえる一冊です。今回、二人展を記念して『A Life time of Images』を部数限定で発売します。また『人生は映像とともに』(監修:トム・ハール)は収録されている回想録を訳出したものです。彼自身が語る数奇ともいえる人生と、日本を「記録」したその想いをお楽しみください。あとがきでは、彼の来日した背景や審光写場について詳しく解説しています。」

1,500円(税込・送料無料)
目次: はじめに / ハンガリー, 1908-1937 / パリ, 1937-1939 / 日本, 1940-1960 / シカゴ, 1956-1959 / ハワイ, 1960-1997 / 付録 / 父のこと トム・ハール / あとがき:ハール来日の背景について( 1. “地球人” 川添浩史、2. 1930年代,パリの日本人たち、3. 「日本映画祭」の開催とフィルム・エリオス社の設立,そして帰国、4.1930年代の国際文化交流:国際文化振興会とKBSフォトライブラリー、5. ツラニズムと三井高陽の日洪文化協会、6. 仲小路彰と小島威彦:世界創造社とスメラ学塾、7. 1940年のスメラクラブの誕生とスメル写真研究所、8. ぺリアンの来日と,ハールの活動の拠点「審光写場」の開設、9. おわりに:戦後のハールと川添の文化交流活動)
―――ぜひ読んでみたいです。それでは浜次郎さんの展示についても聞かせてください。
「便利堂の写真工房は、明治の開設以来、文化財の写真撮影を専門にしています。写真工房では「文化財をありのまま記録する」という系譜が現在までずっと引き継がれてきました。そうした意味で、浜次郎さんは、明治大正と積み重ねてきた便利堂写真工房を大成させた、便利堂はもちろんですが、日本の文化財撮影史にその名を遺す人です。今回の展示では彼が便利堂において成し遂げた偉大な功績からいくつかをご紹介します。」

新しい入り口のその先には。。。旧印刷工房跡地をDIYしたギャラリースペースが出現!
―――浜次郎さんの代表的な仕事にはどんなものがありますか?
「彼が取り組んだ大仕事といえば、昭和10(1935)年の法隆寺金堂壁画原寸大撮影でしょう。彼は人生で3度、法隆寺金堂壁画を撮影しており、3度目がこの撮影でした。国の事業が便利堂に委託された理由として、便利堂の撮影技術を評価していただいたことはもちろんですが、浜次郎さんが法隆寺金堂壁画の撮影をすでに2回経験していたことも大きかったと思います。」
⇒法隆寺金堂壁画の原寸大撮影についてくわしくはこちら

当麻曼荼羅撮影中の佐藤浜次郎(左)と、視察に訪れた便利堂四代目中村竹四郎(昭和14年)
―――浜次郎さんへの信頼がうかがえますね。
「この撮影を成功させたことで、文化財撮影において便利堂と撮影技師 佐藤浜次郎の名はより広く知られるようになりました。ちょうどその頃、今では当たり前になった文化財の保存科学分野に力を入れる動きが活発になります。つまり、精密な写真撮影を行って現状を記録し、それを今後の文化財保存や研究に役立てようというものです。その中で法隆寺金堂壁画に次いで調査対象となったのが奈良県にある當麻寺の當麻曼荼羅でした。当時、国華社主幹であった瀧精一博士の依頼で、浜次郎さんは昭和14(1939)年5月に《国宝 當麻曼荼羅図》の原寸大撮影を行いました。今回は、俯瞰による撮影で、法隆寺と同様に特殊なカメラを制作し撮影に臨みました。5月22日の機材搬入から6月1日の撤収まで、11日間を要しました。」

かつて原色版印刷工房があった空間が、広々としたギャラリースペースとしてよみがえりました。
―――恥ずかしながら便利堂が當麻曼荼羅を撮影したことを知りませんでした。
「実は、撮影当時は話題になったものの、あまり注目されることがありませんでした。しかし昭和38(1963)年に當麻曼荼羅は国宝に指定されます。それに際して、当時の撮影乾板を使い120枚ものコロタイププリントが制作されました。今回の展示では法隆寺金堂壁画をはじめとする代表作とともに、近年では忘れられた「もうひとつの原寸大撮影」である《国宝 當麻曼荼羅図》にスポットをあてます。」

壁面の法隆寺金堂壁画複製とともに、ギャラリースペースの中央には、120枚に分割撮影・印刷されたコロタイププリントをつなげて当麻曼荼羅全図の複製を展示しています。踏み台から少し俯瞰で全体をご覧いただけます。
「この当麻曼荼羅の原寸大撮影については、機会を改めてこのブログで詳細に紹介したいと思っています。」

近づいてご覧いただくと、細かいつづれ織りのディテールが確認できます。
―――浜次郎さんパートでは貴重な文化財写真、ハールさんパートでは彼が日本の土地や文化へ向けたまなざしとどちらも見ごたえがありそうです。これから展示をご覧になるみなさまへ一言お願いします。
「写真家ハールさんの目に映った戦前から戦後の日本はどんな場所だったのか、当時の写真家と撮影技師の仕事を対比して見ていただいても面白いと思います。二人とも写真を仕事に同じ時代を生きたわけですが、これだけ違う仕事をしていたのかというところも面白いですよね。また佐藤浜次郎という人が文化財の撮影においていかに偉大な業績を残してきたか、その仕事をご覧になりながら自由に思いを巡らせていただけるとうれしいです。一言で写真といってもまったく違う、でもどちらも重要だということがきっとお伝えできるのではないでしょうか。」

◆
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー秋季展
審光写場開設80周年記念 「佐藤浜次郎 ハール・フェレンツ 二人展」
2021年10月1日(金)~11月19日(金)
時間:10:00-17:00(全日12:00~13:00と水曜日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂本社1Fコロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)

ハールの写真集や映像作品(『天皇』『Arts of Japan』『Japanese Calligraphy』)もご自由に閲覧していただけます。
コロタイプギャラリー通常展示「便利堂コロタイプの現在地」本日より開催
国宝に新指定の「蒙古襲来絵詞」の複製も展示!
2021年7月26日(月)~9月3日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

みなさんこんにちは。お待たせしました。コロタイプギャラリーでは本日より新しい展示がスタートしました! 今回は「コロタイプの現在地」と題して、便利堂のコロタイプがたどってきた道をじっくりとご紹介いたします。展示を担当した清さんに見どころをお聞きしました。

―――便利堂は今年の7月で創立135年を迎えました。コロタイプの工房を構えてからはどのくらいになりますか?
1905(明治38)年に開設したので116年目になります。そもそもコロタイプは19世紀中ごろにフランスで生まれ、ドイツで確立された写真の古典印画技法のひとつです。その後、精緻な印刷技法として普及しますが、他の技術の台頭とともに姿を消していきました。そうした中で便利堂はコロタイプの特徴を活かして今に至ります。ただ、当時の技術をそのまま使い続けているかというとそうではありません。116年の間にはいくつもの大きな進化や変化がありました。

平台印刷機が並ぶ工房(昭和2年)
―――それはどんな変化でしょう?
大きなところでいうと「動力印刷機の導入」「コロタイプのカラー化」「デジタルへの取り組み」「環境への配慮」、この4つです。振り返ってわかったのは、便利堂は時代の流れを見て、いろんなことにチャレンジしてきたということでした。しかし、どれ一つとして簡単なものはなかったでしょう。日々の実験を繰り返し、技術を時代にあった形に進化させようとする人々の努力なくしては取り入れられなかったはずです。今回の展示では便利堂のコロタイプがどのように変化してきたのかをわかりやすくご紹介したいと思います。

円圧式動力機が並ぶ現在の工房
動力印刷機の導入
―――円圧式の「動力印刷機」はギャラリーからもその姿をご覧いただけますね。
ずらりと並んだ様子は圧巻です。ぜひ、動いているところをご覧いただきたいですね。ただ、この動力印刷機は初めから使用されていたわけではありません。明治期に使われていたのは「手刷り平台印刷機」でした。版にインキを入れ、紙をセットし、プレスする。印刷の工程すべてを人の手でおこなう、アナログのプリント方法です。1936(昭和11)年には《法隆寺金堂壁画》の原寸大複製がこの印刷機で制作されました。このプリントのもとになった写真原板は平成27年に国の重要文化財に指定されました。現在、便利堂が所蔵する原板の一部が京都国立博物館で開催されている「京の国宝」展で展示されています。

昭和12年頃(1937)、特設工房(於 大雲院)にて法隆寺金堂壁画原寸大複製の作業風景
―――平台印刷機はいわば原点ですね。そこから動力機への変化は大きかったでしょうね。
そうですね。しかしすべてを一気に入れ替えたわけではなく、しばらくは平台と動力機を平行して使用していました。当時はコロタイプが全盛期でしたから、動力機を作る工場もたくさんあったと思います。昭和30年以降には動力機がメインの印刷機になりました。1995(平成7)年に導入された大判コロタイプ印刷機「Dax」では24×48インチサイズを刷ることができます。工房がスタートした頃からすると、印刷はスピードも精度も大きな進化を遂げてきました。

展示1:《法隆寺金堂壁画》原寸大コロタイプ複製(6号壁部分 釈迦如来〔左〕、勢至菩薩〔左〕)、1938年制作
コロタイプのカラー化
―――「コロタイプのカラー化」の研究も進んでいたのでしょうか?
コロタイプにはほかの技法にはない再現性や耐久性があり、便利堂ではそれを存分に活かして美術品のプリントをしていました。しかし、コロタイプは基本的に1色でしか刷れません。原本を精巧に再現する複製を制作するためには、コロタイプによるカラー表現の実現は必須でした。その研究が始まったのは昭和30年以降のことです。

展示2:《蒙古襲来絵詞》コロタイプ複製、1994年制作
―――どうやってカラーでの表現ができるようになったんですか?
1色ずつ重ね刷りする木版画を思い浮かべてください。このやり方を参考に、撮影した写真から、色ごとに分解した版を作り、原本の色彩に合わせて調合したインキを1色1色刷り重ねてひとつの絵をプリントしていきます。職人による勘と経験が必要な作業ですが、長い研究期間を経てようやく実用化に至りました。初めて複製で実用化されたのは1966(昭和41)年、《女史箴図巻》(原本 大英博物館蔵)の原寸大完全複製です。この「多色刷コロタイプ」は、現在商業ベースでは世界中で便利堂にしかできない独自の技術です。今回は、先日今年度の国宝新指定に答申がなされた《蒙古襲来絵詞》(原本 宮内庁三の丸尚蔵館)のコロタイプ複製を展示します。作品をご覧いただくとき、「もしこれがモノクロだったら」と想像してみてください。きっと印象はまったく異なるはずです。そう考えると当時、コロタイプのカラー化がどれだけすごい技術開発だったかおわかりいただけると思います。
デジタルへの取り組みと環境への配慮
―――そうするうちに、今度はデジタルの波が押し寄せてきます。
2000年頃からコロタイプでもデジタル技術の導入の取り組みが始まりました。コロタイプの技術はもともとすべての工程が職人の手による、いわばアナログの極みとも呼べるようなものでしたが、一方でデジタル技術でしか実現できない優れた点もたくさんありますよね。アナログとデジタルはどちらも便利堂の未来にとって不可欠なものです。どちらもお互いの不足したところを補いあうものととらえて、時代とともに進んでいく必要性を感じています。

展示3:Stephen Gill 《Night Procession》 HARIBAN AWARD 2017最終優秀賞受賞作品(コロタイプ多色刷)、2017年制作
展示1,2はアナログでのコロタイププリントですが、展示3と4はデジタルでのコロタイププリントですね。
―――繊細なアナログレタッチ(製版)による職人技をどのようにデジタル作業に置き換えるのか、便利堂は4半世紀にわたって研究を進めてきました。その間、世の中のデジタル化の流れの中で供給される最前線のデジタルエクイップメントを取り入れながら便利堂コロタイプのデジタル化の方程式を模索してきました。そしてひとつの完成形として自負しているのが、現在の方式です。製版はこのデジタル方式ですが、プリントの工程自体は160年前と変わらない職人のアナログ技術です。「古くて新しい」この表現力は、世界中のアーティストからも注目されています。今回は展示3として、弊社が主催している写真コンペティション「ハリバンアワード」の2017年最優秀賞受賞者、スティーブン・ギル氏の写真作品を展示しています。

展示4:魯山人書簡《仏手柑》コロタイプ復元複製(右)、2021制作
展示4は、魯山人の作品ですが、原本と複製が並べて展示されています。
―――デジタルとアナログの良さは別物であり、補い合うものと考えていますが、やはりデジタルがアナログを凌駕する部分の一つが機械的な画像処理の部分です。今年の春の展示では、デジタル画像処理で原寸大に複製した《高松塚古墳壁画》が展示されましたが(くわしくはこちら)、今回はデジタル画像処理によって原本の再現複製を試みたサンプルを展示しました。左側の表装されている方が原本ですが、ご覧のとおり長年の展示によって退色してしまっています。これを本来の色彩に再現したのが右の複製です。

―――新しいものの良いところを見極め、恐れずに取り入れる姿勢が今の便利堂をつくったのかもしれません。この魯山人の複製は、近年取り組んでいる環境に配慮した無害薬品のレシピによってでも作られているそうですね。
これまでコロタイプの刷版をご覧になったことがある方は、黄色い色が印象に残っているかもしれません。それは感光材の「重クロム酸塩」という薬品によるものでしたが、環境への負荷がある物質でした。そこで弊社が近年研究を進め独自開発を行ってきたのが、環境に優しい「DAS Photosensitizer(DAS感光材)」です。このレシピで作った板は透明なんです。便利堂は現在、「便利堂エコプロジェクト」を立ち上げ、地球環境と事業活動の調和を目指し、商品の開発・生産・販売を通じて、環境負荷の低減および環境保護のための様々な活動を積極的に推進しています。コロタイプにおいてもこの観点で課題に取り組んでおり、その一つが無害な薬品への転換です。

―――DASの開発には大変な苦労があったと聞きました。
そうですね。2012(平成24)年から研究が始まり、近年ようやく実用に至りました。何度も実験を繰り返したと聞いています。しかし、DAS感光材が開発されたことで、この技術を未来へつなげていくことができるようになりました。しかも、安心安全な感光材を使うことで、一般の方に気軽にコロタイプをお楽しみいただくこともでき、近日中に弊社のウェブ上でDASレシピのコロタイプの家庭用キットを発売する予定です。これもまた、時代に合わせた進化であり変化だと思います。現在、コロタイプ制作物をこのレシピにシフトしており、現時点で8割以上をDAS使用した版で制作しています。

―――伝統や技術を守ること、それと同じくらい進化も大切だとよくわかりました。
また、ギャラリーの一角では、コロタイプ研究所所長 山本 修による、コロタイプの制作過程がじっくりご覧いただける影像をご用意しています。長い歴史の中で、変化を恐れず進化しつづけ、確かな技術を確立し、次の世代へと継承する。もしどれかひとつでも欠けていたらコロタイプの技術はもちろん、今の便利堂はなかったかもしれません。未来へ伝える技術は日々、更新されています。便利堂の挑戦をぜひごらんいただき、コロタイプの現在地をわたしたちと一緒に確かめていただければうれしいです。
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー「コロタイプの現在地」展
2021年7月26日(月)~9月3日(金)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
2021年7月26日(月)~9月3日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

みなさんこんにちは。お待たせしました。コロタイプギャラリーでは本日より新しい展示がスタートしました! 今回は「コロタイプの現在地」と題して、便利堂のコロタイプがたどってきた道をじっくりとご紹介いたします。展示を担当した清さんに見どころをお聞きしました。

―――便利堂は今年の7月で創立135年を迎えました。コロタイプの工房を構えてからはどのくらいになりますか?
1905(明治38)年に開設したので116年目になります。そもそもコロタイプは19世紀中ごろにフランスで生まれ、ドイツで確立された写真の古典印画技法のひとつです。その後、精緻な印刷技法として普及しますが、他の技術の台頭とともに姿を消していきました。そうした中で便利堂はコロタイプの特徴を活かして今に至ります。ただ、当時の技術をそのまま使い続けているかというとそうではありません。116年の間にはいくつもの大きな進化や変化がありました。

平台印刷機が並ぶ工房(昭和2年)
―――それはどんな変化でしょう?
大きなところでいうと「動力印刷機の導入」「コロタイプのカラー化」「デジタルへの取り組み」「環境への配慮」、この4つです。振り返ってわかったのは、便利堂は時代の流れを見て、いろんなことにチャレンジしてきたということでした。しかし、どれ一つとして簡単なものはなかったでしょう。日々の実験を繰り返し、技術を時代にあった形に進化させようとする人々の努力なくしては取り入れられなかったはずです。今回の展示では便利堂のコロタイプがどのように変化してきたのかをわかりやすくご紹介したいと思います。

円圧式動力機が並ぶ現在の工房
動力印刷機の導入
―――円圧式の「動力印刷機」はギャラリーからもその姿をご覧いただけますね。
ずらりと並んだ様子は圧巻です。ぜひ、動いているところをご覧いただきたいですね。ただ、この動力印刷機は初めから使用されていたわけではありません。明治期に使われていたのは「手刷り平台印刷機」でした。版にインキを入れ、紙をセットし、プレスする。印刷の工程すべてを人の手でおこなう、アナログのプリント方法です。1936(昭和11)年には《法隆寺金堂壁画》の原寸大複製がこの印刷機で制作されました。このプリントのもとになった写真原板は平成27年に国の重要文化財に指定されました。現在、便利堂が所蔵する原板の一部が京都国立博物館で開催されている「京の国宝」展で展示されています。

昭和12年頃(1937)、特設工房(於 大雲院)にて法隆寺金堂壁画原寸大複製の作業風景
―――平台印刷機はいわば原点ですね。そこから動力機への変化は大きかったでしょうね。
そうですね。しかしすべてを一気に入れ替えたわけではなく、しばらくは平台と動力機を平行して使用していました。当時はコロタイプが全盛期でしたから、動力機を作る工場もたくさんあったと思います。昭和30年以降には動力機がメインの印刷機になりました。1995(平成7)年に導入された大判コロタイプ印刷機「Dax」では24×48インチサイズを刷ることができます。工房がスタートした頃からすると、印刷はスピードも精度も大きな進化を遂げてきました。

展示1:《法隆寺金堂壁画》原寸大コロタイプ複製(6号壁部分 釈迦如来〔左〕、勢至菩薩〔左〕)、1938年制作
コロタイプのカラー化
―――「コロタイプのカラー化」の研究も進んでいたのでしょうか?
コロタイプにはほかの技法にはない再現性や耐久性があり、便利堂ではそれを存分に活かして美術品のプリントをしていました。しかし、コロタイプは基本的に1色でしか刷れません。原本を精巧に再現する複製を制作するためには、コロタイプによるカラー表現の実現は必須でした。その研究が始まったのは昭和30年以降のことです。

展示2:《蒙古襲来絵詞》コロタイプ複製、1994年制作
―――どうやってカラーでの表現ができるようになったんですか?
1色ずつ重ね刷りする木版画を思い浮かべてください。このやり方を参考に、撮影した写真から、色ごとに分解した版を作り、原本の色彩に合わせて調合したインキを1色1色刷り重ねてひとつの絵をプリントしていきます。職人による勘と経験が必要な作業ですが、長い研究期間を経てようやく実用化に至りました。初めて複製で実用化されたのは1966(昭和41)年、《女史箴図巻》(原本 大英博物館蔵)の原寸大完全複製です。この「多色刷コロタイプ」は、現在商業ベースでは世界中で便利堂にしかできない独自の技術です。今回は、先日今年度の国宝新指定に答申がなされた《蒙古襲来絵詞》(原本 宮内庁三の丸尚蔵館)のコロタイプ複製を展示します。作品をご覧いただくとき、「もしこれがモノクロだったら」と想像してみてください。きっと印象はまったく異なるはずです。そう考えると当時、コロタイプのカラー化がどれだけすごい技術開発だったかおわかりいただけると思います。
デジタルへの取り組みと環境への配慮
―――そうするうちに、今度はデジタルの波が押し寄せてきます。
2000年頃からコロタイプでもデジタル技術の導入の取り組みが始まりました。コロタイプの技術はもともとすべての工程が職人の手による、いわばアナログの極みとも呼べるようなものでしたが、一方でデジタル技術でしか実現できない優れた点もたくさんありますよね。アナログとデジタルはどちらも便利堂の未来にとって不可欠なものです。どちらもお互いの不足したところを補いあうものととらえて、時代とともに進んでいく必要性を感じています。

展示3:Stephen Gill 《Night Procession》 HARIBAN AWARD 2017最終優秀賞受賞作品(コロタイプ多色刷)、2017年制作
展示1,2はアナログでのコロタイププリントですが、展示3と4はデジタルでのコロタイププリントですね。
―――繊細なアナログレタッチ(製版)による職人技をどのようにデジタル作業に置き換えるのか、便利堂は4半世紀にわたって研究を進めてきました。その間、世の中のデジタル化の流れの中で供給される最前線のデジタルエクイップメントを取り入れながら便利堂コロタイプのデジタル化の方程式を模索してきました。そしてひとつの完成形として自負しているのが、現在の方式です。製版はこのデジタル方式ですが、プリントの工程自体は160年前と変わらない職人のアナログ技術です。「古くて新しい」この表現力は、世界中のアーティストからも注目されています。今回は展示3として、弊社が主催している写真コンペティション「ハリバンアワード」の2017年最優秀賞受賞者、スティーブン・ギル氏の写真作品を展示しています。

展示4:魯山人書簡《仏手柑》コロタイプ復元複製(右)、2021制作
展示4は、魯山人の作品ですが、原本と複製が並べて展示されています。
―――デジタルとアナログの良さは別物であり、補い合うものと考えていますが、やはりデジタルがアナログを凌駕する部分の一つが機械的な画像処理の部分です。今年の春の展示では、デジタル画像処理で原寸大に複製した《高松塚古墳壁画》が展示されましたが(くわしくはこちら)、今回はデジタル画像処理によって原本の再現複製を試みたサンプルを展示しました。左側の表装されている方が原本ですが、ご覧のとおり長年の展示によって退色してしまっています。これを本来の色彩に再現したのが右の複製です。

―――新しいものの良いところを見極め、恐れずに取り入れる姿勢が今の便利堂をつくったのかもしれません。この魯山人の複製は、近年取り組んでいる環境に配慮した無害薬品のレシピによってでも作られているそうですね。
これまでコロタイプの刷版をご覧になったことがある方は、黄色い色が印象に残っているかもしれません。それは感光材の「重クロム酸塩」という薬品によるものでしたが、環境への負荷がある物質でした。そこで弊社が近年研究を進め独自開発を行ってきたのが、環境に優しい「DAS Photosensitizer(DAS感光材)」です。このレシピで作った板は透明なんです。便利堂は現在、「便利堂エコプロジェクト」を立ち上げ、地球環境と事業活動の調和を目指し、商品の開発・生産・販売を通じて、環境負荷の低減および環境保護のための様々な活動を積極的に推進しています。コロタイプにおいてもこの観点で課題に取り組んでおり、その一つが無害な薬品への転換です。

―――DASの開発には大変な苦労があったと聞きました。
そうですね。2012(平成24)年から研究が始まり、近年ようやく実用に至りました。何度も実験を繰り返したと聞いています。しかし、DAS感光材が開発されたことで、この技術を未来へつなげていくことができるようになりました。しかも、安心安全な感光材を使うことで、一般の方に気軽にコロタイプをお楽しみいただくこともでき、近日中に弊社のウェブ上でDASレシピのコロタイプの家庭用キットを発売する予定です。これもまた、時代に合わせた進化であり変化だと思います。現在、コロタイプ制作物をこのレシピにシフトしており、現時点で8割以上をDAS使用した版で制作しています。

―――伝統や技術を守ること、それと同じくらい進化も大切だとよくわかりました。
また、ギャラリーの一角では、コロタイプ研究所所長 山本 修による、コロタイプの制作過程がじっくりご覧いただける影像をご用意しています。長い歴史の中で、変化を恐れず進化しつづけ、確かな技術を確立し、次の世代へと継承する。もしどれかひとつでも欠けていたらコロタイプの技術はもちろん、今の便利堂はなかったかもしれません。未来へ伝える技術は日々、更新されています。便利堂の挑戦をぜひごらんいただき、コロタイプの現在地をわたしたちと一緒に確かめていただければうれしいです。
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー「コロタイプの現在地」展
2021年7月26日(月)~9月3日(金)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
恒例「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展2021 本日より開催!
第9回! 今年も力作がそろいました!
2021年6月22日(火)~7月9日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

皆さんこんにちは。毎年6月下旬より開催している「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展を今年も開催いたします! 便利堂では社員自らが作品を作り、プリントの難しさや技術を体験し、学べる社員向けワークショップイベントを年に1回行っています。さて、今回の見どころはどんなところでしょうか? 展示を担当した清さんにお聞きしました。

―――「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展、今年は9回目となりました。
「早いですね。そもそも社員向けワークショップは、コロタイプ技術の魅力をより多くの人に知ってもらうため、まずは社員自らがコロタイプの魅力を知ろう!という思いから始まりました。単に技術の知識を持つのではなく、ワークショップでコロタイプを実践することで印刷の難しさや技師の技術力が実感としてわかります。さらに自分で満足できる作品を刷り上げたときの高揚感も体験できます。体験していると、コロタイプの話をするときにも力が入ります。そんなわけで社員それぞれが撮影した写真を持ち寄り、年に1回社内でコロタイプワークショップを行い、毎年創立記念日の7月1日頃に展覧会を開催しています。」
―――去年に続き、今年も開催が危ぶまれました。
「そうですね。前回を振り返ると、コロナ禍でどうすべきか運営チームで何度も話し合ったうえで開催することができました。みんなで同じ機材やローラーを使うこともあって非常に慎重になりましたが、社員のみんなにとってこれほど楽しみな行事はほかにありませんよね。社員ワークショップは研究所所長の山本さんをはじめ、技師のみなさんの協力で成り立っていますが、みんなが喜んでくれるのがうれしいからやろう!という山本さんたちの気持ちがとても強かった。だから感染予防を徹底したうえで去年は開催できたし、去年できたことでやり方がわかったので今年もできました。」

―――安全を十分確保した上で開催されたことがよくわかりました。
「1度のワークショップに参加者は3名までと決め、マスクをしたうえで換気も行い、十分に対策を行いました。そうした中でも参加者のみんなは久しぶりの手を動かす時間を楽しめたようで見ていてほっとしました。一人でじっくりプリントすることは特別な時間だったのではないかと思います。きっとコロタイプの仕組みの理解も深まったのではないでしょうか。」
―――ギャラリーにお越しくださる方にはどんなふうにご覧いただきたいですか。
「そもそもコロタイププリントは、160年前にフランスで写真をたくさんプリントするために生まれた技術です。それまでは写真をたくさんプリントできず、なんとかしたいと生まれたのがコロタイプなんですね。便利堂ではそれを応用して多色刷りを開発し、精緻な表現力から文化財の複製や、作家の作品作りなどに用いています。でも、こうした話をコロタイプをあまり知らない人が聞いても「へーそういうものなんですね。大変なんですね…」ってちょっとかしこまってしまうんじゃないかと思います。しかし、この社員展の作品たちはコロタイプ本来の形、一つの版で一つのプリントを作るオリジナルにとても近いやり方でプリントされています。一番純粋なコロタイププリントと言っていいかもしれません。工房にいる技師と違い、コロタイプに関しては素人同然の人たちがこのレベルのものをプリントできるというところをたくさんの方に見ていただきたいですね。ギャラリーにはわかりやすくご覧いただくためにコロタイプの説明もご用意いたします。気楽な気持ちで楽しみにいらしてください。」

―――気に入った作品があれば、ぜひ投票もしていただきたいですね。
「そうですね。例年、出展作品の中から社員と来場者の投票で優秀作品を決定し、見事受賞した人は便利堂創立記念式典(7月1日)で表彰されます。今年はこのような状況から式典は難しいですが、個々に表彰を行う予定です。参加した社員たちは「もしかして…」とどきどきしているはずですよ。」
―――その気持ち、よくわかります。最後に、今回の社員展について感じたことがあれば教えてください。
「わたしの考えなのですが、こういう状況のなかで、自分の頭に刺激を与える機会が減っている気がします。外に出られず、家にいる機会が多くて、家にいると刺激を受けることってなかなか少ないんじゃないでしょうか。そんな中、社員ワークショップで手を動かして、ああでもないこうでもないと模索することにはとても刺激を受けました。やっぱり手を動かして何かを作るのは大切な行為ですね。自分の目で見つけた一瞬に名前をつけると思いも込められる。作品を作る行為すべてに対して自分の頭を使っているなと思いました。手を動かして作品を作るというのはこんなに大切でおもしろいことなんだと思いましたね。」

社員ワークショップは社員限定のものですが、一般の方やアーティストの方でも気軽にご参加いただける便利堂コロタイプアカデミーを年に数回開催しています。様々なサイズのプリントをお試しいただけるうえ、コロタイプマイスター山本が楽しく分かりやすく教えてくれますので、ご興味のある方はぜひお問合せください!
便利堂コロタイプアカデミー www.academy.benrido-collotype.today

【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー夏季展「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展
2021年6月22日(火)~7月9日(金)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
2021年6月22日(火)~7月9日(金)@便利堂コロタイプギャラリー

皆さんこんにちは。毎年6月下旬より開催している「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展を今年も開催いたします! 便利堂では社員自らが作品を作り、プリントの難しさや技術を体験し、学べる社員向けワークショップイベントを年に1回行っています。さて、今回の見どころはどんなところでしょうか? 展示を担当した清さんにお聞きしました。

―――「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展、今年は9回目となりました。
「早いですね。そもそも社員向けワークショップは、コロタイプ技術の魅力をより多くの人に知ってもらうため、まずは社員自らがコロタイプの魅力を知ろう!という思いから始まりました。単に技術の知識を持つのではなく、ワークショップでコロタイプを実践することで印刷の難しさや技師の技術力が実感としてわかります。さらに自分で満足できる作品を刷り上げたときの高揚感も体験できます。体験していると、コロタイプの話をするときにも力が入ります。そんなわけで社員それぞれが撮影した写真を持ち寄り、年に1回社内でコロタイプワークショップを行い、毎年創立記念日の7月1日頃に展覧会を開催しています。」
―――去年に続き、今年も開催が危ぶまれました。
「そうですね。前回を振り返ると、コロナ禍でどうすべきか運営チームで何度も話し合ったうえで開催することができました。みんなで同じ機材やローラーを使うこともあって非常に慎重になりましたが、社員のみんなにとってこれほど楽しみな行事はほかにありませんよね。社員ワークショップは研究所所長の山本さんをはじめ、技師のみなさんの協力で成り立っていますが、みんなが喜んでくれるのがうれしいからやろう!という山本さんたちの気持ちがとても強かった。だから感染予防を徹底したうえで去年は開催できたし、去年できたことでやり方がわかったので今年もできました。」

―――安全を十分確保した上で開催されたことがよくわかりました。
「1度のワークショップに参加者は3名までと決め、マスクをしたうえで換気も行い、十分に対策を行いました。そうした中でも参加者のみんなは久しぶりの手を動かす時間を楽しめたようで見ていてほっとしました。一人でじっくりプリントすることは特別な時間だったのではないかと思います。きっとコロタイプの仕組みの理解も深まったのではないでしょうか。」
―――ギャラリーにお越しくださる方にはどんなふうにご覧いただきたいですか。
「そもそもコロタイププリントは、160年前にフランスで写真をたくさんプリントするために生まれた技術です。それまでは写真をたくさんプリントできず、なんとかしたいと生まれたのがコロタイプなんですね。便利堂ではそれを応用して多色刷りを開発し、精緻な表現力から文化財の複製や、作家の作品作りなどに用いています。でも、こうした話をコロタイプをあまり知らない人が聞いても「へーそういうものなんですね。大変なんですね…」ってちょっとかしこまってしまうんじゃないかと思います。しかし、この社員展の作品たちはコロタイプ本来の形、一つの版で一つのプリントを作るオリジナルにとても近いやり方でプリントされています。一番純粋なコロタイププリントと言っていいかもしれません。工房にいる技師と違い、コロタイプに関しては素人同然の人たちがこのレベルのものをプリントできるというところをたくさんの方に見ていただきたいですね。ギャラリーにはわかりやすくご覧いただくためにコロタイプの説明もご用意いたします。気楽な気持ちで楽しみにいらしてください。」

―――気に入った作品があれば、ぜひ投票もしていただきたいですね。
「そうですね。例年、出展作品の中から社員と来場者の投票で優秀作品を決定し、見事受賞した人は便利堂創立記念式典(7月1日)で表彰されます。今年はこのような状況から式典は難しいですが、個々に表彰を行う予定です。参加した社員たちは「もしかして…」とどきどきしているはずですよ。」
―――その気持ち、よくわかります。最後に、今回の社員展について感じたことがあれば教えてください。
「わたしの考えなのですが、こういう状況のなかで、自分の頭に刺激を与える機会が減っている気がします。外に出られず、家にいる機会が多くて、家にいると刺激を受けることってなかなか少ないんじゃないでしょうか。そんな中、社員ワークショップで手を動かして、ああでもないこうでもないと模索することにはとても刺激を受けました。やっぱり手を動かして何かを作るのは大切な行為ですね。自分の目で見つけた一瞬に名前をつけると思いも込められる。作品を作る行為すべてに対して自分の頭を使っているなと思いました。手を動かして作品を作るというのはこんなに大切でおもしろいことなんだと思いましたね。」

社員ワークショップは社員限定のものですが、一般の方やアーティストの方でも気軽にご参加いただける便利堂コロタイプアカデミーを年に数回開催しています。様々なサイズのプリントをお試しいただけるうえ、コロタイプマイスター山本が楽しく分かりやすく教えてくれますので、ご興味のある方はぜひお問合せください!
便利堂コロタイプアカデミー www.academy.benrido-collotype.today

【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー夏季展「コロタイプ手刷りプリントのおもしろさ」展
2021年6月22日(火)~7月9日(金)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
企画展「東山魁夷とコロタイプの表現力」本日より始まりました!
コロタイプポートフォリオ『東山魁夷代表作十二選』より7点を展示
2021年5月6日(木)~6月16日(水)@便利堂コロタイプギャラリー

今年から一年を通して楽しんでいただけるようになったコロタイプギャラリー。本日より「東山魁夷とコロタイプの表現力」をテーマに春季企画展示が始まりました。展示を担当した、清 康太郎さんにお話しをお聞きしました。

昭和50年1月に撮影がスタート。当初昭和51年8月の刊行予定であったが、作業の難航からであろう、1年以上延期され昭和52年11月に刊行された。
―――「東山魁夷とコロタイプの表現力」。このタイトルにはどんな意味が込められているのでしょうか?
「今回展示する『東山魁夷代表作十二選』は、「残照」や「緑響く」などの代表作を便利堂独自のカラーコロタイプでプリントし収録した作品集で、昭和52年に集英社から限定480部で発行されました。作家本人の監修のもと、約3年をかけて制作されたもので、本展ではその収録作12点のうち7点をご紹介しています。職人たちが試行錯誤しながら、いかにして東山魁夷作品の魅力をコロタイプで表現しようとしたのか、完成品のプリントとともに、その制作プロセスもぜひじっくりとご覧いただきたいと思い、このタイトルにしました。」

展示は献呈用30部のうちの27番。作家の献呈識語入
―――まず、東山魁夷についての印象を聞かせてください。
「彼の絵はとても美しいですよね。しかし彼自身の言葉や、彼について書かれた文献を読むと、作品の重心はもう少し深いところにおかれているように思いました。魁夷は人生の前半にとても厳しく苦しい時代を過ごしています。魁夷の絵に描かれているのは実際の風景ではなく、彼の目で見た景色をいったん内側に蓄えたのち生み出されるもの、つまり再構成されたものです。どん底の時代があったからこそ魁夷はこうした独自の表現に行き着きました。」

左より「残照」昭和22年 、「道」昭和25年 ともに東京国立近代美術館蔵
―――自分の中へ蓄えてから生み出す。絶望を知る魁夷にしか見えないものがあるのですね。
「そうですね。作家の川端康成はそうした目を「末期の目」と呼び、「自然本来の美しさは、生きる希望すら捨てた、欲のない無垢な心でしか見ることができない」と書いています。魁夷はそれまでの長く苦しい日々ののち、戦時中には空襲で家を焼かれ、召集され、絵を描くことはもちろん生きることもあきらめていました。絶望のなか、彼は阿蘇で見た景色に涙が出るほどの感動を覚え「今一度絵筆を取れることができた時は、今の気持ちのままでこの感動を描こう」と自分に言い聞かせたといいます。戦後、家族すら失った魁夷は千葉の山へ登ります。そこで描いたのが今回展示する「残照」です。魁夷の末期の目が自然本来の美をとらえたんですね。」

「たにま」昭和28年 東京国立近代美術館蔵、「光昏」(21色刷)昭和30年 日本芸術院蔵
―――その表現がコロタイプでプリントされ、『東山魁夷代表作十二選』が生まれました。
「展示するにあたり、制作過程が知りたくて社内を調査したところ、刷見本とともに、12作品の初校から責了までほとんどすべての校正紙が残されていることがわかりました。」

修正指示の書き込み
―――当時の様子がうかがえる貴重な資料ですね。
「非常におもしろいものでした。校正紙には指示が細かく書き込まれていて、なんと一つの作品に多いものでは21色も使われていることがわかったんです。しかもおよそ1年の時間をかけ、11回も校正したものもあります。すさまじいですよね。なんと豪華な本なのかと驚いてしまいました。校正の回数は、調整を繰り返し、原本に近づける努力を惜しまなかったということです。いかに職人たちがこのプリントに対して熱量をもって取り組んでいたかを見た気がしました。便利堂のものづくりの根底には、職人の技と作品を見る目がかかせません。この資料を見て特に強く感じたのは、彼らが魁夷へ抱いた尊敬の思いでした。」

「残照」の色校正のプロセス。手前右下が初校。時計回りに3校、6校、7校、9校、10校。最終的には11校でOKとなった。初校では、固有色の彩度が低くにごっており、調子も滑らかさが足りなかったが、校正を経るごとに改善されていく様子がわかる。
―――胸が熱くなりますね。決して妥協しない職人の姿勢が伝わってきます。
「コロタイプの職人たちを観察していると、プレス機から出てきた紙を両手で持ち上げ、顔を近づけ時間をかけて細かいところまで見ています。コロタイプの性質上、一枚一枚の確認はかかせませんが、それを彼らは自分の目で判断します。いいのか悪いのか、色や表現が原本と合っているのかをとにかく見る。つまり彼らには、彼らにしかない研ぎ澄まされた目があるんです。そこに思い至った時、目こそが魁夷とコロタイプの職人に共通するものだと気がつきました。」

「月篁」昭和42年 東京国立近代美術館蔵、「雪の城」昭和45年、「緑響く」昭和57年 長野県立美術館
―――魁夷の「末期の目」と職人の「研ぎ澄まされた目」ですね。
「魁夷がくぐり抜けてきた苦難、その先に見つけた表現なくしてはどの作品も生まれなかったでしょう。また今回のテーマ「東山魁夷とコロタイプの表現力」の「コロタイプ」の部分には、コロタイプのもつ表現力はもちろん、職人たちの表現力という意味も込めました。この展示を東山魁夷の複製としてではなく、東山魁夷をテーマとした、ひとつのコロタイプの作品としてご覧いただければいいなと思います。」
―――たくさんの方にご覧いただきたいですね。
「そうですね。東山魁夷とコロタイプについて、よくご存じの方もでもそうでない方も、きっと新しいなにかに出会っていただけるのではないかと思います。ギャラリーは作る人と見る人が交流できる場でもあります。魁夷とコロタイプ、二つの目を通して表現された作品をはたして自分の目はどう受け止めるのか、ぜひ確かめにいらしてください。」
◆
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー春季展「東山魁夷とコロタイプの表現力」
2021年5月6日(木)~6月16日(水)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
2021年5月6日(木)~6月16日(水)@便利堂コロタイプギャラリー

今年から一年を通して楽しんでいただけるようになったコロタイプギャラリー。本日より「東山魁夷とコロタイプの表現力」をテーマに春季企画展示が始まりました。展示を担当した、清 康太郎さんにお話しをお聞きしました。

昭和50年1月に撮影がスタート。当初昭和51年8月の刊行予定であったが、作業の難航からであろう、1年以上延期され昭和52年11月に刊行された。
―――「東山魁夷とコロタイプの表現力」。このタイトルにはどんな意味が込められているのでしょうか?
「今回展示する『東山魁夷代表作十二選』は、「残照」や「緑響く」などの代表作を便利堂独自のカラーコロタイプでプリントし収録した作品集で、昭和52年に集英社から限定480部で発行されました。作家本人の監修のもと、約3年をかけて制作されたもので、本展ではその収録作12点のうち7点をご紹介しています。職人たちが試行錯誤しながら、いかにして東山魁夷作品の魅力をコロタイプで表現しようとしたのか、完成品のプリントとともに、その制作プロセスもぜひじっくりとご覧いただきたいと思い、このタイトルにしました。」

展示は献呈用30部のうちの27番。作家の献呈識語入
―――まず、東山魁夷についての印象を聞かせてください。
「彼の絵はとても美しいですよね。しかし彼自身の言葉や、彼について書かれた文献を読むと、作品の重心はもう少し深いところにおかれているように思いました。魁夷は人生の前半にとても厳しく苦しい時代を過ごしています。魁夷の絵に描かれているのは実際の風景ではなく、彼の目で見た景色をいったん内側に蓄えたのち生み出されるもの、つまり再構成されたものです。どん底の時代があったからこそ魁夷はこうした独自の表現に行き着きました。」

左より「残照」昭和22年 、「道」昭和25年 ともに東京国立近代美術館蔵
―――自分の中へ蓄えてから生み出す。絶望を知る魁夷にしか見えないものがあるのですね。
「そうですね。作家の川端康成はそうした目を「末期の目」と呼び、「自然本来の美しさは、生きる希望すら捨てた、欲のない無垢な心でしか見ることができない」と書いています。魁夷はそれまでの長く苦しい日々ののち、戦時中には空襲で家を焼かれ、召集され、絵を描くことはもちろん生きることもあきらめていました。絶望のなか、彼は阿蘇で見た景色に涙が出るほどの感動を覚え「今一度絵筆を取れることができた時は、今の気持ちのままでこの感動を描こう」と自分に言い聞かせたといいます。戦後、家族すら失った魁夷は千葉の山へ登ります。そこで描いたのが今回展示する「残照」です。魁夷の末期の目が自然本来の美をとらえたんですね。」

「たにま」昭和28年 東京国立近代美術館蔵、「光昏」(21色刷)昭和30年 日本芸術院蔵
―――その表現がコロタイプでプリントされ、『東山魁夷代表作十二選』が生まれました。
「展示するにあたり、制作過程が知りたくて社内を調査したところ、刷見本とともに、12作品の初校から責了までほとんどすべての校正紙が残されていることがわかりました。」

修正指示の書き込み
―――当時の様子がうかがえる貴重な資料ですね。
「非常におもしろいものでした。校正紙には指示が細かく書き込まれていて、なんと一つの作品に多いものでは21色も使われていることがわかったんです。しかもおよそ1年の時間をかけ、11回も校正したものもあります。すさまじいですよね。なんと豪華な本なのかと驚いてしまいました。校正の回数は、調整を繰り返し、原本に近づける努力を惜しまなかったということです。いかに職人たちがこのプリントに対して熱量をもって取り組んでいたかを見た気がしました。便利堂のものづくりの根底には、職人の技と作品を見る目がかかせません。この資料を見て特に強く感じたのは、彼らが魁夷へ抱いた尊敬の思いでした。」

「残照」の色校正のプロセス。手前右下が初校。時計回りに3校、6校、7校、9校、10校。最終的には11校でOKとなった。初校では、固有色の彩度が低くにごっており、調子も滑らかさが足りなかったが、校正を経るごとに改善されていく様子がわかる。
―――胸が熱くなりますね。決して妥協しない職人の姿勢が伝わってきます。
「コロタイプの職人たちを観察していると、プレス機から出てきた紙を両手で持ち上げ、顔を近づけ時間をかけて細かいところまで見ています。コロタイプの性質上、一枚一枚の確認はかかせませんが、それを彼らは自分の目で判断します。いいのか悪いのか、色や表現が原本と合っているのかをとにかく見る。つまり彼らには、彼らにしかない研ぎ澄まされた目があるんです。そこに思い至った時、目こそが魁夷とコロタイプの職人に共通するものだと気がつきました。」

「月篁」昭和42年 東京国立近代美術館蔵、「雪の城」昭和45年、「緑響く」昭和57年 長野県立美術館
―――魁夷の「末期の目」と職人の「研ぎ澄まされた目」ですね。
「魁夷がくぐり抜けてきた苦難、その先に見つけた表現なくしてはどの作品も生まれなかったでしょう。また今回のテーマ「東山魁夷とコロタイプの表現力」の「コロタイプ」の部分には、コロタイプのもつ表現力はもちろん、職人たちの表現力という意味も込めました。この展示を東山魁夷の複製としてではなく、東山魁夷をテーマとした、ひとつのコロタイプの作品としてご覧いただければいいなと思います。」
―――たくさんの方にご覧いただきたいですね。
「そうですね。東山魁夷とコロタイプについて、よくご存じの方もでもそうでない方も、きっと新しいなにかに出会っていただけるのではないかと思います。ギャラリーは作る人と見る人が交流できる場でもあります。魁夷とコロタイプ、二つの目を通して表現された作品をはたして自分の目はどう受け止めるのか、ぜひ確かめにいらしてください。」
◆
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー春季展「東山魁夷とコロタイプの表現力」
2021年5月6日(木)~6月16日(水)
時間:10:00-17:00(平日12:00-13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
コロタイプギャラリー常設展示「高松塚古墳壁画と撮影」好評開催中!
ブックレット『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』も刊行!
会期:4月上旬ごろまで @便利堂コロタイプギャラリー 入場無料

皆さん、こんにちは! 今回は2月から公開を始めました便利堂コロタイプギャラリー常設展示の概要と、それに関連したブックレットのご紹介をいたします!

便利堂ブックレット叢書02
『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』
コロタイプギャラリーは、年に数回、企画展の開催時に開廊してまいりましたが、本年より常設展示を設け、通年を通してコロタイプギャラリーを楽しんでいただける取り組みを始めました! 明治20年に創業し、これまで数多くの文化的事業をおこなってきた便利堂の活動をより多くの方に知っていただくため、所蔵する資料類などをもちいた常設展示によって、便利堂の歴史や工房の技術、最新の成果をご紹介していこうというものです。その第1期として、今回は「高松塚古墳壁画撮影事業」を展観いたします!

高松塚古墳壁画コロタイプ複製(西壁女子群像部分)
来年で発掘から50周年を迎える高松塚古墳壁画は、昭和47年3月21日に発見されました。その壁画を翌22日と24日に石室に入って撮影したのが便利堂です。発見のニュースは“飛鳥美人”の名で全国のみならず世界に広まり、壁画は多くの人に親しまれることとなりましたが、のちに保存環境の影響で損傷を受けてしまいました。そのような経緯からも、発掘直後の壁画の極彩色が鮮明にうつし遺されたこの写真は大変貴重で、文化財写真史における代表的な資料の1つといえます。
→高松塚古墳壁画撮影事業と原寸大コロタイプ複製について詳しくはこちら

高松塚古墳壁画コロタイプ複製(西壁と東壁)
本展では、その5×7ポジフィルムから作成したデュープと、実際に使用された撮影機材、そして壁画発見45周年を記念して2017年に制作した原寸大コロタイプ複製、ならびに撮影時の状況を再現した模型を展示いたします。厳しい条件のなかで撮影した写真技師の苦労や高い技術はもちろんのこと、今は見ることができない壁画の色彩を忠実に再現した本複製の「色」にも注目してみてください。

壁画撮影時の状況を再現した模型も展示中
また、便利堂では昨年末に、この昭和47年の発掘と撮影にまつわる秘話をまとめたブックレット『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』を刊行いたしました! 本書では、当時奈良県側の担当をされた元橿原考古学研究所長の菅谷文則氏と、実際に撮影をした元便利堂写真技師の大八木威男氏による文章を掲載。そして、壁画の美術史的価値を東京藝術大学客員教授の有賀祥隆氏に、最新の古墳調査成果を元文化庁古墳壁画対策調査官の建石徹氏に執筆いただいています!

菅谷氏(右)と大八木氏
さらに2017年に便利堂コロタイプギャラリーで開催された菅谷氏と大八木氏による対談の内容も収録するなど、「世紀の発見」と言われた高松塚古墳壁画発掘と撮影の経緯を知る上で、大変貴重な1冊となっています。便利堂のオンラインショップでもご購入いただけますので、展示を見に行けないという方などは、ぜひこちらをご覧下さい!
便利堂ブックレット叢書02
『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』
サイズ:B5判、40頁
定価:900円(税抜)
2020年12月10日刊行
ISBN:978-4-89273-110-5 →本書について詳しくはこちら

2021年2月24日(水)付けの朝日新聞夕刊紙面では、これらの内容を紹介した記事を掲載いただきました。撮影後の報道関係者によるフィルムを巡る争奪戦に直接関係した(!)朝日新聞社さんに、49年経った今、改めてご紹介いただくということで、取材を担当された朝日新聞の記者さんも、便利堂の担当者も何だか不思議な心持ちでした…(もちろん良い雰囲気の取材でした!)。→掲載の記事についてはこちら

また、ギャラリーのある便利堂本社1Fには便利堂の商品を取りそろえた「京都便利堂本店」も営業中! あわせてお楽しみいただけると幸いです。

発掘ならびに撮影から半世紀が経とうとしている今だからこそ語ることができる高松塚古墳壁画の撮影事業、それらをご紹介した本展ならびに本書をきっかけに、“文化財写真”の重要性をより身近に感じていただき、またあわせて便利堂の工房の歴史と技術にも興味を持っていただけましたら幸いです!
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー常設展示「高松塚古墳壁画と撮影」
現在開催中~4月上旬ごろまで開催予定
時間:10:00-17:00(平日12:00~13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)
会期:4月上旬ごろまで @便利堂コロタイプギャラリー 入場無料

皆さん、こんにちは! 今回は2月から公開を始めました便利堂コロタイプギャラリー常設展示の概要と、それに関連したブックレットのご紹介をいたします!

便利堂ブックレット叢書02
『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』
コロタイプギャラリーは、年に数回、企画展の開催時に開廊してまいりましたが、本年より常設展示を設け、通年を通してコロタイプギャラリーを楽しんでいただける取り組みを始めました! 明治20年に創業し、これまで数多くの文化的事業をおこなってきた便利堂の活動をより多くの方に知っていただくため、所蔵する資料類などをもちいた常設展示によって、便利堂の歴史や工房の技術、最新の成果をご紹介していこうというものです。その第1期として、今回は「高松塚古墳壁画撮影事業」を展観いたします!

高松塚古墳壁画コロタイプ複製(西壁女子群像部分)
来年で発掘から50周年を迎える高松塚古墳壁画は、昭和47年3月21日に発見されました。その壁画を翌22日と24日に石室に入って撮影したのが便利堂です。発見のニュースは“飛鳥美人”の名で全国のみならず世界に広まり、壁画は多くの人に親しまれることとなりましたが、のちに保存環境の影響で損傷を受けてしまいました。そのような経緯からも、発掘直後の壁画の極彩色が鮮明にうつし遺されたこの写真は大変貴重で、文化財写真史における代表的な資料の1つといえます。
→高松塚古墳壁画撮影事業と原寸大コロタイプ複製について詳しくはこちら

高松塚古墳壁画コロタイプ複製(西壁と東壁)
本展では、その5×7ポジフィルムから作成したデュープと、実際に使用された撮影機材、そして壁画発見45周年を記念して2017年に制作した原寸大コロタイプ複製、ならびに撮影時の状況を再現した模型を展示いたします。厳しい条件のなかで撮影した写真技師の苦労や高い技術はもちろんのこと、今は見ることができない壁画の色彩を忠実に再現した本複製の「色」にも注目してみてください。

壁画撮影時の状況を再現した模型も展示中
また、便利堂では昨年末に、この昭和47年の発掘と撮影にまつわる秘話をまとめたブックレット『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』を刊行いたしました! 本書では、当時奈良県側の担当をされた元橿原考古学研究所長の菅谷文則氏と、実際に撮影をした元便利堂写真技師の大八木威男氏による文章を掲載。そして、壁画の美術史的価値を東京藝術大学客員教授の有賀祥隆氏に、最新の古墳調査成果を元文化庁古墳壁画対策調査官の建石徹氏に執筆いただいています!

菅谷氏(右)と大八木氏
さらに2017年に便利堂コロタイプギャラリーで開催された菅谷氏と大八木氏による対談の内容も収録するなど、「世紀の発見」と言われた高松塚古墳壁画発掘と撮影の経緯を知る上で、大変貴重な1冊となっています。便利堂のオンラインショップでもご購入いただけますので、展示を見に行けないという方などは、ぜひこちらをご覧下さい!
便利堂ブックレット叢書02
『壁画発見四十五年記念 高松塚古墳壁画撮影物語』
サイズ:B5判、40頁
定価:900円(税抜)
2020年12月10日刊行
ISBN:978-4-89273-110-5 →本書について詳しくはこちら

2021年2月24日(水)付けの朝日新聞夕刊紙面では、これらの内容を紹介した記事を掲載いただきました。撮影後の報道関係者によるフィルムを巡る争奪戦に直接関係した(!)朝日新聞社さんに、49年経った今、改めてご紹介いただくということで、取材を担当された朝日新聞の記者さんも、便利堂の担当者も何だか不思議な心持ちでした…(もちろん良い雰囲気の取材でした!)。→掲載の記事についてはこちら

また、ギャラリーのある便利堂本社1Fには便利堂の商品を取りそろえた「京都便利堂本店」も営業中! あわせてお楽しみいただけると幸いです。

発掘ならびに撮影から半世紀が経とうとしている今だからこそ語ることができる高松塚古墳壁画の撮影事業、それらをご紹介した本展ならびに本書をきっかけに、“文化財写真”の重要性をより身近に感じていただき、またあわせて便利堂の工房の歴史と技術にも興味を持っていただけましたら幸いです!
【開催概要】
便利堂コロタイプギャラリー常設展示「高松塚古墳壁画と撮影」
現在開催中~4月上旬ごろまで開催予定
時間:10:00-17:00(平日12:00~13:00、土日祝日はお休み)
入場:無料
場所:便利堂コロタイプギャラリー
(京都市中京区新町通竹屋町下ル弁財天町 302)